第13話 ザーディの子守歌

 夕暮れ時になり、空気が冷えてきた。夜になれば、もっと寒くなるだろう。

 何日も森の中を移動してきたから、頭ではなく身体がわかっている。

「ルーラ、濡れたままだと風邪ひくよ。火、おこしたから温まろ」

 上に着ていたものを脱ぎ、しぼって近くの木の枝に干すと、ルーラは火のそばで身体を温めた。まだ元気のない表情のままだ。

「ねぇ、ルーラらしくないよ、その顔。いつもみたいに笑って」

「ん……ごめんね」

 ほんのわずか、ルーラは口の端を上げる。

 目も、目の周りも赤い。無理につくった笑顔は、かえって泣き顔に見えた。

 こんなのじゃ、ダメ。ルーラはいつも元気で、その元気を分けてくれるじゃない。

「ルーラ、寒い」

「え?」

「寒いよ、ぼく。いつもみたいに、魔法で毛布出して」

 ザーディはわざとわがままを言った。

 このままだと、ルーラは魔法を使うのをやめる、と言い出しかねない。また人に迷惑をかけるから、と。

 それはいやだ。自分への申し訳なさのために、魔法をやめてほしくない。

 ザーディはどうすればいいのかわからないが、とにかくルーラが魔法を使わなければいけない状況にしよう、と思ったのだ。

「でも……」

 案の定、ルーラはしぶった。が、ザーディだってあきらめない。

「やだ、寒い。火だけじゃ、前はよくても背中が寒いもん。毛布出して」

「また失敗するかも」

 ルーラは、ザーディから視線を外す。

「じゃあ、失敗しなきゃいいじゃない」

「……あっさり言ってくれるわね」

「失敗したって、ほうきやりんごが出るくらいだよ」

「それで済めばいいけど……」

「ねぇ、ルーラ、寒いよぉ」

 ザーディにせがまれ、ルーラは呪文を唱えた。

 出てきたのは、成功と言えるのか言えないのか、まるで絨毯みたいに巨大な毛布。

「わー、大っきい。ルーラ、ありがと」

 ザーディはさっそく毛布にくるまる。

「ルーラも早くくるまりなよ。身体、冷たくなるよ。大きいから、ふたりでも余っちゃう」

 ザーディにすすめられ、ルーラも冷えた身体を毛布にくるんだ。肌に触れる毛布の温かさが、とても心地いい。

 ザーディが寄って来て、ぴとっとくっつく。その体温も心地いい。

「ぼくの母様もね、おうた歌ってくれるんだよ」

 唐突にザーディが言った。話をしていないと大変なことが起きる、とでも言うように、一生懸命しゃべっている。

「どんなの?」

 この幼い少年が自分に気を遣ってくれているのが、ルーラには痛い程わかった。

 こんな小さな子に、気を遣わせちゃいけない……。

「あのね、いくつかあるんだけど、ぼくはこれが一番好きなの」

 ザーディはそう言って、透明な声で歌い始める。


 雨のしずく 水面みなもを打つよ

 静かな音を たてながら

 まるで小さな 鈴のように

 一つの曲を 奏でるように


 透ける青の湖に

 深く深く 沈んでゆく

 透き通った水の中に

 いくつも いくつも

 虹色の天の粒が

 いくつも いくつも


 やがて 静かな湖は

 七つの色に かがやいて

 七つの姿を 見せてくれる

 水が織りなす 七つの世界


 水の舞台は 光にあふれ

 妖精達が 躍り歌う

 ベールをまとい

 きらめいて


 時が経ち 雨がやんでも

 光は永久とわに あふれ続ける

 水面の上を すべりながら


 きれいだった。ザーディは元々、きれいな声をしている。歌うともっときれいだ。透き通るような声。

 歌そのものも、メロディもとても優しい。雨だれのような旋律。その雨だれが連なり、穏やかな音楽に。

 聞いているこちらまで、優しくなれそうな歌。心がゆったりと、凪いだ湖のように感じる。

「きれいね。湖が光ってるのが本当に見えそう」

「母様はね、もっときれいな声で歌ってくれるの」

「そう? ザーディの声もとってもよかったわよ」

「ぼく、初めて歌ったの。今、ちゃんと歌えてた?」

 ルーラは少し驚いてザーディを見た。

「初めて? ちっともそんな風には思えなかったわ。ちゃんと歌えてたわよ」

「よかった」

 ほっとした顔をして、ザーディは嬉しそうに笑った。

「ぼく、いつも母様に歌ってもらうばっかりで、自分で歌ったことなんてないんだもん」

 ああ、そうか、とルーラは納得した。

 今のは子守歌だから、まだザーディは歌ってもらう立場になる。親に子守歌を歌う時なんて、そうないだろう。これまで外へ出なかったザーディにとって、子守歌を歌ってあげる相手などいなかったのだ。

