エフさん


 翌日の昼休み。社食の日替わりランチをハイスピードで食べ終えた私は、うきうきとスマホを手にして「ヨミカキ」を開いた。


 今日は木曜日。大好きな異世界ファンタジー『慟哭のアレシオン』の最新話が更新される日なのだ。作者の御園エフさんとは、互いに呟きノートを書けば必ずコメントし合う仲だ。昨日の呟きノートにはコメントを頂けなかったけれど、今日の更新に向けて忙しくしていたのだろうと、大して気にしていない。


 『慟哭のアレシオン』は今、最大のクライマックスを迎えるところで、エフさんは見せ場の描写に悩んでいると、前々回の呟きノートで吐露していた。


 それが、どうにかなりそうだと前向きな文章になったのが、一昨日のこと。目途がついたから、仕事がお休みの木曜午前に最後の推敲をして、正午に更新します! と高らかに宣言していたのだ。


 うきうきと通知ランプの灯ったベルをタップする。交流があるユーザーさん達の更新情報の中に、エフさんの最新話も交ざっているはずだ。

 そう思ったのだけれど、予想に反して、エフさんの更新は通知されていなかった。


「あれ?」


 おかしいな。スマホ画面を何度か確かめてから、今度は直接エフさんのページへ行って、小説の話数を確かめてみる。全て既読になっている。

 フォローが外れているわけでもなかった。目次の一番最後の話をタップする。


 やはり読んだことのあるシーンだったけれど、エフさんの力のある描写に惹き込まれて、自然と目が文章を追っていた。


 奴隷の身分に落とされた帝国の第六皇子アレシオン。

 苦難の中で身に着けた己の能力を、ついに開花させる時が来る。

 大艦隊で攻め入ってきた敵国の船のマストに縛り付けられた状態で、たった一つ自由になる唇を使い、帝国の守護神獣を呼ぶのだ。

 強い風の吹き荒ぶ海上で口笛を鳴らす。

 その音は敵兵には聞こえないけれど、遠い昔に血の契約を交わした、今では邪神と呼ばれている伝説の竜レジェンド・ドラゴンの耳には届く――。


 ここで次回へ続く、なのだ。コメント欄は「待ちきれない」という悲鳴に溢れていた。私も同じく悲鳴を書き込んだ。今はもっと増えているかもしれないと思い、コメント欄を開く。


 昨日読んだ人からコメントが入っていたけれど、エフさんからの返信はなかった。


 小説の場合、サムズアップの「いいね」の代わりに、ハートマークを押して無言の応援をすることもできる。

 誰がいつハートを押したかは、誰でも見ることができた。前回更新の月曜から今日までの間に読者が増えたんじゃないかと思って、そちらの詳細を開いてみる。


 やはり増えていた。月曜から木曜までの四日で六人も。うわ、すごいな。私のところとは雲泥の差だ……と思った時、〝口笛でいきます〟というユーザーネームを見つけて、ハッとした。


 あの人だ。エフさんのところにも来てたんだ。


 ハートを押したのはどうやら、月曜に私が読んだ直後らしい。

 ここで私の存在を知ったのだろうか。


 気付けば、昼休みが終わる時刻だった。

 『アレシオン』の続きが読めなかったのは残念だけれど、きっとエフさんのこだわりが爆発して、更新が遅れているのだろう。

 ひとまず、仕事に戻ることにした。


     *


 今日こそ残業しないつもりだったのに、やはり遅くなってしまった。家に着くと二十一時少し前だったから、まあ昨日よりはマシだ。

 もちろん自炊する気にはなれなくて、スーパーで半額の弁当を購入済み。今日のメニューは雑穀米とひじきハンバーグのセットだ。野菜の煮物も付いている。


 夜は大分暑さが和らぐようになったとはいえ、古い木造アパート二階にある部屋には昼間の熱気がこもっていた。いつもは帰りの時間に会わせてエアコンのタイマーをセットしておくのに、今日はすっかり忘れていたのだ。

