小説、そして詩の世界へ

 はたしてこれは自分の主張なのか、はたまた他人の主張であるのか。


 この創作論にせよ、すべてがではない。

 これはどういうことか。


 例えば、以前に「作家とは、孤独な生き物だと常々思う」と書いた。いや違うだろ、と言われた話は別として、同じようなことを言っている商業作家がいる。


 ――僕が真似したわけではない。なぜなら、創作論を書いた後に知ったからだ。


 だがもしかすると、「作家とは、孤独な生き物だと常々思う」という文章は、その商業作家のハウツーものに触発されて、後から書いたものかもしれない。要するに、他人の思っていることをパクり、あたかも自分の意見のように書いているのではないか、ということである。


 もちろん、他人と考えや文章が被ることはある。エッセイや創作論、哲学書などではそれほど珍しくもない。


 カント哲学は完成度も高く、哲学者ショウペンハウエルもカント哲学に帰結する文章を書いている(それと、明確にカント哲学に結びつくことも示している)。


 つまりは、「他人と被ること」自体は悪どころか、文学等の発展につながることがある。


 ただ、悪意がある場合は別だ。


 それこそ偶然を装い、他人の創作物をすべて「自分風」に置き換えて、友人に読んでもらうのはいけない。新人賞やカクヨムに投稿するのはもっての外である。


 本当に偶然だったという場合もある。真似するつもりは毛頭なく、本当に悪意があるわけではないとき――小説家の筒井康隆も「悪意なくやってしまったこと」がある。


 しかし、「他人と被る」のがいけないわけではなく、が重視される。


 あまりにも被る箇所があるならば、参考資料を記載するのもありかもしれない。


 ――はたしてこれは自分の主張なのか、はたまた他人の主張であるのか。


 ところで、有名人の著書に影響を受けて、他人の主張を自分の主張のように感じることがある。「そうは思わない」人もいるかもしれないが、意図的な洗脳、あるいは読者が勝手に洗脳されてしまうこともあるのだ。


 こういうとき、知識や経験は「自分が何者か」を探るのに役立つ。


 相反する主張があり、どちらかを選ばねばならないときこそ「本音」が出る。そういう意味の知識である。経験はもはや言うまでもない。経験上、という言葉と知識が合わさり、自分の主張となる。


 だから、知識と経験は大切である。


 僕が思うに、文学全般には知識と経験があればあるほどよい。


 とりわけ、詩という表現手段には興味があった。中原中也の詩に惹かれ、自分でも詩を書こうと思い立った。


―― ―― ―― ―― ―― ―― ――

朝、目醒めると、

雲一つない悲しみが

辺り一面に

漂つていた

―― ―― ―― ―― ―― ―― ――

        ――「地獄」三井夜鳥


―― ―― ―― ―― ―― ―― ――

あの夜、子猫の影が、僕のほうに延びていた


なにやらおびえて縮こまり、

それは無意識のようであり、

あんまりひどい顔をしているとて

影をさすることさえかなわなかった

―― ―― ―― ―― ―― ―― ――

        ――「幻影」三井夜鳥



【詩集】或る日の焦燥と、世間と云ふもの

https://kakuyomu.jp/works/16817330662317761367


「雲一つない悲しみが、辺り一面に漂っていた」という文章には、正直なところ指摘が来ると思っていた。雲、という言葉には漂う。悲しみ、という言葉には漂う――どちらも「漂う」という言葉を連想させるからだ。


 しかし「悲しみ」には「雲」がなく、雲がないにも関わらず「漂う」のだ。


 悲しみが存在していようとも、あるいは存在していなくても、「悲しみ」は触覚的であり、毛布のようなものだからだ。


 毛布にくるまれて読書をしたとき、毛布の感触は確かにあるが、その感触は本に集中がいくことで忘れてしまう。


 したがって起床時は、毛布の感触に麻痺している――そう考えることも出来るが、起床時だからこそ新たに認知されることもあるのではないか。「もう一度寝たい」と目覚めて思うときがある。だから、起床して「悲しみ」を感じることもあるのではないか。


 悲しみには、雲のような視覚的表現は似合わないと思った。「雲一つない悲しみが、辺り一面に漂っていた」とは、感触を婉曲的に伝える文章なのだ。


 石原慎太郎(作家・政治家)の主張だが、創作物には「絶対にこれが書きたいんだ」という創作者の姿勢が欠かせないと思う。いわば「どこかしらの一貫性」である。姿勢だから、当たり前のように出来ている人も多いかもしれない。


 僕は、詩を書くにあたっては「実体験を踏まえたうえでのリアリティ」を希求している。


 詩「幻影」の冒頭も参考に載せておいた。「実体験を踏まえたうえでのリアリティ」という一貫性が、この詩にもあると思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なぜ筆力があっても、小説は売れないのか 朔之玖溟(さくの きゅうめい) @cnw

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