口笛


 エピソードタイトルを見た瞬間、ドキッとした。

 昨日の夕食時のニュースで聞いた言葉だ。日常的に使うものじゃないし、ましてや殺人事件の現場に落ちているなんて珍しいから、怖いと思って印象に残っている。


 エピソードの公開日時は、昨日の二十二時二十三分だった。

 なんとなく不安になったけれど、やめるのも変な気がして、先へ進む。


『第53話 ピザカッター


 8月30日


 先生、あのね。

 今日、御園エフさんに、会ったよ。』


「えっ」


 思わず声が出た。

 どうしてエフさんの名がここに?


『おととい、口笛で、呼んでくれたよ。』


 決まり文句らしきその一文に、背筋がひやりとした。

 月曜に更新されたエフさんの最新話、主人公が口笛を吹く描写があった。


『駐車場で、会ったよ。

 手土産を見せたら、驚いたよ。

 トマトソースのピザ食べたみたいに、お口が赤くなったよ。

 トマトソースのピザ入ってるみたいに、お腹も赤くなったよ。

 刃が小さいから、時間がかかりました。

 マグロが好きなら、良かったな。』


『***


 御園エフさんに会えて良かったですね。

 自分の感想も、上手に書けています。

 お外で会えなかったら、どうしていたのかな?

 お部屋へ上がらせてもらう方法も、今度は考えてみよう。』


 勢いよくラップトップを閉じた。


 〝***〟の応援コメントに不吉な予言めいたものを感じた。真っ暗な中で弾かれたように立ち上がり、窓とカーテンを大急ぎで閉めに走る。


 頭の中に変な想像が渦巻いていた。


 エフさんは口笛の描写をしたから、あいつを呼び寄せた。

 あいつはエフさんがピザ好きだと知って、それにちなむ凶器を持参した。

 エフさんは殺された。そして昨日のニュースに出た――


 バカバカしい。そんな現実、あるわけがない。

 そう考えようとしても動悸が収まらない。少しの隙間もないようにカーテンをぴっちり閉める。電気を点けようとしてやめた。点けたら部屋にいることがバレる。


 あいつは私の呟きノートに「いいね」を押して、小説にコメントを残した。

 エフさんのところと同じように、「金槌、お好きなんですね」って。

 次は私?

 いや、そんなわけがない。


 そもそも私は、小説で口笛の描写なんかしていない。百歩譲ってこの想像が正しいとして、怖がる必要なんてないはず。

 そうだ。たまたま呟きノートを見られただけ……


 背中に電流が走るようにして、私は突然「それ」を思い出した。

 確かに小説で口笛の描写はしていない。でも、呟きノートで顔文字を使った。

 誰がどう見ても、口笛を吹いている顔文字を。


 ピンポーン。

 急にドアチャイムが鳴った。


「ひッ」

 腰を抜かしてその場にへたり込む。


 ドンドン、と玄関扉が叩かれた。

 大丈夫ですか? 中にいますか?

 男性の声だ。警察です、と言っている。

 ご近所の方から通報があって。


 この部屋のバルコニーに、金槌を持った男がいるって。


 閉めたばかりの窓とカーテンに背を向けて、私は這いつくばって玄関方面へ逃げた。悲鳴は音にならなかった。


 なんで? なんで? エフさんと違って私、文字で書いたわけじゃないのに!


 大丈夫ですか。そう呼びかけてくる声に必死で向かう。

 洗濯籠を倒し、パンプスを蹴散らしてドアノブに縋り、チェーンと鍵を外す。


 扉が開かれた。

 足腰が絶たなくて私は、四つん這いになって外に出ようとする。

 ヒュッと風を切る音が聞こえて、視線を頭上に向けた。

 重く硬い何かが眉間にめり込んだ。


     *


『おはようございます! 久々の呟きノートになりました。

 いや~、最近、物騒な事件多くありません?


 今朝も金槌で殴られた女の人が……って。

 こないだのピザカッターも衝撃だったけど。。


 正直、へこみます。何にって、自分の心根に。


 たとえば、被害に遭ったのが一人暮らしの女の人だと、俺は大丈夫だなって、心のどこかで思っちゃうんすよね。

 そういうこと、ありません?


 まー、小説なんか書いてるからには、自分の嫌なところ見つめるのも必要なのかな……なんて思って、今朝はあえて負の感情呟いてみました。


 閑話休題。


 夏も終わりだし、本当にあった怖い話します。


 小さい頃、親父によく言われたんですよ。夜中に口笛吹くと泥棒が来るからやめろって。あれ、人によっては蛇が来るって言われるみたいだけど。

 要するに、何か嫌なものが来ちゃうってことですよね。


 昨夜、うっかり吹いちまったんです。口笛。

 したら、黒い影がササって……。


 はい。出ました。親父の言うことは聞いとくもんですね。

 出たんですよ。掌サイズのデカいGが。

 恐ろしくて夜眠れませんでした……。


 ではでは、大学行ってきます!』



 口笛でいきますさんが2023年8月31日 09:04にいいねしました。




<了>

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口笛でいきます 鐘古こよみ @kanekoyomi

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