第五話  頼りになる鎌売

 そうやって、四月までは、この三人は、仲良くやってきた。


 一番最初に粘絹ねやしぎぬねやに呼ばれたのは、椿売つばきめだった。


 その時はまだ、久君美良くくみらは、ひきつった笑顔を浮かべながらも、椿売つばきめの化粧を手伝ってやり、


「……良かったわね、椿売。」


 と声をかけていたのだ。

 椿売もしっかりと頷き、


「もしかしたら、明日は久君美良、明後日は鎌売かまめが呼ばれるかもしれないわね。」


 と冗談を言える余裕があった。


「ええ、……そうよね。ええ……。」


 と久君美良は考え込むように返し、あたしは肩をすくめただけだった。

 あたしにはわかる。

 意氣瀬おきせさまは、あの地震のあと、椿売しか見ていなかった。

 ……あれは多分、というやつだ。

 あたしは呼ばれないだろう。

 ……きっと、久君美良も。

 可哀想に、恋に目が曇った久君美良は、自分が呼ばれたくてしょうがなくて、その事が見えない。


 そうは思ったが、残酷な現実を久君美良に告げる気にはならなかった。


 そして、あたしが告げなくても、実際にそのようになった。


 椿売は連日、もっと正確に言うと、十日に七日の割合で、意氣瀬さまとねやを共にした。


 久君美良からは笑顔が消え、羨望と嫉妬の炎が、瞳に燃え始める。


 何も久君美良は言わないが、椿売を見る目が、


 ───今宵もなの。

 ───意氣瀬さまに愛されるの。

 ───あたしも、あたしも恋い慕っているのに。


 そう情念をめらめらと燃やし、告げていた。


 椿売は、黙って身支度をし、夜中、静かにこの部屋に帰ってきて、眠る。

 久君美良の息遣いから、久君美良が眠れぬ夜を過ごしている事を、あたしは知っている。




    *   *   *




 あたしは細い化粧筆に水で溶いた紅をふくませ、鏡売の額に花鈿かでん(花もよう)を描いた。


「できたわ。……今日も綺麗よ、椿売。」

「ありがとう。」


 硬い声で礼を告げた椿売が、突然、倚子からガタンと立ちあがった。

 後ろを振り返り、ずっと無言でいた久君美良をにらみつけた。


「いい加減にして! あたしをそんな目で見ないで!」

「……何よ、そんな目って。」


 唇をかみしめ、悔しそうに久君美良は言った。


「陰気な嫉妬の目で見られるのは、こりごりなのよ! あきらめなさいよ。選ばれたのはあたし。受け入れてちょうだい、久君美良。」

「…………。」


 久君美良は、はあ、はあ、と荒い息遣いになり、椿売と久君美良は睨み合った。

 あたしは止めるべく、


「ちょっと……。」


 と椿売の袖を引くが、椿売は、ばし、とあたしの手を振り払った。


「あたし、宇波奈利うはなりめかけ)にしてもらえることになったの。部屋を別に用意してもらうのよ。

 ねえ……、久君美良、どうしてもあきらめられないなら、あたしから意氣瀬さまにお願いしてあげましょうか? 

 久君美良を一夜、粘絹ねやしぎぬねやにお呼びください、って。

 あたしの願いなら、意氣瀬さまは聞き入れてくださると思うわ。」

「バカに……しないでっ!」


 久君美良がぼろぼろっと涙をこぼしながら、右手を振り上げた。


(まっずーい!)


 あたしは身を乗り出した。

 見事に久君美良の右手があたしの頬をとらえた。


(いったーい!)


「あっ! 鎌売……!」


 思い切り頬を張った久君美良が驚いて一歩下がった。


「駄目よ、久君美良。椿売はこれから粘絹ねやしぎぬねやに行くんだから。顔を傷つけては、いけないわ。」

「わあっ、わあああ……!」


 大きく叫びながら、久君美良は髪を振り乱し、部屋を飛び出していった。


「久君美良!」


 あたしは追いかけようか迷うが、……今追いかけていっても、何もできない、と、追いかけるのを諦めた。


 椿売は大きくため息をつきながら、倚子にどさりと腰かけ、顔を手で覆ってしまった。


「ごめんなさいね、鎌売……。あたしのかわりに。」

「いいのよ。それより、手を顔から離しなさい。化粧が崩れる。」

「ふふ……、鎌売、しっかりしてるわね。頼りになるわ、あなた……。」


 椿売は手を顔から離した。


「どういたしまして。」


 あたしは肩をすくめる。そう、あたしは頼りになるおみななのである。


「あたしは、駄目ね……。失敗しちゃった。一夜だけでも、想いが遂げられるなら、結構良い案だと思ったんだけどな……。」

「ん〜、駄目。全然駄目ね。」

「ふふ……。鎌売、あたしが宇波奈利うはなりになるの、本当なのよ。

 あなたは、あたし付きの女官になってくれる? そしたら、あたし、あなたの事を信用して良い? 

 もし、裏切ったりしたら、あたし、許さないと思うわ……。」

「いいわ。」


 あたしは床に膝をつき、憔悴しょうすいした椿売と目をあわせた。


「あたしを信用してちょうだい。あたしは忠実な女官となるわ。もう、そうやってうけひをしたじゃない。」

「嬉しいわ……、ありがとう。」


 椿売はまっすぐあたしを見て、微笑んだ。


 ふ、


 強い風が吹き込んできて、蠟燭ろうそくの明かりを吹き消した。




   *   *   *




 間もなく、椿売つばきめ宇波奈利うはなりめかけ)となり、上毛野君かみつけののきみの屋敷のなかに、一室を与えられた。


 あたしは、椿売付きの女官となった。


 久君美良くくみらは、わだかまりがあるようだ。

 椿売つばきめに笑顔を見せない。

 しかし、椿売を、じっと嫉妬の目で見続ける事もなくなった……と思いたい。

 もう部屋が違うので、椿売とあまり接点はなくなったのだ。


 女官部屋で、あたしは椿売の話をしない。

 久君美良もしない。

 久君美良はもともと優しいおみなだ。

 椿売の話さえしなければ、一緒の部屋で暮らしていて、全く問題はない。



 椿売つばきめは、本当に意氣瀬おきせさまに寵愛された。

 二人は仲睦まじく、笑顔で語らい、そばでお世話するあたしは、二人とも幸せそうだ、と思った。

 このまま椿売が緑兒みどりこ(赤ちゃん)を授かればなあ、とあたしは将来を夢想する。





    *   *   *  





 年明けて。



 丙戌ひのえいぬの年(746年)。


 一月。


 長らく、奈良で遊学ゆうがくしていた上毛野君かみつけののきみの次男、広瀬ひろせさまが、上野国かみつけののくにに帰国した。






   *   *   *




 ※著者より。

 次話、登場人物紹介は、おまけ付きなので、ぜひのぞいていってね!

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