第四話  あたし達、頑張りましょうね

 暗闇から、しとしと……、と音がする。

 雨の宵。

 いぬはじめの刻(夕方7時)。


 湯殿ゆどのから女官部屋に帰ってきた椿売つばきめが、身支度みじたくをはじめた。


「頼むわ、鎌売かまめ

「わかったわ。」


 鎌売かまめ椿売つばきめから化粧紅けしょうべにを受け取った。

 小さな木綿の袋で、高価な化粧紅の粉を包んだものだ。

 ぽん、ぽん、と頬をたたくと、頬が紅に色づく。


 鏡は、この部屋にはない。

 当たり前だ。貴重なものだから……。

 こうやって、お互い、化粧しあうのが、一番失敗が少なく、早い。


 とは言え、今は、化粧をするのは、椿売つばきめだけ。

 あたしは、化粧しない。


 椿売つばきめは、今夜も、意氣瀬おきせさまに呼ばれたのだ。

 ねやでさ寝をする為に。


 ここは、上級の女官部屋。

 通常は五人部屋だというが、鎌売かまめ椿売つばきめ久君美良くくみらの三人だけで、この部屋を使用している。

 この三人が、飛び抜けて家柄の良い、豪族の娘達だからだ。



 さっきから、ずっと久君美良が無言だ。

 外は雨。

 半蔀はじとみ(跳ね上げ窓)を少し開けてあるが、部屋は、蠟燭ろうそくの明かりがあっても、暗い。

 ひゅう、吹き込んでくる、雨の匂いのする風に、蠟燭が揺れる。


 そんな頼りない明かりのもとでも、久君美良が、じっと椿売を見つめているのを、あたしはひしひしと感じる。


 もう隠す気もない、嫉妬の眼差しだ。


 どうしてこうなってしまったのか。

 あたしは内心、ため息をつく。



    *   *  *



 今年の一月、初めてこの三人は顔をあわせ、新しく女官見習いとして、ここ上毛野君かみつけののきみの屋敷で暮らしはじめた。


 椿売つばきめは、美しいおみなで、いつも堂々としていた。


 珍しく、失敗をし───彼女が酒壷さけつぼふたをし忘れたせいで、酒に虫が入り、一壷駄目にした時、


車持君くるまもちのきみの娘とて、今は女官。特別扱いはしませんよ。」


 と棒を持った女嬬にょじゅに言われても、椿売は動じず、


「打ちなさい。」


 と自ら裳裾もすそ(スカート)をまくってみせた。

 罰でふくらはぎを打たれる時も、声一つたてなかった。


 あたしは、そんな椿売つばきめの強さが、好きだった。


 一方、丸顔の久君美良くくみらは、いつも優しく、一緒の部屋で暮らすのに、とても良い友人だった。


 一月、意地悪な女嬬にょじゅから、


「まあっ! 佐味君鎌売さみのきみのかまめ

 違いがわからないの?

