第11話 穴の外にも敵

 お願い、転んでもケガしないで。

 そう祈りつつ、今度は自分が逃げなければいけない。

 止まる気がないのか、止まれないのか。カグーはそのまま、ルーラに向かって突進して来る。

 しかし、相変わらず周囲の様子がはっきりしないため、どの方向へ逃げればいいかわからない。かと言って、迷っている時間などなかった。

 ええいっ、こうなったら正面突破よ。

 少なくとも、カグーが来た方向にはある程度のスペースが存在するはず。あんな大きな身体があっても、壁に当たるはことなかったのだから。そこへ行けば、壁に激突することはない。

 あたしは、おとなしい女の子、なんて生まれてから一度も言われたことはないんだからねっ。

 自慢にならないことを心の中で叫びつつ、ルーラは構える。

「やぁっ」

 カグーが突進して来るタイミングを計り、地面を蹴った。

 右手をカグーの頭につき、そこを支点にして回転しながらカグーの後ろへ移動する。

 ルーラの予測では、カグーの後ろを取ったことで攻撃に転じることができる……はずだった。

 あくまでも、予測。

 カグーの頭に手をついて、側転するところまではよかった。

 が、カグーには鹿のような長い角がある。ルーラは、それを考慮に入れていなかった。熊の顔と身体しか、意識していない。

 その角に服が引っ掛かり、後ろではなく、カグーの横に落ちてしまった。

 早い話、カグーの頭から背中にかけてするはずだった側転を失敗したのである。

 パキンッという小気味いい音がした直後、ルーラは尻もちをつくようにして地面に転がっていた。

 想定外の動きになってしまい、まともに受け身も取れない。

「いた……」

 あまりの衝撃に涙が浮かんだ。が、いきなり絶叫が響き、その涙も引っ込んでしまう。

 横を見れば、カグーが悲鳴を上げてのたうちまわっていた。

「な、何……?」

 驚いて見ているうちに、カグーの身体がみるみるうちに縮んで行く。

 ふと気付くと、ルーラの服に何か引っ掛かっていた。カグーの角だ。

 尻もちをつく前に聞こえた音は、角が折れた音だったらしい。

「え……角が弱点だったの?」

 こんな大きな魔獣の角があまりにもあっさり折れたことに驚いたが、こうも苦しんでいるということは、弱点か急所だったのだろう。

 思いがけず、ルーラは攻撃できたということだ。

 カグーの声がしなくなると、ふいにフワッと奇妙な感覚がして、でもそれが通り過ぎても特に周囲に変化はなかった。

 だが、次第に周りの様子がわかるようになってくる。

 森の中そのものがそう明るくないので、穴の中にはぼんやりとした明かりしか入って来ないが、さっきよりも周りがどうにか見えるようになってきた。

 今いるのは、広さだけならルーラの部屋が入る程の穴蔵だ。見上げれば、立ち上がって多少がんばってジャンプすれば、外へ出られるくらいの高さしかない。

 カグーが、目くらましの魔法をかけていたのだろう。だから、さっき飛び上がった時、風を感じたのだ。

 実際、ジャンプした時にわずかながら穴の外へ出ていたのだが、目をくらまされて出てないように思い込まされていたのだろう。

 そのカグーはと見ると、小さなしかばねとなってそこにいる。

 ただし、そこにいるのは熊ではなくきつねだ。

 ルーラが知っているきつねより小さい。たぶん、まだ成長しきれてないのだ。

 その頭には、もう一本の長い角が残っている。

「ルーラ……」

 ザーディが小さな声で呼んだ。

 はっとしてルーラが声のした方を向くと、そこにザーディが座り込んでこちらを見ている。

 自分のお尻の痛みも忘れ、急いでルーラはそちらへ駆け寄る。

「ザーディ! どこもケガしてない? 大丈夫?」

 顔、手、足、身体の各部をチェックする。

 見た目はケガなどなさそうだ。骨も折れていないし、ザーディが痛みを訴えることもない。

「あー、よかったぁ。突き飛ばした時にケガしないかって、ヒヤヒヤしてたの。壁に当たったりしたらって」

 ほっとしたルーラは、ザーディを強く抱き締めた。

 そうしてもザーディが痛がる様子はないので、本当にケガはしていないのだろう。

「ルーラは平気?」

 同じようにルーラを抱き締めながら、ザーディも聞いた。

「あたしは何ともないわ。それにしてもあいつ、熊だと思ってたら、実はきつねだったのね。ザーディ、あいつがきつねだってわかったから、きつねって言ったの?」

 カグーの頭に残っていた角が、ポトンと落ちた。その下に、ルーラの爪サイズの角がある。

 あの長い鹿の角は、相手を威嚇するためのまやかしだったらしい。それを無理にもぎ取られ、本当の角に影響があったのだ。

 妙な気を起こすから、命取りになってしまった、というところか。

 魔獣には違いないが、恐らく自分の姿に不満を持ち、それであんな姿をとっていたのだろう。

 もしくは背伸びしたい年頃、だったのかも知れない。大きな身体の熊にしては声が甲高く、不釣り合いな気がしたのだ。

「きつねの姿が見えたから、言っちゃったの。そうしたら、怒られちゃった」

「そうか、ごまかしても、ザーディには本当の姿が見えるのね……。でも、結果的にはザーディのあの一言でうまくいったようなものよ。ありがとう」

