第14話 落ちたルーラと仲間割れ

 声の調子も表情も、いつものルーラに戻っていた。

「うん。……ルーラ、元気になった?」

 一晩寝れば、ルーラは元気になる。いつまでも悩んだって仕方がない、と眠って起きたら全て忘れるのだ。

 いつまでも気にしないのが、ルーラの長所である。

「心配させてごめんね。もう平気よ。ザーディが子守歌を歌ってくれたから。あれって、元気になれる魔法がかかってるのかしら」

 いつものように、ルーラは笑ってみせる。

「うん、きっとそうだよ。ぼくもあの歌を歌ってもらうと、元気になれるもん」

「素敵な魔法ね。あたしもそんな魔法をかけられるようになりたいわ」

 ルーラが魔法をやめない、と知ってザーディはとても嬉しくなった。

「あれ? ザーディ……ちょっと大きくなってない?」

 横にいるザーディの背が、昨日までより少し伸びているような気がする。

「え、そうかなぁ」

 育ち盛りと言っても、こんな急に伸びるものかしら。人間じゃないから、かな。確か、あたしの胸より少し下くらいに頭のてっぺんがあったわよね。今は肩より少し下くらい、かな。ちょっぴり背伸びしたくらいの違いだけど。それに、顔つきも少ししっかりしたような……。

 ザーディの心が成長した分、身体も成長するなんてことは、ルーラにわかるはずもない。

「二、三日もしないうちに、あたしの背も抜かしたりしてね」

 そう言って、ルーラは笑った。ザーディの背が伸びたって、何の支障があるでもない。大きくなったならなったでいい。

 大きくなって足が伸びれば、歩幅が大きくなって早く進めるようになるから、むしろ好都合……なんてことまでルーラは考えるのだった。

 ルーラはザーディの手を取って、また進み始める。

 しばらく歩いていると、急な下り坂がある所まで来た。傾斜がきつい。絶壁とまではいかなくても、崖と呼ぶ方がよさそうに見える。

 進行方向はこの坂の先だが、このまま進むのは考えものだ。今は雨が降っているし、ここを降りても進行方向にあるのが今度は上り坂だったりしたら困る。絶対すべって上がれなくなりそうだ。

 それ以前に、降りる時に転がり落ちそうである。足下が悪すぎて危険だ。

「絶対、危ないわよね……」

 これは迂回うかいした方がよさそうなので、ルーラは回れ右をした。

「きゃっ」

 振り返った途端、ルーラは悲鳴を上げる。

 いつの間に来たのか、あの三人がまた現れたのだ。それもズブ濡れで。

 こっちはザーディの結界のおかげで濡れずに済んでいるが、ルーラとどっこいどっこいか、それ以下の魔法力らしいノーデに同じことができるとは考えにくい。

 だとしたら、向こうが濡れているのは当然と言えば当然なのだが、その様子があまりにみすぼらしいので、びっくりしたのだ。

 特にただでさえ小さいノーデが、これまで見たよりもずっと縮んで見えてしまう。

「どれだけ追えば、気が済むのよっ」

 あたし、ザーディを送るために来てるのに、これじゃまるで逃避行じゃないの。

 だが、今日のノーデは何も言わず、さっとザーディの顔の前で白い粉をまく。

 それを吸ってしまったらしいザーディが、くしゃみをした。その後、細かい粉がのどの奥に入ったのか、苦しそうに咳き込んでいる。

「何するのよ」

 ルーラが怒鳴るがノーデは無視し、代わりにモルがのそっと前に進んでザーディとルーラの間に立ちはだかる。

「何……」

 ルーラが身構える間もなく、平手が飛んできた。

 バシンというかなり派手な音がして、その衝撃にルーラの身体がわずかに浮いた。

 再び地面に足が着いた時、ズルッとすべる音がし、そのまま身体がかたむく。

 身体が倒れたと思ったのも束の間、さっき手前で回れ右をした斜面をころころと転がってゆく。

 その転がり落ちる前のわずかな瞬間、ルーラはザーディがノーデの手の中に崩れてゆくのを見た……気がした。

 だが、それだけ。後はもう何もわからない。

 勢いついた身体は、どんどん下へと転がってゆく。悲鳴も出せない。

 ガツッという音が間近でし、そのままルーラは失神する。

 一方、ノーデがザーディの身体を抱えて大笑いしていた。

「やったっ。ついに竜の子を手に入れたぞ。これでわしは大金持ちだぁ」

 森中に響き渡る程の高笑いだ。

「かわいそうに……。なぁ、売り飛ばす、とか言ってなかったか?」

 成人女性よりもルーラくらいの少女、もしくはもう少し幼い少女が好みだという人間は世の中にいくらでもいる。

 売り飛ばすことに賛成な訳ではないが、坂の下へ突き落としてケガをさせるよりは多少マシな気がした。

 結局、ひどいことをするのに変わりはないが、ルーラなら何か起こる前に逃げ出しそうな気がする。それなら、元気な状態でいた方がいいのでは……。

 レクトはしぶい顔で、ルーラが落ちた方を見ていた。落ち方によっては、ひどいケガをすることだってあるだろう。

 と、その横にモルがぬっと立つ。

「……何だよ」

 ルーラがどうなったかの確認……ではなさそうな雰囲気を感じたレクトは、モルの顔を見た。

「俺も金は大好きだ」

「……?」

「お前の分は、俺達でいただく」

 はっとしたレクトがモルのそばから退こうとするが、遅かった。

 モルの大きな手と馬鹿力に押され、レクトはルーラを追うように坂を落ちて行った。

「おい、ちゃんと息の根をとめんのか」

 ノーデが少し不服そうに聞いた。

「あんな奴でも、仲間だったからな。チャンスを残してやろうと思ってよ。生きてこの森を出られれば、またいいこともあるさ。一人でこの森を出られれば、の話だがよ」

 モルの言葉を聞いて、ノーデがわざとらしく肩をすくめた。

「それもそうだ。こんな所に普通の人間が一人でいたら、気が変になっちまうからな。どっちにしろ、あいつは死んだも同じ。わしに偉そうに意見を言うから、こんな目に遭うんだ」

