第16話 敵から味方へ

 それを見たレクトが、濡れた布を渡してくれた。近くに川があり、そこでぬらして来たと言う。

 たぶん、昨夜ルーラとザーディがそばですごした川だろう。服が泥だらけだった割に、レクトの顔や手がきれいなのは川で洗ったかららしい。

 鏡がないのでルーラは自分の顔の汚れ具合がわからないが、さっき顔に冷たい布が当てられていたような気がするし、あれはきっとレクトが拭いてくれていたのだろう。

「これで痛む所を押さえてろ。さっき触ったら、こぶになってた」

 頭を探ってみると、確かにふくれている所がある。押すと痛い。

「ほっぺも痛い。あのヒゲ男に平手打ちされたんだっけ。女の子を殴るなんて、サイッテー」

 拳でなかったからいい、という訳にはいかない。

 最初から突き落とすつもりなら、平手打ちする必要などないではないか。本気で殺す気があったかどうかはともかく、ただ押せば済むだけなのに。

 これまでの恨み、といったところか。そうだとすれば、身体に見合わず器の小さい男である。

「どっちが腫れてるかなんて、わからないよ。両方、腫れてるから」

「あ、どういう意味よ、それは」

 プーとふくれながら、冷たい布をこぶにあてる。

「お前、あの子とどういう関係なんだ? 竜じゃないにしても、人間じゃないんだろ?」

「友達よ」

 ルーラはあっさりと答える。

「やっぱり、トカゲの一種とか?」

「あの子の……いわゆる正体っていうのは知らないわ。森の精霊が『あの方の子』って言ってたから、森の主とか、魔法レベルの高い存在だと思うけど」

「誰かってのもよくわからないのに、それでこんな一生懸命になれるのか? 迷子を家に送り届けるにしても、過酷すぎるぞ」

「ん。まぁ、一緒に行くことになったのは、通りすがりのなりゆきみたいなもんだけど。あたし、一度関わると放っておけないのよ。それに、あたしはあの子が好きだから」

「ふぅん……自分に正直なんだな。うらやましい」

 レクトがポツリとつぶやいた。本心からの言葉らしい。

「そう? 正直すぎるって言われる時もあるけどね」

「何を考えてるかわからない奴より、ずっといいさ。あいつがお前にべったりくっついてたのも、わかる気がする」

 ザーディが好きだという気持ちを、ルーラは全身から出していたのだろう。それを感じて、ザーディもルーラのそばを離れなかったのだ。

「あたし、本当にザーディが好きだし、守ってあげたいの。話を聞いてるとあの子、生まれてそんなに月日が経ってなくて、外へ出たこともないらしいの。親はたくましくなるようにって、あの子をわざとこの森へ置き去りにしたらしいけど。基本的にすごく恐がりなのよ、ザーディは。だから、あの男達と一緒でどんな恐い気持ちでいるか……」

 こんな話をしていたら、もうじっとしてなんかいられない。

 こうしてる間にも、ザーディにあの盗賊はどんな仕打ちをしているか、知れたものではない。たとえ殺されなくても、ひどいことをされたりしている可能性だってある。

「あたし、もう行くわ」

 ルーラはゆっくりと立ち上がった。急に立ち上がり、さっきみたいによろけてしまっても困るからだ。

 今度はめまいもしない。まだ頭痛はしているが、これくらいならがまんできる。

「おい……」

「止めてもムダよ。ここでのんびりなんて、やっぱりできないもの。行ける所まで行ってみる」

 とりあえず、北という手掛かりを得た。それなら、今までと同じだ。あいまいすぎる手掛かりではあるが、ないよりはいい。

「俺も行くよ」

「え?」

 同じように、レクトも立ち上がる。その言葉に、ルーラは目を丸くしてレクトを見た。

「……どうして?」

「行っちゃ、まずいか?」

「いえ、そうじゃないけど……」

「心配するなよ。金を盗る気はないし……ってか、たぶんお前、本当に持ってないだろ。襲ったりもしないよ。ガキ相手には」

「ガ、ガキで悪かったわね」

 ムスッとして、ルーラは背を向けた。

「怒るなよ。俺もあいつらにもう一度会って、文句の一つも言ってやりたいんだ。大した秘密組織でもないんだし、切るなら切るでそう言えば円満解決したんだってな」

 そうだった。レクトは、仲間であるはずの男達に殺されかけた人間だったのだ。

 復讐とまでいかなくても、何か言ってやりたい、と思うのは当然だろう。お互いに捜そうとしている対象は同じグループにいるのだから、断る理由もない。

 言ってから、レクトはどこかバツが悪そうな顔で笑った。

「これは一応、建前な。本当のことを言うと、こんな森に置いてかれたら、魔法使いでもない俺には、永久に森の外へ出られそうにない。のたれ死ぬか、狂っちまうかだ」

 ちょっと拍子抜けしながらも、ルーラは納得した。

 確かにこの森は、普通の人間の精神がいつまでも保つ所じゃない。

 いて当たり前と思うような妖精も、一般人には幽霊に見えたり魔物になったりするのだ。

 レクトがここまで来られたのは、魔法を使うノーデがそばにいたためで、そもそも本人が望んで来たのではない。

 ここに置いて行かれたら、ルーラはレクトが森の外へ出られない方に賭けるだろう。だいたいこんな森、ルーラのような物好きでなければ、来ようなんて思わない。

 ルーラは、この男の見る目が変わった。

 下手な言い訳をせず、正直に自分の気持ちを言っている。自分の置かれた立場をよくわかっているし、下らない見栄を張る程バカじゃない。

 それに、介抱してくれる優しさもある。特に倒れた場所からここへ運んでくれたことについては、かなり点数が高い。

 失神した状態のままだったら、今頃もっとひどい体調になっていたはずだ。

 これまでや目を覚ました時は敵としか思わなかったが、話を聞いていると根っからのワルでもない。

 三人組の一人として見ていた時は、少し上がり気味の目が「目付きが悪い」という印象でしかなかったが、こうして正面から見ると精悍な顔に見えるから不思議……と言うか、現金なものである。

