死生之徒《陸》



———死生之徒 《陸》



 モダンな造りの家々が並ぶ住宅街。その中で異彩を放ち、一つだけ時代感のまるで違う建物があった。

 亀裂の入った築地塀、波の様な紺の瓦屋根、一世帯のみで住んでいるにしては多過ぎるであろう畳仕立ての部屋部屋。

 そんな、どこか哀愁を匂わせる様な建造物、それこそが凪敷絆の自宅である。

 父に母、存在するのであれば兄弟姉妹が居るのではないかと思ったが、その姿は見当たらない。まあ、居た所で俺の存在を認識する事は出来ないのだが。

「それにしても部屋が多い」

 既に見回った部屋は一桁に収まらなくなっているのだが、未だに絆の部屋が見つからない。というか、そもそもとして人が出入りしているであろう部屋さえも、俺はまだ目に出来ていない。

 殆どの部屋が埃にまみれており、年単位で人が踏み入っていないのが見て取れる。

 家具も何も無い為、部屋毎に内装が変わる事は無い上に、ただ戸を開き、ただ進むだけの単純作業が続くせいか、なんだか無限回廊にでも囚われた様な気分になってきた。

 なるほどこれが俗に言うゲシュタルト崩壊か。俺はまだ平気だが、正直人間が暮らして正気で居られる環境には思えない。

 無限回廊の様な部屋部屋だけが理由じゃない。

 何よりの訳は【孤独】である。

 家族の暮らす所なのに、何故こんな、気が狂う程の虚無感が漂っているのだろうか。俺には分からない。

 絆はその訳を理解しているのだろうか。

 それとも、訳も分からぬまま気を病み、そして——

「市井ノ徒から逸脱する事となった」

 と、いう事なのだとすれば、彼女を救うのにはまず、家庭の方から修復しなければならないという事になる。何度目かになるが、人は俺を見る事が出来ない。その上で家庭をどうにかしようなんて、ハッキリと言って無謀である。

 と言った具合に、今後の展開に不安を覚え始めた頃。

 俺は、ようやく凪敷家の生活区域に到達する。

「埃も無いし、他の部屋よりはマシだが……やっぱり生活の匂いがしねえな」

 辿り着いたのはリビングである。家族が皆集まるという性質から、本来なら、人が居なくとも賑やかさを覚えるはずなのだ。けれど、やはり空虚にしか思えない。

「異常は無い——だが何なんだ? この居るだけで心が失われる様な……」

 乱れ無く並べられた三つの椅子。

 材質が石ではなく木であるのにも関わらず、鏡と見紛う程磨き上げられたテーブル。

 見た者に仲良し家族であると錯覚させる、お手本の様な三人家族の写真。

 それには父と母、そして幼い頃(小学校高学年頃だろうか?)の絆が写る。

 調和のとれた空間。

 一切の歪みが見て取れず、それは独自芸術ではなく模写であった。

「…………ああ、だからか」

 今俺が立っているこの場所は家族の団欒の空間ではない。ただ、仲良し家族の家庭の景色を模写しただけの空間だ。

 普段からそこで食事をしているのなら、椅子は規律正しく並ぶ事は無いはずなのだ。写真については俺の主観であり、邪推なのかもしれないが——壊れた物をまだ健全である風に取り繕っている様に思えてしまう。

 この家庭に今は無い。

 だから過去を掲げる。

「さっさと他行って帰るか……、こんなとこ、長時間居るもんじゃねえ」

 到底人の住居に対するコメントとは思えないが、事実なのだから仕方ない。

 俺はまた戸を開き、部屋に踏み入る。そこはリビングと同様に埃を被ってはおらず、一見すると人が暮らしている様に感じられる。

「それでもやっぱり虚無だよな」

 そこはどうやら少女の自室らしい。花柄のカーテンに女型の人形達(日本人形から欧米の物まで)が目を引く。

 隅から隅まで塵一つ汚れが無い。なので放置されている訳では無いが——ベッドのシーツにシワは無く、人特有の香りも無い。やはりここも人が暮らしている様に演出されているだけに過ぎないらしかった。