 玄関入ってすぐのところにあるキッチンの換気扇を回し、奥の洋室六帖間の掃き出し窓とカーテンを半分開けて、網戸にする。同時にエアコンをフルパワーで稼働。


 虫が来ると嫌なので、しばらく電気は点けないことにした。座卓のラップトップを立ち上げ、いつもの習慣で「ヨミカキ」へと真っ先にアクセス。ベルに赤い通知ランプが灯っている。


 エフさんの更新かと期待して開いた私は、たじろいだ。

 〝口笛でいきます〟さんが、連載中の小説にハートで応援してくれていたのだ。


 初めての連載に挑戦中のミステリー小説だった。

 不動産会社の社長が頭部を破壊されて殺害され、凶器とみられる金槌が出てきたが、鑑定の結果、その金槌がかなり古いもので、五百年前の宮大工の名が記されていると判明した……というのが、最新の五話までの内容。


 その五話分を、全て読んでくれたらしい。最新話にハートを押した時刻を見ると、ほんの数分前だ。


 ありがたいけれど、素直に喜べなかった。

 あの変わったエッセイだか小説だかの書き手だと思うと、お礼に読み返すのもちょっと……と思ってしまい、なんだか申し訳ない。


 複雑な気分を抱えつつ、私はエフさんの更新通知を探したのだけれど、昼間と同じくどこにも見当たらなかった。

 もしかして、体調でも崩したのだろうか。


 エフさんの呟きノートへ行ってみた。

 何か追記や訂正があるかもしれないと思ったのだ。それに、同じように心配している誰かがコメントを入れていて、それに返信しているかも。


 仄かな期待を抱きつつ、最新の呟きノートを開いて、コメント欄の一番下まで画面をスクロールさせる。

 ギクリとした。

 「ピザ、お好きなんですね」

 一言だけのコメントがあって、ユーザー名は〝口笛でいきます〟さんだった。


 エフさんがこの呟きノートの最後に、「更新の目途もついたし、今夜はピザ注文しちゃおう♪♪」と書き込んでいたから、それに対する反応なのだろう。

 書き込みの日時は昨日の十六時五十三分。エフさんからの返信はない。


 他のユーザーからのコメントもなかった。

 心配しています、の一言くらい書こうか。でも、体調が悪いなら返信させてしまうのも申し訳ないし、更新を急かしているようになってもいけない。


 迷いながら一度自分のページに戻ると、ベルの通知ランプが再び赤く灯っていた。

 〝口笛でいきます〟さんから、ミステリーの最新話にコメントが来ている。

 「金槌、お好きなんですね」

 エフさんのところで見たのと同じ調子の文だった。


 いつもは寄せられて嬉しいはずのコメントなのに、嫌な気分になった。

 凶器が金槌だからって、普通、こんなコメントする?

 しかも、一部を変えただけのコピペみたいな、明らかに使い回しの文で。

 この人とはたぶん馬が合わない。あまり自分の小説を読んでほしくない。


 「ヨミカキ」に来て初めて、相手をブロックすることを考えた。そうすれば確か、コメントなど書き込めなくなるはず。

 思い付いた勢いで〝口笛でいきます〟さんのページに飛んでいた。でも、いざブロックの操作をしようとしたところで手が止まった。


 もしかしてこれ、相手にもわかっちゃうのかな。

 想像よりずっと怖い人で、逆恨みされたらどうしよう。


 考えあぐねて、どんな人かもう一度確かめようと思い、「口笛日記」のタイトルをクリックした。ここ以外にこの人を知る場所がないのだから、仕方ない。

 昨日読んだ部分は公開日が三年前だった。もしかしたら、最近は全然違う内容になっているかもしれない。最新話を読んだ方が判断しやすいと思ったのだ。


 長い目次をスクロールすると、一番下に最新エピソードのタイトルが現れた。


「第53話 ピザカッター」

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