「ぼく……何もしてないよ」

 お礼を言われても、言われる程のことをしたつもりのないザーディは、面食らっている。

「うふ、いいのよ」

 何がいいのか、ザーディはわからないままだったが、ルーラがまた抱き締めてくれるので、それ以上は何も言わなかった。

「さ、外に出ようか」

「きつねはどうするの?」

 カグーは横たわったまま、もうピクリとも動かない。このサイズでは、ルーラやザーディを喰うことは無理だっただろう。

 自分が勝っても、適当にちょっかいをかけたら帰すつもりでいたかも知れない。

 殺すつもりはなかったが、魔獣の最期にしてはあっけなかった。もう死んでいるのなら、悪口を言う気もない。

「埋めて森の土に返してやりましょ。今度は、生まれた姿に満足できるようにね」

 ルーラは穴蔵の中で、きつねの身体が入るような穴を掘る。ザーディも一緒になって掘った。

 堀り終わるとカグーをその中へ入れてやり、つけていた角も一緒に入れてやる。

 あの熊の姿が信じられないくらい、小さな身体だった。

☆☆☆

 先にザーディを外へ押し出し、そのザーディに引っ張り上げてもらってルーラもどうにか穴から這い出し、ようやく外へ出た。

「はぁー、多少薄暗くても、やっぱり外の方がいいわね。どれくらい、穴の中にいたのかしら」

「長くいたみたいだよ」

「うん、それもカグーの魔法だったかも知れないでしょ。実際の時間はわからないわね。……まぁ、いいか。到着の時間を指定されてるんじゃないんだし」

 このあたり、ルーラの適当な性格がよく出ている。

「やっと見付けたぞっ」

 小さく鳥の羽ばたく音がし、覚えていたくない声が後ろからした。

 カグーの声も思い出したくないが、こちらも相当だ。

 もう、顔を見なくてもわかる。ルーラは大きく息を吐いた。

「まぁったく、てこずらせおって。だが、わしからは逃げられんぞ」

「いい加減にしてよっ」

 振り向きざま、ルーラは怒鳴った。

 そこにはやはり、あの魔法を使うチビ男をリーダーとした、盗賊三人組が立っていたのだ。

「あーあ、もう……。きつねの次はたぬきか。次から次とよく出て来るわね、この森は」

 普通のきつねやたぬきならかわいいが、みんな魔法を使うのが困った点だ。

 ついでに言えば、かわいげのかけらもない。

「誰がたぬきだっ」

「ピッタリの表現だな……」

 ノーデが怒鳴り、レクトがその横でポツリとつぶやいた。

「前言撤回。たぬきに悪いわ。まったく……何度言ったらわかるのよ。この子は竜じゃないって。北にこの子の親がいるから、送るだけなの。大人だったらあたしの言うこと、理解してよ」

 もうあきれるしかない。

 ここ数日、何も起こらず順調に進めたのに、急に立て続け。こんなことばかり起こるなんて、冗談でもやめてほしい。

 これではいつザーディを送り届けられるか、わかったもんじゃない。

 一方、本当ならノーデ達はもっと早くに追い付いた……はずだった。

 だが、大した実力を持たないノーデの魔法では、出した鳥がすぐに消えてしまう、ということが何度も続いていたのである。

 モルやレクトは、ここまで来られたのは奇跡に近い、なんてことまでこっそり考えていたのだ。

 追い付けたのは、本当にまぐれかも知れない。ルーラとザーディにすれば、迷惑なまぐれだ。

「わしはちゃんと、理解してるさ。ただし、それが嘘だってのをな」

「あたし、嘘なんてついてない! 失礼な言い方、しないでよっ」

 今日はムカついてしまう存在ばかりに会ってしまう日である。ストレスでどうにかなってしまいそうだ。

「まぁ、そんなことはどうでもいい。その子さえ渡せば、用は済むんだ。痛い目をみるのはいやだろう?」

 ザーディを渡せ、とノーデが迫る。ルーラはノーデを睨みながら、ザーディを後ろに隠した。

「いい加減にしろよ。いつまでも甘い顔はしてやらんぞ」

 ルーラの反抗的な態度を見て、モルがのそっと一歩出る。

「いい加減にしてっていうのは、あたしが先に言ったのよ」

 モルが出た分、ルーラは一歩下がった。本当なら、その場に踏みとどまって睨んでやりたい。

 でも近くにいて腕でも掴まれたりすれば、魔法を使う前に何かされることだってある。

 ノーデの魔法力は微妙でも、男三人の腕力には対抗しきれない。自分が何かされてる間に、ザーディが連れて行かれるのは絶対に避けたかった。

 だから、少しでも離れているために下がったのだ。

「だいたい、この子が竜だとしても、なんであんた達に渡さなきゃいけないのよ。渡したら最後、何をされるかわかったもんじゃないわ」

「わしらがこの子をどうしようが、お前には関係ない」

「あるわ。関係大ありよ。この子は大切な友達なのよ。たとえあたしとこの子が見ず知らずで通りすがりってだけでも、あんた達が関わろうとするだけで、あたしは邪魔してやるわ」

「このガキ、大人に対する口のきき方を知らん奴だな」

 モルが腕を伸ばしてきたので、ルーラはさっと逃げる。

「どこまで追いかけて来たって、無駄よ。あたしはこの子を、ぜぇったいに渡したりしないから!」

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