 ノーデとモルの笑い声が、また辺りに響いた。

☆☆☆

 よくいだナイフを取り出し、その刃を白く柔らかい腕にあてる。ゆっくりその肌にナイフをすべらせた。

 だが、一つの傷もつかない。

「……ん?」

 一掴み髪を取り、その根元にナイフを入れるが一本も切れない。

「くそっ」

 イライラしてナイフを放り出し、造りのしっかりした短剣に持ち替える。

 同じことを繰り返すが、結果もまた同じ。

 頭にきてその足に短剣を突き立てようとするが、カキンと小気味いい音をたてて刃が真っ二つに折れた。

「えーい、丈夫な奴だ。わしの短剣を折っちまいやがった」

 ノーデはいまいましそうにぼやいた。

 ルーラとレクトを坂から落とした後、ノーデとモルは岩穴を見付けてその中で雨をしのいだ。

 ついでに捕まえた獲物の吟味をしようと、ナイフでザーディの身体から鱗を取ろうとしていた。

 たとえ今は人間の姿でも、皮膚をこそぎ取ってしまえば手に入った時には鱗になるのではないか、と思ったのである。

 だが、皮膚どころか髪一本すらも、ザーディから奪えない有様だ。

 ノーデは知らないが、ザーディにかけられた護りの魔法のおかげだった。

 いくら竜でも、まだこんな子どものうちで、それも弱い人間の姿でいる時にナイフを突き立てられればケガをする。

 それが何ともないのは、ザーディの母ルシェリが彼を置いて行く時にかけてくれた魔法のおかげだ。

 自分で命を守れない状況の時にだけ現れる魔法が、こうして効力を発揮している。

「ノーデ、どうする? このままだと、連れてったって意味ないぜ」

「やっぱり、親に会うまでだな。こいつに案内させよう」

 眠ったままのザーディを見下ろして、ノーデは不敵な笑いを浮かべる。

「こいつ、ずっと恐がってばかりだったぞ。簡単に俺達の言うことを聞くかな」

「だから、頭を使えと言っただろうが」

 ザーディのまぶたがピクッと動いた。薬の効果が切れたのだろう。じき目を覚ましそうだ。

「いいか、こいつが起きたらわしに合わせろ。余計なことは言うなよ」

 モルはわからないまま、うなずいた。

 やがてザーディはしっかり目を覚まし、ルーラの姿を捜した。だが、そばにいるのはあの盗賊の二人だけだ。

「ルーラは? ルーラ、どこへ行ったの? おじさん、ルーラを突き飛ばした……」

 意識がなくなる寸前、モルがルーラを突き飛ばしたのを見た気がする。

 モルは何も言えない。ザーディの言うことは事実だが、うなずけば「余計なことを言うな」と命令したノーデに逆らうことになる。

 そこへ、ノーデが割って入った。

「おいおい、人聞きの悪いことを言わんでくれよ。きっと夢でも見てたんだろう。あの子はちょっとケガをして、森を出ることにした。後をわしらにまかせる、と言ってな」

 笑みを浮かべて嘘八百。

 案の定、ザーディは疑わしそうな顔をしてノーデを見る。

「ルーラが? ルーラ、そう言ったの? 本当に?」

「ああ、本当だとも。ほら、わしら二人しかおらんだろう? もう一人の若い奴が、あの子に付き添って帰ったんだよ。北へは、わしらが連れてってやるからな」

「だけど……おじさん、ぼくを今まで捕まえようとしてたじゃないか」

「いやいや、それは大きな誤解だよ。わしらはもっといい所へ連れてってやろうとだな」

「ぼく、母様のそばが一番いいの」

 ノーデは、気持ち悪い程の愛想笑いを顔面に張り付ける。

「そうか。まだ母親の恋しい年頃なんだな。よしよし、それじゃ、この雨がやんだら出発しよう。北だったな、お母さんのいる所は」

「うん……」

 まだザーディは不得要領な顔をしている。

 だが、ノーデもその隣りにいるモルもこれまでと違い、今は自分を傷付けようとしているようには見えなかった。

 それに実際、ルーラはいない。

 結局、ザーディはノーデの言葉を信じるしかなく、彼らと北へ向かうことになったのである。

☆☆☆

 頭がズキズキする。少し動いただけで痛みが走り、とても不快だ。

 それに服が湿っているみたいで、それもひどく気持ち悪い。

「う……ん……」

 ルーラが頭痛に顔をしかめていると、額に冷たいものが触れた。次に頬。濡れた布だろうか。

「ザーディ……?」

 無意識のうちに、口からザーディの名前が出る。

 でも、ザーディの返事はない。いつもならすぐに返事してくれるのに。

 不審に思って目を開けると、そこにはザーディよりずっと年上の……兄のファーラスと同年代らしい青年が、ルーラの顔を覗き込んでいる。

 見覚えのあるその顔に、ルーラは目を見開いた。

「あ、あなたっ」

 叫びながら起き上がり、それからズキンと頭に痛みが走ってルーラは頭を抱えた。

「いっ……た……」

「無理するな。木の根っこに頭をぶつけたらしいから。動くなら、ゆっくりとだ」

「う……どうしてよ。どうしてあなたがここにいるのよ」

 痛む頭を押さえながら、ルーラはそちらを睨んだ。

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