 これは阿波国あわのくに板野郡いたののこほり牟屋海むやのうみ若海藻わかめ(現代の徳島県鳴門なるとワカメ)ですよ。

 艶といい、厚さといい、他の若海藻わかめとは全然違うのに、ほほほ、佐味君さみのきみでは、若海藻わかめきょうさないのかしらねぇ。ほほほ……。」


 とバカにされた時には、あたしは悔しくて一晩泣き明かした。

 自分の家まで侮辱されたのが、許せなかった。


「悔しいっ、悔しいっ、若海藻わかめくらい夕餉ゆうげに並ぶわよっ!」


 とずっと袖で涙を拭うあたしを、同室の女官二人は最初こそ慰めてくれたが、椿売はすぐに、


「いつまで泣いてるのよ。久君美良、もう放っておいたら良いわ。」


 と自分の髪をくしけずりはじめたのに対し、久君美良くくみらは柔らかい微笑みで、


「鎌売……、悔しかったのね。気にしないのよ。ほら、もう泣き止んで……。」


 といつまでも背中をさすってくれた。

 その優しさを、あたしは忘れない。


 久君美良はぽわんとした可愛い顔の手弱女たおやめ(儚げで守ってやりたくなる女性)だった。

 そんな久君美良は、二月に入って、


「あたし、意氣瀬おきせさまをお見かけしたわ。すらりとしていて、気品があって、とても素敵な御方だったわ……。」


 と頬を染めて、教えてくれた。


「あら、恋したの。」


 椿売つばきめがにやりと笑って言い、


「い、い、いいじゃない。」


 と久君美良はますます真っ赤になって、顔を両手で覆ってしまったものだった。あたしは、


「まー、いいんじゃない。あたし達の家柄から言えば、三人とも吾妹子あぎもことなっても、おかしくないわよ。

 意氣瀬おきせさまでも、弟の広瀬ひろせさまでも良い、頑張るのよ鎌売かまめ、ってあたしは母刀自ははとじに送り出されたわ。あなた達も、似たようなものでしょう?」


 隠す必要のない事は、隠さない。

 ばっさりとあたしが言うと、椿売つばきめが豪快に笑った。


「あはは! 鎌売ははっきり言うわねえ。そういうところ、好きよ。……そうよ。あたしの両親だって、そう言ってたわ。」


 そう言って、椿売は、艶のある微笑みを浮かべた。


(あー、美人。)


 あたしはその微笑みを見て、素直にそう思う。

 久君美良も、顔を両手で覆うのをやめ、


「あたしの家も、そうよ……。でも、そんな話がなくたって、あたし……。意氣瀬さまは素敵だと思うわ……。」


 とはにかんで微笑んだ。

 もともと可愛い久君美良だが、恋をしたのだろう。ますます、可憐だ。


(あー、可愛い。)


 椿売が近寄ってきて、


「あたし達、頑張りましょうね。」


 と、あたしと久君美良の肩を抱いた。

 久君美良は、赤い顔で、こくり、とうなずいたが、あたしは、


「女官としてなら、頑張るわ。

 でも、おのこの心を射止める為に頑張ろう、というのなら、あたしは降りる。

 張り合わないわよ。

 椿売つばきめは綺麗。

 久君美良くくみらは可愛い。

 あなた達に並んで、おみなとして品定しなさだめされなきゃならないなんて、あたし、なんて可哀想なのかしら。」


 と言うと、久君美良が、ぷっと笑い、


「鎌売ったら! あなたも綺麗でしょうに。」


 とあたしの肩をたたき、椿売が、


「あはは、本当面白いわね、あなた。」


 と人差し指で、鎌売のおでこをピンと弾いた。

 三人で、あははは、と笑い合う。


「でも、本心なのよ。

 あたし、おのこの気をこうとを作るのは苦手だわ。

 そこまでして、おのこから愛されたいと躍起やっきになることができないの。

 多分、恋愛にそこまで執着しゅうちゃくがないのね。

 それより断然、女嬬にょじゅになりたいわ。

 向かうところ敵なし、という権力のある女嬬となって、長く上毛野君かみつけののきみの屋敷につかえるの。

 それがあたしの夢よ。

 ね、椿売、久君美良、二人のどちらでも良いわ。

 意氣瀬おきせさまのご寵愛を得たら、あたしをお側付そばづきの女官として取り立ててちょうだい。

 あたし、有能な女官として、尽くすわ。」


 そう真剣に告げると、椿売が、にっ、と笑った。右手を、三人の中央に出す。


「いいわ。うけひする。」


 久君美良が、椿売の右手の上に、右手を重ねる。


「あたしも、良いわ。」


 あたしが、一番上に、右手を重ねる。

 椿売が堂々と口を開いた。


天地乎乞禱あまつちにこいのむ(天地の神に願い祈る)、椿売つばきめうけひをする。

 意氣瀬おきせさまのご寵愛を得たあかつきには、鎌売かまめを女官として取り立てる。言幸ことさきく(口に出して言おう)。弥栄いやさかに(ますます栄えよ)。」


 久君美良が優しく微笑みながら口を開いた。


天地乎乞禱あまつちにこいのむ久君美良くくみらうけひする。

 意氣瀬おきせさまのご寵愛を得た暁には、鎌売かまめを女官として取り立てる。言幸ことさきく。弥栄いやさかに。」


 あたしがしめくくる。


天地乎乞禱あまつちにこいのむ鎌売かまめうけひする。

 この二人が女官として取り立ててくれた暁には、心より忠義ちゅうぎを尽くす。言幸ことさきく。弥栄いやさかに。……ありがとう。」


 三人、微笑みあい、手をはずし、近寄り、しっかりと抱き合った───。










↓「一話」、「二話」に貼り付けた挿絵の全景です。興味のある方だけどうぞ。

(同じ絵だからね)

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330663653732494

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