第十話  溘焉 〜こうえん〜

溘焉こうえん……にわかに。多く、人の死去のさまにいう。




     *   *   *




 線を引こう。


 生者と死者の間に。

 血を分けた兄と弟の間に。

 あたしが分かちがたく愛してしまった二人のおのこの間に。


 線を引こう。


 油をまいたら、蠟燭ろうそくで火をつけよう。


 ほら、線がひけた。


 兄の自死を目の当たりにし、広瀬さま───月草つきくさきみが茫然自失となって動かないままだったのは、都合が良かった。


 月草の君は、燃え上がる炎に我に帰り、


椿売つばきめっ、に、逃げよう……。」


 と、必死にあたしを生者の側に招き寄せようとしてくれたけれど、もう、あたしと月草の君の間には、炎の線が引かれた後。

 月草の君の手は、あたしに届かない。

 あたしは月草の君へ別れを告げ、さっさと奥の部屋へ、動かない意氣瀬さまを引きずっていった。

 もう、月草の君は一人で逃げた頃だろう。


 ……ごめんなさいね。


 あたしは、意氣瀬さまと一緒に逝くわ。


 ずっと、ずっと、苦しかった。


 こんなのいけない、とわかっていたのに、女官達が皆ため息をつく凛々しさを持ち、若さゆえの傲慢さえも魅力的な広瀬さまに、まっすぐ恋情をぶつけられて、───あたしは堕ちてしまった。


 意氣瀬さまと、広瀬さま。貴い二人の若さまから、一心に狂おしい恋情を向けられて、


(ああ、こんなにもあたしは愛されている。おみなは大勢いるのに、あたし一人が、二人からの愛を独り占めしている。)


 と、甘く頭が痺れるような陶酔があたしを溺れさせた。


 広瀬さま、と名前を呼ぶのがはばかられて、月草つきくさきみと呼んだ。

 逢瀬おうせの間は、愛子夫いとこせがいながら、他のおのこに、しかも愛子夫いとこせの実の弟に身を与えている罪深さから、少しでも目をそらしたくて。


 若く魅力的で、これからいくらでも良い妻を得ることができる、月草の君。


 これは若いおのこの一時の激情だ。きっと、すぐに熱は冷める。

 だから、その間だけ。

 その一時にあたしは付き合っているだけ。


 そう自分に言いきかせて、月草の君からどんなに、


「恋うている。」


 と言われても、あたしからは、恋うている、との言葉を返したことはなかった。

 なのに、月草の君は、あたしの奥を甘く揺さぶりながら、


「おまえは私のいもだ。愛子夫いとこせと呼んでくれ!」


 とあたしの愛をこいねがった。

 そのように愛されて、あたしはますます、月草の君とのさ寝に溺れてしまった。

 どうしても、月草の君を手放せなかった。

 愛の言葉をかたくなに与えないままに。




 でも、この炎の線に隔てられたつい先程。


 とうとう、月草の君へ、恋うている、と口にしてしまった。

 明かしてしまった。

 あたしの罪深い心のうちを。

 真実、意氣瀬さまを愛しながら、同時に、広瀬さまを愛してしまったのだと。


 この心を明かしたならば、もう生きてはいけない。


 あたしは、意氣瀬さまのいもなのだから。


 もう、月草の君に別れの挨拶はすませた。


 ───月草の君には、生きてほしい。

 ───あたしの愛子夫いとこせ、すぐに参ります。


「ごほっ、ごほっ。……黄泉では、もうあたしをいじめてくださいますな。」


 そう言って、膝枕をした意氣瀬さまに口づけをする。

 血の味がする。


 意氣瀬さまは、あたしを責めさいなんだ。

 ……あたしの身体が不実であったのだから、当然と言えば、当然だ。

 あたしが悪い。


「ごほっ、ごほっ───。」


愛子夫いとこせがどんなにあたしを恋うてくれていたか、あたしはちゃんと分かっていましたよ。

 人として一番大切なもの───。

 命をあたしにくれる事までしなくたって、ちゃんと分かっていましたよ。)


 ぼた、ぼた、あたしの涙が意氣瀬さまの頬に落ちる。


「ごほっ、ごほっ!」


(でも、嬉しいです。

 ここまで、愛のあかしを立ててくれて。

 あたしも、愛の証を返しましょう。

 あたしの命を捧げます。愛子夫いとこせ。)


 もう部屋のなかは、火の海だ。

 もうもうと煙が立ち込め、何もかもが燃えてゆく。

 最後に、ぎゅ、と意氣瀬さまに覆いかぶさるように抱きついた。

 少しでもくっついていたくて。


 息が苦しい。身体の内から業火の熱にあぶられ、恐ろしく、涙が止まらず、全身の毛が逆立ち、火の粉が肌を焦がす。



 でももう。


 やっと、苦しくない。



 月草の君。


 あたしを許してね。


 愛子夫。


 あたしを許してね。


 黄泉では、離れません。意氣瀬さま───。







 バチバチと爆ぜる炎の向こうに、狂ったようなおみなの声が聞こえたような気がした。







     *   *   *





 広瀬が未来の時間軸で、この時のことを思い出している回が、


 「蘭契ニ光ヲ和グ 〜らんけいにヒカリをやはらぐ〜」

 第二章 霜結しもゆ檜葉ひば

 第十五話 「剡剡えんえん


 です。

 ※広瀬の気持ち、行動を補完する内容ですので、「剡剡えんえん」未読の方は、(時間が許せば)ぜひご一読ください。

 一話ぶんだけ、独立したショートとしても読めるように仕立ててありますので、一話ぶんだけ読んだら戻って来てください。

 ここから飛べます。↓

https://kakuyomu.jp/works/16817330656106103583/episodes/16817330659185812299



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