鎌売の章

第一話  火の粉舞う出会い

 鐘が鳴っている!


 鎌売かまめは寝床から飛び起きた。

 緊急を告げる、夜の鐘。

 ……女官部屋には、自分一人しかいない。


久君美良くくみらはどこ?)


 桃色の夜着やぎ一枚のまま、部屋を飛び出る。

 西。

 暗い夜を焦がし、火の手があがっている。

 椿売つばきめに与えられている部屋の方角である。


(まさか……。まさか!)


 あたしは鼻高沓はなたかぐつ簀子すのこ(廊下)を高く打ち鳴らし、走り出した。




  

 上毛野君かみつけののきみの屋敷の西のかたへ駆けつけると、炎が激しく、部屋の下から上まで燃やしているのが見えた。


 女官が大勢、庭から遠巻きに見守っている。

 下人げにん衛士えじが、おけに汲んだ水を部屋から突き出す炎の柱にかけている。


 その遠巻きに見る女官のなかに、久君美良が、いた。

 炎に魅入られたようにぼんやりと、建物を見ている。


久君美良くくみら!」


 息を弾ませながら名を呼ぶと、久君美良が、はっ、とこちらを向いた。

 そして、仔鹿が跳ねるように、ぱっと───、燃え盛る建物に突進した。

 あたしは、


久君美良くくみらぁっ!!」


 と悲鳴をあげた。


「おいっ、おまえ危ないぞ!」

「バカ、戻ってこい!」


 衛士が久君美良を引き留めようとするも、彼女はするりと建物のなかに消えた。


(嘘でしょう?! 死ぬ気なの?!)




   *   *   *




 炎を遠巻きに見ていた女官が一人、いきなり走り出して、燃える建物内に迷いなく突っ込んでいった。

 上毛野かみつけのの衛士午団長えじうまのだんちょうである八十敷やそしきは、


「バカ野郎……!」


 とうめいた。


(死んじまうだろう!)


 追いかけようと一歩踏み出し、その前に、桶の水を頭からかぶろう、とあたりに目をやると、


久君美良くくみら───ッ!」


 と半狂乱で叫ぶ女官が、また、建物内に突っ込もうとした。


「バカッ!」


 今度こそ女官の両肩を捕まえた。

 女官は激しく抵抗をする。


「離してっ!」

「正気か! 死ぬぞ! やめろ!」

「離して!」


 そう叫んだ若い女官は、きっ、とこちらを睨み、右手を素早くふりあげた。


(え?)


 と思った時には、したたかに左頬を打たれていた。容赦ない力だった。


(ええ──────?! おみなに殴られた!)


「おっ、お前、オレを誰だと……?!」


 八十敷やそしき、十八歳。

 名門、石上部君いそのかみべのきみの生まれである。

 代々、上毛野君かみつけののきみの武を預かるほまれある家であり、八十敷は今は午団長うまのだんちょうであるが、将来は、上毛野かみつけのの衛士団長えじだんちょう、つまり衛士団の頂点に立つ事を約束されたおのこである。


 おみなから頬を張られる事など、信じられない。

 なんという侮辱か。


 呆気あっけにとられ、怒りに喘ぎ、八十敷やそしきは女官の両肩から手を離してしまった。 


 女官は謝罪もせず、火の粉舞う建物内へ駆け込んでいってしまった。


「くそっ!」


 わあ、また女官が、と騒ぐ衛士たちの間を塗って近づいてきた午団うまのだん衛士えじが、


八十敷やそしき! 広瀬ひろせさまの所在が知れません。」


 と報告をしてくる。

 ……まさか、この炎のなかか。

 この時刻に、


 まだ、意氣瀬おきせさまの部屋に、所在を確認に行かせた衛士は戻ってきていない。

 

(意氣瀬さま、無事でいてくれ。この炎のなかには、いないでくれ!)


「……オレが行く!」


 手布てぬので鼻下をおおい、頭の後ろでキュッと結ぶ。

 近くの下人げにんから桶をとり、頭から水をかぶった。





    *    *   *




 久君美良くくみらは、黒と灰色の煙が充満し、バチバチと燃え盛る建物のなか、一目散に椿売の部屋に走った。




 今宵、意氣瀬さまの部屋に忍んで行って、拒絶され、思わず……本当に思わず、言ってはいけない言葉を口にしてしまった。

 あたしはなんてことを。

 こんなつもりじゃない。

 こんなつもりじゃなかった。


「火事だ!」


 その声にふらふらと引き寄せられ、建物から吹き出す炎を、遠巻きに見守る女官たちにまぎれて見た。


(ああ、意氣瀬さまは、きっと、椿売を斬って、火を放ったんだわ……。椿売は、意氣瀬さまの足元で、もう生きてはいまい。

 椿売、ごめんなさい、あたしはあなたを殺してしまった。友人だったのに……! あんなに仲良しだったのに……!

 意氣瀬さまは、椿売と一緒に死ぬおつもりなんだわ。)


 久君美良にはわかる。

 手にとるように、見てきたようにわかる。


(こんなつもりじゃなかった。)


 という思いと、


(あたしは椿売の不実を意氣瀬さまに告げた時から、こうなると、わかっていた気がする。)


 と、不思議な、すとん、と胸に落ちてくる思いがある。

 自分でも、なんとも形容できない気持ちで、ぼんやりと踊る炎を見つめていたら、


久君美良くくみら!」


 鎌売かまめに声をかけられた。


(鎌売につかまったら、部屋に連れ戻される。意氣瀬さまと一緒に死ぬなら、今だ!)


