第二話  あれのみや

 れのみや  かくこひすらむ 


 いちしの花


 目細まぐはろは  いかにかあるらむ




 吾耳哉あれのみや  如是戀為良武かくこひすらむ 

 壹師花いちしのはな

 麻具波思兒呂波まぐはしころは  如何将有いかにかあるらむ



 こんなに恋いしいのはオレだけか。

 曼珠沙華まんじゅしゃげのように、まぶしい、愛しい子は、どのようにオレの事を思っているのだろうか。




    *   *   *



佐味君鎌売さみのきみのかまめ!」


 見つけた。



 上毛野君かみつけののきみの屋敷の簀子すのこ(廊下)を、須恵器すえき水瓶すいびょうを載せたぼんを掲げて歩く女官。

 八十敷やそしきは早速、声をかける。


 あの火事のあと、女官の素性をすぐ調べさせた。

 佐味君さみのきみの娘。

 十六歳。

 十五歳から女官として、上毛野君かみつけののきみの屋敷にあがり、亡くなった意氣瀬おきせさま付きの女官となったが、すぐに、宇波奈利うはなりめかけ)である椿売つばきめ付きとなった───。

 今は、誰付きとは決まっていない。


 一人で歩いていた女官は、鋭い顔つきに、怪訝けげんな表情を浮かべ、立ち止まった。


「オレは石上部君八十敷いそのかみべのきみのやそしき。」


 大股で、烏皮舃くりかはのくつ(黒革のくつ)をタンタン、と鳴らしながら、鎌売かまめのそばに素早く近寄った。


上毛野かみつけのの衛士午団長えじうまのだんちょうだ。」


 誉れある地位である。


「あの後は、大事ないか?」


 西の方が火事で焼けてから、今日で十一日目だ。

 ……十日の喪があけるのを待ったのである。

 鎌売は頷き、


「……助けていただきまして。」


 と、伏し目がちに、膝で礼の姿勢をとった。名家の娘らしく、品のある、綺麗な所作であった。

 うんうん、と八十敷は上機嫌で頷く。

 もう一歩、鎌売にずいっと近づく。……顔をもっと近くで見たい。

 鎌売は、簀子すのこを一歩下がった。


 すうと整った眉、切れ上がったまなじり、白い肌。薄めで、形の良い唇。

 うんうん、綺麗なおみなだ。


 

「それでだな。オレの妻になれ。佐味君鎌売さみのきみのかまめ。」

「はあ?」


 鎌売は、ぎろり、と下からめつけながら、低い声をだした。


「あたしは上毛野君かみつけののきみの女官です。」

「それは分かってる。だからって、婚姻できないわけじゃないし、いつかは婚姻するだろう? オレの家柄なら、不足はないはずだ。良い話だろ?」


 鎌売は、ふんっ、と鼻を鳴らし、忌々しそうに目をそらした。


(ちょっと、あんまりな態度じゃないか?!)


 予想より、かなり酷い態度だ。八十敷は不安になり、訊いてみた。


御手おてつきか?」


 調べさせた範囲では、そのような噂はなかったが。

 もう既に、意氣瀬さま、もしくは広瀬さまの?


「正面切って言う言葉? 下世話げせわね!

 違うわ!」


 鎌売が悔しそうに顔を歪めて、大きな声を出した。

 八十敷はあわてて、言葉を発した。

 

「怒るなよ。すまない。オレはおまえに恋したんだ。妻にしたい……。」

「あたしは妻にしてほしいんじゃない! 

 あたしの夢は、そんなんじゃない!

 あんたの妻にはならない!」


 鎌売が器用に盆を片手で持つと、水瓶すいびょうを掴み、


 ばっしゃあん。


 八十敷の顔に水をぶちまけた。


(ええ───!)


 驚きのあまり、声が出ない。


金輪際こんりんざい、近づかないで!」


 並のおのこよりビシリと決まる言葉を吐き、鎌売はもと来た簀子すのこを速やかに引き返していった。


(ええ───……。ええ───……、ええ……、何されたの、オレ?)


 ぽたぽた、顎から滴り落ちる水滴を感じながら、八十敷は、妻問つまどい(プロポーズ)をした結果、顔に水をかけられる、という稀有な体験を、しばらく受け入れられずにいた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る