 そして、この部屋にもまた、三人家族の写真が飾られていた。

「リビングにはもう一つだけ扉があったな」

 その独り言は多分、この部屋から逃げ出す為の言い訳なのだろう。俺は一刻も早くこの家から逃げ出す為に、次の扉を開く。

「物書きか……?」

 乱雑に開かれた読み物。

 書き途中で放棄され、くしゃくしゃに丸められた紙達。

 ローテーブルの中央で、蕪雑ではないが達筆とも言えない文字を綴られた原稿用紙。

 その部屋に存在する物物はアバウトな隊列を組んでおり、それ故にここは人の住まう所だと、安心感を感じられる。本来はこれが平常なのだが、他のせいで異常である様に思えてしまう。

 気になる事といえば家具や衣服を詰め込むダンボールが重ねられている事だろうか? テーブルや原稿用紙さえも仕舞われていれば、今すぐにでも引越し出来そうだ——否、この家から逃げ出せそうと言った方が正しいか。

「仏壇?」

 ようやく出会えた人の気配。ソレを感じ心を落ち着けていた時、俺は部屋の中で唯一丁重に扱われているであろう物に、仏壇に気が付く。

「…………有り得ない」

 仏壇の存在に気が付き、家族写真と少女の部屋に意味を理解する。

 仏壇の前には、二つの写真が、二人の、女と少女の遺影が、飾られていた。

 一人は家族写真のお母さん。

 一人は家族写真の娘。

 位牌いはいには凪敷弥小夜ミサヨと凪敷ハスの二つの名が刻まれている。おそらく前者が母の名であり、後者が娘らしい。

 そしてその娘は——おそらく絆の姉なのだろう。

 けれどそんな事はもうどうだっていいはずだ。

 そんな事はもう終わった事で死んだ事なのだ。

 ならば生きている彼女はどこに居るというのだ。

 彼女はこの家のどこに居るのだろうか。

 あの少女の部屋はきっと姉の物であり、彼女の物ではない。彼女を除く三人家族の写真が飾られている事、現在も使われている形跡が無いのがその根拠だ。

 幾度も戸を開き、埃を巻い上げ、まみれながら駆け回る。息が苦しい。それは埃を吸い過ぎたが為か、それともこの家庭に対する恐怖のせいなのか——どちらにせよ、この家は安易に踏み入って良い場所じゃなかった。

「一つ、一つくらい与えてやってもいいだろ……!」

 部屋は数え切れる程度には収まらない。

 それでも彼女の部屋は、居場所は無い。

 どこにも無い。

 どこにも居ない。

 故人の居場所さえ潔癖な程に手入れされているのにも関わらず、現在も生きている彼女の居場所だけは見つからない。

 いや————見つかった。

 俺は、見つけてしまった。

 その部屋がはたして家の中央であるのか、縁に位置するのか、中途半端な所にあるのかは分からない。

 だが部屋は、どこにあるどんな部屋よりもおぞましく……何より気持ちが悪かった。


 部屋には、ダンボールを素材として、年端も行かない幼児が作った様な粗雑な仏壇と、そして遺影が飾られていた。

 その遺影には少女が写る。一切の表情を浮かべない、まだ小学校にも上がっていないであろう年齢の少女であった。

 

 遺影を見た途端、視界は血に近い紫色の砂嵐に覆われた。耳鳴りがする。頭が冷たい。腰に力が入らない。頭の中で空気が膨らみ破裂しそうになる。

 まるで五感を失い、本当の意味でこの世から隔絶されている風に感じる。

 と、

 脳が目の前の光景を恐れ、これ以上外部から情報を取り入れない様に、感覚の鎖国を起こそうとした時だった。

「人間だったら犯罪ですよ? ほら、不法侵入ってやつ」

「…………」

 背後から声がする。

 声を聞くとすぐに俺の五感は正常になる。

 振り向くと絆が立っていた。

 その手は水苔を思わせる鱗に覆われており、水かきは第二関節にまで張られていた——言うなれば河童である。

 だがそんなのはどうでも良い事なのだ。

 河童なんていう有り触れたお話は、目の前の少女と背後の遺影に比べれば、所詮絵空事として棄てても問題無い事なのだ。

「君はどこにいるんだ?」

 俺は問う。

 その問いに対して、

「私は————ソコにいます」

 絆は答える。

 人としての形を失った指を、に向けながら。

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