 立ち位置が変われば、こうも変わるものか。

「じゃ、行きましょう。北へ」

 レクトが笑みを浮かべ、うなずいた。

☆☆☆

「おい、モル。北ってのはどっちなんだ?」

「コンパスがきかねぇんだよ」

「こんな森で、コンパスなんか役に立つか。もっと他に方法はないのか」

「んなこと言われたって……。考えるのは、俺よりあんたの方が得意だろ」

 さっきからノーデとモルは、進む方向について言い争っていた。

 今まではルーラの後を追っていたから、方角なんて気にしなくてもよかったのだ。

 それがこうして自分が先頭になって行くとなると、行く方向というものがわからない始末。持って来ているコンパスも、こんな森の奥では磁場が狂ってちゃんとした方向を指してはくれない。

 他に方法はないのか、と聞いたところで、モルが知ってるなんてノーデも思っちゃいない。

 そして腹の立つことに、考えるのはお前の仕事だと言い返されたのである。

「くそっ。えーと、ザーディっつったな。あの娘は」

「あの娘って、ルーラのこと?」

「ああ、そうだ。そのルーラは、どうやって行く方向を決めてたんだ」

 いらいらしているから、言葉遣いも乱暴になる。もっとも、これがノーデの地だ。

「魔法、使ったの。枝をこうして立ててね、北を示せって言うの」

 言いながら、ザーディはやってみせた。ルーラの見よう見まねである。

 しかし、魔法力のある竜がするためか、枝にはすぐに力が宿り、北を示して倒れた。

「そうか。こっちだな。よしよし、よくやった」

 自分が動かなくて済んで、内心喜んでいるノーデであった。すぐに機嫌が直る。

 これを繰り返し、ノーデ達はザーディを連れて歩き続けた。

「しっかし、あの小娘はよくこんな森に入ろうなんて思ったな。一つ間違えば死んじまうぞ」

 モルが一番後ろで、重たい巨体を揺らせながら言った。

 ルーラがこの森を横断することで魔法力を高めようとしていた、なんて事情は知らない。知ったところで、どうでもいいことだ。

「最近のガキってのは、考えることがよくわからん」

 同じく知らないノーデも、そうとしか言い様がなかった。

「ええい、全く歩きにくい所だな。早いところ……」

 そこまで言って、ノーデは口をつぐんだ。

 早いところ、竜の身体を売りさばいて楽になりたいもんだ。

 そう言いたかったのである。

 だが、ザーディの耳に入って警戒心を起こされ、魔法でも使われればやっかいだ。

 なんせ、ノーデの魔法はザーディには効かない。ザーディの姿変えの術を解けなかったことで、すでに実証済みである。

 今はとにかくいい印象だけをザーディに与え、竜のいる所まで連れて行ってもらうのが先決だ。

 竜の世界へ入る時、竜と共にいればその世界へ行ける、という知識はノーデも一応持っているのである。

「早いところ、何?」

 無邪気にザーディが尋ねる。

 ノーデは作り笑顔を浮かべ、何でもない、という表情をする。

「いやあ、早いところ森を抜けて、ザーディの両親に会いたいもんだ、と思ってね」

 ノーデはそう言って、ごまかし笑いをしながらばれないうちに前を歩いて行った。

「ぼく、疲れちゃった……」

 ザーディの声に、ノーデが振り返る。

「そんなに歩いてないぞ。男がそれくらいで弱音を吐いてどうする」

「だって……」

 文句の一つも言いたいが、気の弱いザーディに言えるはずもない。

 そんなに、とノーデは言うが、すでに二時間以上は歩いていた。方向を確認しながらだから歩き続けではないが、休んでいる状態ではない。

 ノーデやモルは、早く竜というお宝を手に入れたいから、疲れなど感じないのだ。そんな彼らと同じペースを、幼いザーディに要求するのが間違っている。

 ザーディも、ルーラと一緒の時なら疲れるということはなかった。楽しくしゃべったり笑いながらだったから、自分が歩いている、という事実さえ忘れる程だったのだ。

 でも、この大人二人だと何も話せないし、つまらない。口を開けば、妙に愛想のいい言葉ばかり。

 かと思えば、急に言葉遣いが乱暴になったりする。気が休まらない。

 そんな中で黙々と歩けば、気が滅入るのも当然だ。

 ルーラといた時とは、雲泥の差。身体より、気持ちが疲れている。

 一方、ノーデもああ言ったものの、やたら無理に歩かせてザーディの御機嫌を損ねてもまずい、と考えた。

 早く金を手に入れたいが、そのためにはザーディにさっさと竜の世界へと連れて行ってもらわねばならない。でも、ザーディは休みたがっている。

 少し考え、ノーデはモルに言った。

「おい、おぶってやれ」

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