死生之徒《捌》



——死生之徒 《捌》



 ネズミの巡る小ビル。その三階には探偵事務所がある。だが俺は、肝心の探偵とは知り合いでもなんでもないし、まず名前も知らない。

 重要なのはこの事務所に蓄積されている情報の方だ。ずっと前の新聞だとか、探偵自身が己の好奇心に駆られ掻き集めた事柄達。

「ここに無くちゃ大分詰みなんだがな」

 俺は人に認知されない。だから当然新聞やらを譲り受けたり購入したりなどは叶わない。探偵さんはいつなんどきも事件や事故の調査をしているから、資料が独りでに動いてる様子を目撃される心配も無いのだ。

 しかし——やはりここの資料量は莫大だ。依頼された事から依頼されてない事まで(後者が殆どである)、僅かにでも琴線に触れれば徹底的に、根掘り葉掘り調べ上げているだけの事はある。

 ちなみに、探偵事務所があるのは三階であると俺は言った。が、現在居るのは六階だ。どうやら三階だけでは資料が収まらなくなり、丁度空いていた六階に目を付けたらしい。その金は一体何処から来ているんだか。

「平成十八年の八月八日——」

 無骨なスチールの本棚に並ぶファイル達を指で撫でながら進む。

 絆の母と姉、その位牌には、当然ではあるが死んだ日付も記されていた。

 母の死は平成十八年、姉の死は平成二十三年——日付はどちらも八月八日であった。ただの偶然か、それとも必然であるかはまだ分からない。

「母親の方は無いらしいな」

 人死の出る事故となればあの探偵なら調べるはずだし——単に体が弱かったか、病が死因なのだろう。

 となると怪しいのは姉の方だ。

「はあ、五年も進まないといけないのか——」

 資料捜索における五年なんてあっという間に思われるかもしれないが、先にも言った通り探偵は少しでも興味を抱けば調査する。なので五年進むだけでも相当なのだ。

「絆の奴は今頃どうしてるんだかな」

 河原に置き去りにしてしまったが、それはもしかすると悪手だったのかもしれない。彼女が救いを求めているはずだと、信じはした。だが、それでも己の抹消を願っている事に変わりはない。


 私は————流されたいだけです。


 流される。

 それは世間の空気に——だなんて意味ではないのだろう。

 あの時のシュチュエーション、そして、襖の絵からしても川の事である。

「河童の川流れ——なんて事になんなきゃいいんだがな」

 と、

 あくまでわざと、誤用したタイミングで俺は足を止める。


『凪敷蓮の死亡について——【調査済み】』


 そんな、簡潔であり分かりやすく、死という事柄を一円玉程度の重さに思わせるタイトルが目に入る。

 深呼吸、それから吐いて、ファイルを取る。

 熟読——俺は一語一句間違わずに脳内に文字文字を刻み付ける。脳の皺の形で資料に記された文字文字を、描く、模写する様に——というと少々不快な比喩になってしまうか。

「そもそもとして比喩にもなってねーけどな。ただのざれ言——不愉快な言い回しだしたわ言か」

 などと言ってファイルを閉じる。

 たったの三ページだったので、分も掛からず読み終わってしまった。あの探偵の好奇心が惹かれた上で、読むのに休憩が要らないなんて異例である。

 まあ、それだけ普通な死亡事故だったというだけの話なのだが。

「凪敷蓮の死にはやはり—— 《川》が関わっていた。というか直接の要因だったな」

 五年前の冬。

 凪敷姉妹は水遊びをしていたらしい——絆に連れられたあの川だ。妹が先に家を出て、それを追う様にして姉も川に向かったらしい——時間差としては、二十分くらい。

「【妹本人の証言から、蓮が溺れ、流されたのは十七時頃】——か。そのまま溺死……の前に低体温症だとかで死んだのかもな」

 しかし——これだけの事であの探偵が動くはずがない。

 少女が川で死に至る。それが余っ程の事なんてのは勿論だ。その死を知ったのなら、弔いの想いを心に宿すべきである。

 それでも結局はたかが事故なのだ——たかが事故で、あったはずなのだ。

「探偵を動かしたのは蓮の死じゃない。絆の発言だ」

 凪敷蓮の水難死。それはミステリ要素は無くとも悲惨な事故として、僅かな期間ではあったがニュースに流れ、新聞に載ったらしい。

 その中には、遺された絆の発言も、含まれていた。


『私の代わりに流された』


 一見すれば、姉を喪った妹が罪悪に苛まれたが為の言葉に思える。が、それなら『私のせいで——』となるのではないのだろうか。

 邪推かもしれない。だが違和感は残る、遺されていた。

 だから探偵は動いた。

 だからここに、絆の過去の残滓が遺されている。

「代わりに流された。ならば本来流されるべきは絆だった事になる——少なくとも、本人はそう考えているらしいな」

 資料室を後にする。

 階段を下る際、新たに作成したファイルを脇に挟んだ探偵とすれ違う。別に興味は無いが、何となしにタイトルを確認する。


 【資料漁りの座敷童子について】


 妖……座敷童子の如く決してその輪郭を見せず、屋内で悪戯を働く——資料を漁る。

 そんな奴、この世界に一人であろう。

「…………天網恢恢疎てんもうかいかいそにして漏らさず——か」

 ため息まじり言いながら小ビルを後にする。

「絆はおそらく救いを求めちゃいない」

 絆の仏壇、川流れを望む発言、罪悪に呑まれ捻り出たであろう言葉——これまでに揃った情報達がこぞってそれを物語っている。

 救いを拒む者は救えない。救う事自体罰なのだから当然である。

 だが、それでも、俺は、彼女の懇願を信じたい。

 凪敷絆を救いたい。

「死生ノ徒の活動は慈善じゃねえ——ただのエゴだ」

 自嘲する。

 自分にシニカルになる。

 それでも、絆には冷笑でも嘲笑いでもなく、優しく温かく包み込む様に微笑みかけてやろう——決めて俺は歩き出す。

 川に、絆を壊したであろう過去を持つ空間に。

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