「ザーディ、本当に素敵だったわ。ありがとう」

 ルーラはそっと、ザーディの額にキスをした。

☆☆☆

 時間と場所は、少々戻り……。

「くっそー、また逃げられたかっ」

 ルーラの魔法でびしょぬれにされたノーデは、怒りのあまり頭から湯気が出ている。

 すぐに呪文を唱え、他の二人も含めて服を乾燥させた。だが、中途半端な魔法だったらしく、二人の服はまだ湿っている。

 こっちの方が余程、気持ち悪い。

「ノーデ、まだ濡れてるぜ」

 モルが文句を言ったが、ノーデはまるで聞いていなかった。

「あの小娘がぁ、つまらんマネをしおって。今度見付けたら、もう勘弁してやらん。どっかの女好きにでも売り飛ばしてやるっ」

「何もそこまでやらなくたっていいだろう」

 なだめるレクトを、ノーデはきっと睨み付ける。

「お前は本当にお人好しだな。金になるものは全部、金にしちまえばいいんだ。人身売買なんぞに興味はなかったが、あの小娘がわしを怒らせたのが悪いんだ」

「あの子だって自分を守るためなんだから、仕方がないぜ」

「竜の子を渡せば、それで自分を守れる。それをしないから、こんな目に遭うんだ」

 ノーデは文字通り、カンカンになっている。

「……俺、これ以上あいつらを追うの、反対だな」

 女子どもをおびえさすのは、どうしても性格に合わない。

 確かに、盗賊に遭えばさっさと有り金を渡せば済む話だろう。

 だが、彼女が渡せと言われているのは金ではなく、小さな子ども。ではどうぞ、と簡単に引き渡せるものじゃない。

 自分の命かわいさに渡すのは、むしろ大人がやることだろう。それに、彼女は魔法が使えるようだし、逃げるすべがある。それを使うのは当然。

 こちらにも魔法使いはいるが、ここまでくると単に、弱い者いじめを続けているだけの大人、みたいな気がする。

 それが盗賊なんだと言われたら、それまでなのだが。

「何言ってやがるんだ、レクト。せっかくの金づるなんだぜ」

「この中では、わしがリーダーだっ。わしはあいつらをどこまでも追うぞ。反対はさせん。レクト、お前は拾ってもらった恩を忘れたのか」

「忘れた訳じゃないけど……あんな小さい奴が、本当に巨万の富をもたらしてくれる程の材料、持ってるとは思えないぜ」

「んー、そう言われれば……あんなチビだからなぁ」

 言われて、モルも気持ちがブレる。だが、ノーデは動じない。

「確かに、あの子どもが竜本来の姿になっても小さいだろう。だが、あの小娘は何と言っていた? 北にいる両親の所へ連れて行く、と言っただろ。つまり、竜はこの森の北にいるんだ。それなら、あいつで足りない分は親に補ってもらえばいい」

「おおっ、さすがノーデ。頭いいねぇ」

 身体ばかり大きいモルが、手をたたいて喜ぶ。

「頭は生きてるうちに使うもんだ」

 自慢げに胸を張るノーデ。

「さぁ、追うぞ。今度はあの小娘が魔法を使う前に、こっちが先に使ってやるからな」

 また例の黒い鳥を出し、ルーラ達の逃げた(実はおぼれた)方へ向かえと指示する。

 鳥は小さな羽音をたてながら飛び始めた。

 その後を追いつつ、ノーデはこそっとモルを手招きした。

「竜の子を手に入れたら、あの小娘と一緒にレクトも始末しろ。どうするかは、お前の好きなようにしていい。わしのやり方にケチをつける奴は、もういらん」

「……まかせといてくれ」

 後ろでは何も知らないレクトが、小さくため息をつきながら歩いていた。

☆☆☆

「雨が降ってる……」

 そばでそんな声がした。

 ルーラが目を開けるとザーディは起きていて、空を見上げている。

 川の真上まで枝を伸ばしている木もあるが、薄暗くなる程に密集して生えていないので、空が見えるのだ。

 その空はどんよりと暗く、低くたれこめた灰色の雲から水のしずくが落ちてくる。その雨は強い。

「雨か……」

 ルーラはゆっくりと起き上がった。

「今まで降らなかった方が、不思議なのよね。何がいるかわからないこんな森なら、天気も変わりやすくたって不思議じゃないのに、ずっと晴れてたんだから。それにしても、せっかく空が見える場所なのに、やっぱり暗いわねぇ。真夜中以外、時間帯がさっぱりわかんないわ」

 うーん、とのびをした。

 それから遅ればせながら、気付く。雨が降ってるのに、濡れない。

 大きな木の根元で休んでいるからといって、全く雨がかからないはずがないのに。

 もう一度見上げて、わかった。

 自分達の周りに、うっすらとシールドが張ってある。透明なドームの中にいるようなものだ。このシールドが雨から守ってくれている。

 もちろん、今まで眠っていたルーラは魔法を使った覚えはない。使っても、こんなにうまくできるかどうか。

「ザーディが……やってるの?」

 隣りであくびをしている少年に尋ねる。

「ん? 何が?」

「何がって……この周りをおおってる奴よ」

「ルーラが濡れると風邪ひいちゃうから、今はここに入って来ないでって頼んだの」

「頼んだって……誰に」

 そう問われ、ザーディは困ったような顔になる。

「えっと……そう言われちゃうとわかんないんだけど。とにかくそう思ったの。そうしたら、ぬれなくなったから」

 無意識のうちに魔法を使っているのだろう。今までの魔法もほとんど無意識のうちにやっているのだから、今回もきっとそれだ。

「ありがと、ザーディ」

 ザーディがルーラのために、魔法を使ってくれている。それが嬉しい。

 出発してもシールドがついてきてくれているのか、ルーラもザーディも濡れないままで歩き続けられた。おかげで、快適に進める。

 雨足はさらに強くなってきているが、何でもないように行ける、というのはとっても楽だ。

 足下はすでに水をたっぷり含んでいるので、ぬかるみに足を取られるとすべりそうになるが、転びさえしなければ問題ない。

 もしこれがなければ、ルーラがカサなりレインコートなりを出さなければいけない。すぐに出てくればいいが、失敗してなかなか出なければ、その間にもズブ濡れになってしまう。

「またあいつらが来ないうちに、ザーディの両親に会わなきゃね。がんばろ」

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