春秋時代コメンタリー

第8話 晋

 しん


 作者は現在、はに丸様の『父の仇に許された』

https://kakuyomu.jp/works/16817139555463331404

 にて履修済という、はに丸様が聞いたら血の気を思い切り引かせて「そんなことせずにちゃんと左伝と国語を読め! そっちで学べ!!!!」と絶叫させてしまいかねぬ状態である。


 文公の話がくる前に既にいちど分裂しかけて傍流が主流を食ったりと、この国もなかなかに忙しい。こちらもやはりはに丸様が『創世記』として展開をなされておる。

https://kakuyomu.jp/works/16817330662502026894


 春秋時代の覇権国になったにもかかわらず、いや、ある意味ではなったからこそ諸侯らに食われ分裂する末期を迎えるなど、まさに栄枯盛衰を地で行っている感じがあり、非常においしい国である、と言えよう。


 文公ぶんこうに関しては、苦楽をともにした臣下を大事にせず、むしろ焼き殺す「と言う印象を持たせている」。ちなみに史記しき、左伝はともに文公はただ探すに留まり、いったいお前はどこからそんなねじ曲がった逸話を持ち出してきたのだ、と思えてならぬ。十八史略に慣れ親しんだ少年少女が史記左伝の記述に当たったら、どのような顔をしたのであろうかな。

 ここで「なんでそうなったねん」の元ネタを探してみたところ、南朝なんちょうりょう宗懍そうりんが編纂した『荊楚歳時記けいそさいじき』の引く『琴操きんそう』(後漢ごかん蔡邕さいようが編んだとされる琴の技術書)に載っていたエピソードであるという。そこには「晉文公與介子綏俱亡,子綏割股以啖文公。文公復國,子綏獨無所得,子綏作『龍蛇之歌』而隱。文公求之,不肯出,乃燔左右木,子綏抱木而死。文公哀之,令人五月五日不得舉火。」とあった。まさに十八史略の語った通りの内容である(介子綏は介子推と同音である、何らかの避諱の必要があったのであろう)。それにしても略式とは言えいやしくも史書にゴシップをねじ込んできておる辺り、結局のところ曽先之による文公ヘイトはむしろ強化されるに過ぎぬのだがな。


 上掲『父の仇に許された』は文公の時代後期より襄公じょうこうを経て靈公れいこう趙盾ちょうとんに殺されることをクライマックスとする。そしてしんから成公せいこうを迎え即位させたところに、六卿の権勢強大化の萌芽があった、と語る。Wikipedia 成公の項にも「即位した成公は卿の嫡子を任官させて公族とし、その同母弟を余子とし、庶子を公行とした。これによって晋には公族、余子、公行という三族がうまれ、卿たちの力が強まるきっかけになった。」と書かれておるが、これはどこから引っ張ってきた言葉なのかな。とは言え十八史略は晋公の権威が下がり、代わりに六卿の権力が上がってくる流れの端緒を、明らかに文公死後に置いておるので、言外にこの言葉を裏付けておる印象はある。


 →なた様よりのご提示を頂戴した。春秋左氏伝宣公二年の末尾とのことである。いわく「冬.趙盾為旄車之族.使屏季以其故族為公族大夫.」。用語そのものは登場せぬが、確かに趙盾によって大夫の血族の地位が引き上げられた、と語られておる。


 晋・斉・魯の三国については、曽先之が意図的に「諸侯から臣下に権勢が下りていった」ことを強調しておる印象もある。ここについてはわかりやすい物語という感じで、一概に首肯しきるわけにも行かぬのだが、まぁそういった辺りについての検証をしたければ、それこそ最低でも史記左伝に当たるべきであろうな。そちらを読んでもなにひとつわからぬであろう予感もするのだが。


 ○


 さて今回十八史略を再読するにあたり、史記の各世家と十八史略の各国記述の文字数をカウント、比較してみた。そして史記中における各国比率、十八史略における各国比率を算出。この両者を比較することで、史記を基準とした十八史略における重要度の変化を占ってみた。以下が結果の総覧である。各国についての感想についてはそれぞれの国のコメンタリーにて行おうと思う。


   史記 史略 史記比 史略比 比率対

西周 4859 1095 4.36% 8.08% 185.23%

東周 2741  430  2.46% 3.17% 128.94%

秦  10458 2025  9.39% 14.95% 159.15%

吳  3657  337  3.28% 2.49%  75.74%

姜齊 7090  519  6.37% 3.83%  60.17%

魯  5722  673  5.14% 4.97%  96.67%

燕  2387  678  2.14% 5.00% 233.46%

蔡  1510  41 1.36% 0.30%  22.32%

曹   781   25 0.70% 0.18%  26.31%

陳  1806  56 1.62% 0.41%  25.49%

衛  3211  281  2.88% 2.07%  71.93%

宋  4126  211  3.71% 1.56%  42.03%

晉  12078  397 10.85% 2.93%  27.02%

楚  10568  602  9.49% 4.44%  46.82%

越  2462  90 2.21% 0.66%  30.05%

范蠡 1149  134  1.03% 0.99%  95.86%

鄭  4578  107  4.11% 0.79%  19.21%

趙  11316 2106 10.16% 15.55% 152.97%

魏  5245 1000  4.71% 7.38% 156.71%

韓  2362  334  2.12% 2.47% 116.23%

田斉 5644 1643  5.07% 12.13% 239.27%

孔子 7142 584  6.41% 4.31%  67.21%

老子  457 179  0.41%  1.32% 321.94%

合計111349 13547


 と言うわけで、ここでは晋にのみ着目しよう。ひどい。いくら戦国時代の内容が各世家+列伝で構成されるぶん厚くなるとは言え、さすがに削られすぎではなかろうか。これはもしかして晋の文公が嫌いなのではなく、晋という国そのものが嫌いなのでは、と疑わずにもおれぬ。

 もっとも、十八史略を読むとはいっても左伝については史記以上に読み込まれたことであろう。ならば春秋時代の各国については「左伝を読め」で簡略化されたのやもしれぬな。……いや、それだと姜斉の縮小率との差に説明がつかぬな。やはり晋初期の弑逆事件、分家筋の曲沃きょくよく武公ぶこうよくの宗家筋、晋侯緡しんこうびんを滅ぼした事件を「非礼也」として扱い、晋はクソだったので三晋に乗っ取られたのも当然である、位の気持ちでいたのやも知れぬ。

 考えてもみれば、晋は景公けいこうの代に北方の狄を討伐している。曽先之の時代で言えば西夏せいかやモンゴルがあった地域の異民族であり、こうした夷狄の制圧を大喜びしそうな曽先之がオミットしておるのにも違和感がある。やはり曽先之は晋が嫌いだったのであろう。




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