第9話 姜斉

 せい


 強盛を誇るも田氏でんしに簒奪を食らい滅びるという、しんと同じく The 春秋時代しゅんじゅうじだい! と言う感じの国。はじめの春秋五覇しゅんじゅうごはを輩出したのも大きい。しかし例によって十八史略は春秋五覇の登場より前にはぜんぜん注意を払わぬ。やはりここも春秋を読め、と言うことなのか。


 そして、その桓公かんこう晋文公しんぶんこうに較べればまだ扱いはましなものの、やはりひどい。博愛主義! みんなだいしゅき! が行きすぎた結果変なやつまで愛しちゃっておしまい、と言う感じである。他に書くべき功績もある気がするのだが。と言うか、桓公よりも管仲かんちゅう鮑叔ほうしゅくの扱いのほうが大きい。こうした辺りにも、曽先之そうせんしの春秋五覇ヘイトの片鱗を見るかのようである。春秋五覇まわりについては後々全員をまとめて確認しておきたく思う。


 桓公かんこうが死亡すると起こった後継者争いにはそう襄公じょうこうも関与しておる。まぁ外国の宋にしてみれば斉の国力が落ちてくれたほうがありがたかったのであろうが、ともあれその後の斉は廃立弑逆祭である。ひどいことになっている。景公けいこうにたどり着くまでの歴代斉侯は以下の通り。


 姜無詭 桓公の子、即位後即暗殺。0年。

 孝公  桓公の子、衛公の画策で弑逆。9年。

 昭公  桓公の子、病死。19年。

 斉君舎 昭公の子、即位後即暗殺。0年。

 懿公  桓公の子、驕慢の末弑逆。4年。

 恵公  桓公の子、病死。9年。

 頃公  恵公の子、病死。16年。

 霊公  頃公の子、病死。27年。

 荘公  霊公の子、崔杼の妻に手を出し殺される。5年。


 桓公の死が -643 年で、景公即位が -547 年。普通に考えれば病死の四名で回りそうなところ、その倍の人数がかかっておるわけである。どれだけ侯位が血にまみれたのかがわかろうというものであるな。それにしても崔杼さいちょ弑君しいくん(崔杼が君主を殺した)はさすがにお子ちゃまに読ませるには暗黒面過ぎると曽先之が考えたのであろうかな。

 荘公に妻を寝取られた崔杼が怒って荘公を殺すと、当時の太史(※歴史著述家のこと)兄弟が「崔杼弑君」と記録、これに怒った崔杼が兄ふたりを殺しても、一番下の弟もまた兄の残した記録を撤回しなかった、と言うものである。中国史における歴史記述を語る上では決して外せぬエピソードではあるとも感じておるのだが、……まぁ、考えてもみれば曽先之先生はご自身の主張のためであればゴシップをねじ込んでも構わぬと言う姿勢でおられたな。晋文公のゴシップねじ込みは本当にひどすぎたものな。その意味で曽先之先生を史家と呼ぶのは厳しいのやも知れぬ。過日頂戴したレビューにて、十八史略について「ゆっくり解説」というお言葉を頂戴したが、やはりそのあたりの位置づけがふさわしいのやもな。

 なお「崔杼弑君」については、他小説サイトにて恐縮であるが佳穂一二三かほひふみ様が「歴史家の三兄弟 〜生命か、天命か〜」と題し、物語とされておる。ご一読をおすすめする。

https://novelup.plus/story/217183168

 崔杼まわりについてはこちらの物語に心動かされたゆえ印象深い、というのが賞味のところでもあるような気はする。


 こうしたどさくさを経て十八史略は景公の段にいたり斉が復興した、と書くのであるが、その功績についてはご覧のとおり、すべて晏子あんし晏嬰あんえいの手柄とされておる。というのも孔子のところを見れば分かる通り、原則として景公は悪者扱いである。世説新語せせつしんご蒙求もうぎゅうを覗いても、

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054885013677

https://kakuyomu.jp/works/16816700428584992583/episodes/16816700429079956284

 ……威勢こそ誇ったが人々からは尊敬されなかった、と書かれる。対する晏嬰が慎ましきを貫いた、と書かれており、この辺りには「僕らの孔子さまをやっつけようとした景公は悪いやつ! けど晏子は孔子さまによくしてくれてるからいいやつ!」的な印象を受ける。とは言え正直どこまで晏子と孔子に接点があったのか、という部分には、疑問符を抱かざるを得ぬ。晏子に一瞬もてなされただけのことを「仲良くした」と語っておるのではないか? と思えてしまうのである。


 景公死亡後、十八史略は一気に巻いて姜斉を滅ぼす。そのぶっ飛ばしぶりの激しさたるや半端ないのであるが、のちの田斉を立てる田氏のエピソードを露骨に載せ、さも「景公が姜斉滅亡の契機を立ち上げた」とでも言わんばかりである。無茶言うな。



 ◯



 史記 史略 史記比 史略比 比率対

姜齊 7090  519  6.37% 3.83%  60.17%

魯  5722  673  5.14% 4.97%  96.67%

晉  12078  397 10.85% 2.93%  27.02%

田斉 5644 1643  5.07% 12.13% 239.27%


 史記と十八史略との文字数比率比較にあたり、いくつか参考になりそうな国と合わせて載せさせていただく。まず晋文公、晋を経て姜斉を見るに、「晋に比べて姜斉のほうがマシ、けどやっぱ好きくない」がにじみ出ておるのが伺える。

 戦国時代の国々は史記世家よりも史記列伝よりの取材を厚くしておるため、一概に比べようがない。そこで比較すべきは春秋の他の国、ということになる。明らかに魯の扱いが重い。孔子を別口にした上で、この差である。「中原人サイドの」春秋五覇嫌いが、国へのヘイトにまでつながっておる印象を否めぬ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る