 ハッと気がつき、炎に飛び込んだ。


 この選択肢以外は、ない。

 椿売を、意氣瀬さまを殺すきっかけを作ったあたしを、あたしは許せない。

 明日から生きていかれない。

 走る足に、少しの迷いもない。

 今はただ、舞い散る火の粉におくする事なく走れる自分を、褒めてやりたい。


 はあ、はあ、と苦しい息を吐きながら、口もとに笑みが浮かぶのを感じる。


 これなら、このまま、あたしは意氣瀬さまを燃やす炎のなかに、まっすぐ飛び込めるだろう。


 迷わない。


 意氣瀬さまの側にいきたい。


 あたしを許して。


 心から恋うています。


 一緒に、黄泉に行きたい。





    *    *   *





 火の粉舞う建物内を八十敷やそしきは走り、走り、意氣瀬おきせさまのいも椿売つばきめの部屋に駆け込む。


 炎の勢いが盛んとなる。

 そのなかで、背をむけた広瀬さまが棒立ちとなり、さきほど八十敷の頬を張った暴力女官が泣きながら、


「広瀬さま、いけません! 逃げましょう!」


 と広瀬さまの右袖を引っ張っていた。


(二人……?)


 椿売は。

 意氣瀬さまは。

 先に駆け込んでいった女官は。


 いないのか。

 逃げたのか。

 ならなぜ、広瀬さまが……ふらふらと炎へ足を進めようとしている。


「しっかりしてっ!」


 暴力女官が突如、バチン、と思いきり広瀬さまの頬を打った。


(うおっ……、うつつか?!)


 このおみな

 上毛野君かみつけののきみの次男の頬をぶちやがった……!


 こんな事を思ってる事態ではないというのに、広瀬さまの頬を打てるんなら、オレの頬を打つぐらい、造作ぞうさもないことだよなぁ、と妙に納得してしまった。


 こんなおみなが、いるのか。


「うっ!」


 と頬を打たれた広瀬さまはうめき、


「死なせてくれぇっ!」


 と悲痛な叫び声をあげた。


(こっちはこっちで、うつつかよ!)


 気のせいではない。さっき本当に、炎にむかって、広瀬さまは歩いていたのだ。

 死ぬ気だ。

 理由は今は考えない。

 揉み合いになるのは得策ではない。


「お許しを!」


 八十敷は広瀬さまの後ろ首をしたたかに打った。

 くずおれる広瀬さまを支え、すぐに肩に背負う。

 ……意氣瀬さまはここにはいないのか。もっと探すべきか。

 迷うが、あたりに目を走らせても、人影は見えない。

 めらめらと炎が狂い踊り、既に煙が充満している。

 ここでグズグズしていたら、広瀬さまも救えない。


「逃げるぞ! はぐれるな!」


 女官に告げる。

 女官は涙を流したまま、しっかりと頷いた。










 なんとか、無事に三人、建物から出た途端。


八十敷やそしき───っ!」


 とおのこの野太い声とともに、ばっしゃああん、と水をかけられた。


「ぶっ。……ありがとう。」

「おまえもだ───!」


 と後ろをついてきた女官も、桶に入った水をかけられ、


「きゃっ。」


 と小さな悲鳴をあげた。


「お、これは……、広瀬さまか?」


 ばっしゃん。

 水、もう一回。


「怪我はないか?」

「ああ、ない。ちょっと衣が焦げたくらいだ。」


 ばっしゃん。後ろでは、


「おまえ、燃える屋敷に駆け込むなんて、無茶しすぎだ。こんな事しちゃ駄目だぞ。」

「ぶっ。」


 叱る衛士に容赦なく水を再度かけられて、女官が困った声をだした。

 八十敷は広瀬さまを近くの衛士に預ける。振り向くと、


「おっと。」


 ちょうど、ふらついた女官の両腕をつかんで、支えた。


「大丈夫か?」


 おみなは全身濡れながら、……泣いているようだった。無言で、こくり、と頷く。

 ……これでは、頬を打った謝罪をさせるのも忍びないな。


「名前は?」

「……鎌売かまめ。」


 どこかぼんやりした目で女官は名乗った。

 すすの落ちきらぬ顔。

 つい、と気持ちよくまなじりがつり上がった目。

 形の良い唇。

 濡れた髪の毛から水滴が額を滑り、首筋を流れ、胸元に伝い落ちる。


(……ん?)


 おみなは桃色の夜着やぎ一枚であった。

 夜着やぎは濡れて透けていた。

 小ぶりで丸い乳房の真ん中に、つん、と可愛らしいが二つ、小さく芽を突き出していた。

 目が釘付けになった。


「どこを見ているのですっ!」


 パアン、と右頬を鋭く平手打ちされた。

 

(え───……。二発目……。)


 ぽかん、と口をあけて、右頬を手で押さえ、呆気あっけにとられる八十敷に目もくれず、おみなは逃げていった。





    *   *   *




 上毛野君かみつけののきみの屋敷、西の一角から火の手があがり、上毛野君かみつけののきみの跡継ぎと、その宇波奈利うはなりが、黄泉渡りした。

 不自然な出火。

 女官───池田君いけだのきみの久君美良くくみらが、恋の逆恨みの末、放火し、自ら黄泉に渡ったのだという事で、この事件は落ち着き、池田君いけだのきみが多額の財を上毛野君かみつけののきみへ納める、という形で、その罪を負うこととなった。










挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093072898011916

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