最終話,いつかその日が来るまで
「ということがあってだな」
「あ、このクラッカー美味しい」
「こら、現実逃避をするな」
現実逃避の一つでもしたくなるさ。だって、その出来事は私も覚えてるんだから。
口に運ぼうとしたクラッカーを持つ手首を掴まれ、それはアドウェル様の口の中に消えていった。
「その反応は覚えているな?」
「まさか、あの時に会った子がアドウェル様だとか気づかず……」
「だろうな」
「あああああああ……まさか未来の上司に向かってタメ口叩いたりおいかけっこを強制したりしてたなんて‼」
「俺は楽しかったがな。それと今は夫だ」
頭を抱えて唸る私に対して、アドウェル様はカラカラと笑っている。いいのか? いやよくないぞ。
アドウェル様の身辺調査の通り、クラーク家はパーティーといった華美な世界には殆ど関与していない。
しかし、兄が養子に出るお祝いのパーティーだけは特別だった。ホーリングスワーグ家から「是非こちらのドレスを着て参加して欲しい」という内容の手紙と共に、見たことの無いオシャンティなプレゼントの箱に梱包された淡いピンクのドレスが実家に届いたのだ。
ろくにパーティーなんて参加したことなかったし、ダンスはおばあちゃんから教えてもらった雨乞いくらいしか知らなかった。
けどそんな豪華な物を貰って「あ、ドレス? くれるんスか? あざっす、じゃあね」で終わらせるほど人間性は腐っていなかった。
参加したよ、ガチガチな両親と。
正直アドウェル様と出会ったというより、人生の割と序盤の方で上位にカウントされるであろう緊張に襲われた印象の方がでかい。
そんな私の心を露知らず、アドウェル様は私の首元を弄りながら頭に顎を乗せた。
まるでくまのぬいぐるみかのように私を抱き抱える様子を見ると、どうやら擬似おままごとごっこに満足したらしい。
私の首に掛かっているチェーンを弄ぶと、胸元で指輪が揺れる。
「だがすぐに後悔した。やはり家名は聞いておくべきだったな。 情報が少なすぎたから、君を探し出すのに随分と苦労した。
アランはあまりお前のことを話さなかったし、ようやく妹がいると溢せてもらえるようになるまで随分と年数がかかった。それも酒の席で知ったくらいだ」
「お酒の席、ですか。兄はお酒に強いのですか?」
「弱いな、ヘボヘボだ」
「弱点提供をありがとうございます」
長年離れて暮らしていたため、ヤツの弱点は数えるほどしか持っていない。
今後なにかとしつこいようであれば、頭からワインをぶっかけて……勿体ないか、やめとこ。
「結局、今も昔もあいつに邪魔されっぱなしだ」
「でもアドウェル様はこうやって私を見つけ出してくださったじゃないですか」
「執念だ」
「しゅ、執念」
自ら言い切ったよ、この人。
刹那、少し強い風が私達を包んだ。アドウェル様の黒い髪が私の頬掠めて、くすぐったい。
「(あ、)」
一つ思い出した。
「私、昔にアドウェル様の髪と子犬の毛並みをおそろいって言いませんでした?」
「よく思い出したな」
「しかもまんま同じ事を動物園へ向かう馬車の中でも行った気が……。もしかして私って幼少期から何一つ進歩していないんですかね」
「それでこそアイリスだ」
「褒めてます? あ、なんですか、その生ぬるい目は⁉」
絶対馬鹿にされてるって‼
「そんな憤慨するな、純粋な感想なんだろう。
ところで馬車の中でも実家の近所に俺と似た犬がいたと言っていたが、まさか……」
「はい、あの後近所のおじいさんに引き取られて元気に育ちました!」
「それはよかった。今も元気か?」
その質問には首をゆるく横に振った。
犬の寿命は人間よりもはるかに短い。残念ながら数年前に他界してしまったのだ。
全て尾悟ったアドウェル様は、私の髪の毛を撫でる手を止めた。
「そうか……」
「でもおじいさんも犬も、最後までとても幸せそうでした」
幸運なことに、犬が息を引き取るとき私も立ち会うことができたのだ。
そこに感じたおじいさんと犬の絆に、あの時ホーリングスワーグの屋敷から連れて帰って来て良かったと心から思えた。
「あの犬はおじいさんにとっても可愛がって貰いましたし、犬もおじいさんのことが大好きで仕方がないって言っていました」
「その老人と犬は家族になれたんだな」
「もちろんです! 誰がどう見ても、あの子はおじいさんの子どもでしたよ」
死は悲しいもの。
だからその時が来るまで、できる限り側でその存在を確かめていたい。
モゾモゾをアドウェル様の上で方向を変えると、額を胸板にくっつけた。
一定に刻まれる鼓動が、安心をもたらしてくれる。
「俺もこの世から旅立つ時は、きっと幸せだろうな」
「随分気の長い話をされるんですね。もう幸せなのが今からわかってるんですか?」
「当然だ。こんな幸せな時間をこれからもずっと過ごせる。
考えるだけで幸せだ」
あ、まただ。
名前を呼ばれて嬉しいと、零したあの笑顔。
本当に幸せそうな顔にこっちまでつられて頬が緩む。
「私もですよ、アドウェル様」
「ふっ……今死んでも未練はないな」
「それはあかん」
いつかその時が来たら、きっと今日のことを思い出すだろう。
アドウェル様の手が、私の指を絡め取った。
いつか死がふたりを分かつ時が来ても、心は側に置こう。
いつか体が滅んでも、確かにあった愛は魂に刻もう。
メープルの木の下で、二人の陰が重なった。
動物を愛する底辺令嬢は、気が付いたら婚姻届に署名していました 石岡 玉煌 @isok0
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