リミットまでのカウントダウンが、もうすぐ始まろうとしている……side 高梨六夜

 自宅に到着早々、玄関先でスマホが鳴り響く。時刻は九時を示す。充電わずかな画面から、目当てのアプリをタップした。


(例の絵 鑑定はクリアした)


 伯父からのメッセージを見て、既読を押す手がにわかに震える。もう、引き返せないところまで来たのか。


「後悔するだけ時間のムダか」 


 押し寄せる感情をふり払うように、かすかな灯の点る階段を、俺は駆け上がった。


『小池修兵』


 十年前、俺と伯父が山に置き去りにしたアイツと、あんな形で再開するとはな。


 もっとも、彼は俺を覚えていないような。

 それなら、『神隠し』の真相はまだバレていないはず。


 ただし、小池からこっちに接触を図るなんて、予想外の出来事だった。


「それにしてもだ」


 今日は色々ありすぎて疲労が抜けそうにない。まあ、当分の間は静観すればいいかな。


 自室のベッドにバッグを投げ捨てると、俺は椅子に腰を乗せた。


「美鶴?」


 取り戻したスマホのメッセージに視線を落とす。


(小池くんの入部はどうする?)


 予想外の問い合わせに、空笑いが止まらない。このところ、母も『プライベート』で忙しいからな。 


 たまのメッセージの味気なさに、虚無感だけが俺の心に広がる。美鶴からのメッセージに、了解の絵文字を選んで通知した。


 曽祖母の認知症は軽度とは言え、早い段階で施設に入れて正解だったかな。こっちへ戻りたいと、散々にゴネた親父は介護を伯父と俺に丸投げしたっきり。


「家庭崩壊も時間の問題だよな」


 スマホを置いた俺は、机の上にあるノートパソコンのフリーズを解除した。



 フォルダ項目の『花ノ杜学園収支レポート』をクリック。


「こんなになるまで、誰も気づかないものか?」


 年を追うごとに母校の財政は悪化の一途を辿っている。少子化の煽りを受けてのテンプレな言い訳よりも、『運動部員のOBとOG』らの経済的な低迷にあった。


「OGは仕方ないとしても、OBの卒業後の進路がフリーターってあり得ないだろ?」


 ため息混じりの愚痴を吐いてすぐ、画面上のフォルダを閉じる。


 野球もサッカーも、プロリーグに行って稼ぎのいい人間はほんの一握り。それはあくまでも、他県の名門私立OBに限った話だ。


 悲しいかな、ウチのOBはプロで活躍することはなく、大口の寄付金を納めてくれる存在にはならなかった。


「プロになった後に活躍出来ないなら、運動部偏重の学園は淘汰される運命だよな」


 ウチに通う生徒たちの保護者の稼ぎもギリギリ。地方都市の中小企業からの寄付金もこれ以上は望めないとなると、当校の『自己破産』も時間の問題だろうな。


「部活動の予算減額だからって、薬の転売はないと思うけど」


 荒井への接触を試みたのも、ヤツを通じて転売の実行犯をおびき寄せるため。連中の襲撃を予想したから小池を連れて行った。


 彼が動いたおかげで、実行犯の大半は捕まるだろう。


「しかしだ……」


 くるりと椅子が反転。真後ろの壁にかかる蝶の標本から目を逸らしたくて、緩やかに元の位置へと回した。


 ここは、健康保険の未納がない限り、十八歳未満の医療費補助が受けられる。地元出身の部員たちを使い、整形外科受診を介して薬を集めたとなると。


「余計な知恵を授けた人間がいそうなんだよな」


 オレのつぶやきをかき消すように、ピコンとスマホが通知する。


 音の鳴る方に視線を向ければ、

(退院して速攻で学校とかツラっ)

 小池からのふざけたメッセージが画面に広がった。


「のんきなヤツ」


 込み上げる笑いを喉に押し止めて、俺は画面を再度タップした。



 土曜日の朝は昨日と違い、雲一つない快晴だ。来週の半ばからまた梅雨空が続くみたいだが。


 こんな時間に文化部の人間はほぼ登校しない。一階の理事長室まで歩く間、誰ともすれ違わなかった。


 理事長室のプレートの下で、俺は身なりを整える。小池の後のメッセージ通りなら、あの人はここにいるんだろうな。


「高梨です」

「ああ、構わない」


 一歩先、踏み込んだ理事長室の奥に机が鎮座する。こちらに背を向けてスーツ姿の彼が立っていた。


『辻野誉』


 ここのOBで唯一の常任理事。現時点で『理事長代理』に過ぎないが、いずれ正式な主になるだろう。


「何しています?」

「簡単な掃除だよ。これくらい、自分でやるべきだから」


 余計な金を使って外部に委託するくらいならね。


 ここで伯父と机を並べていた頃は、かなりのワルだと聞いていたが。これも、周囲を欺くための『擬態』だろうか。


 掃除も一段落ついて、椅子に腰を下す直前に、

「例の事件の実行犯が捕まったよ」

 彼の口から、ことの顛末が知らされた。


「ですが、黒幕はまだ……」


 一瞬だけ顔を歪めたかと思えば、

「そっちは後回しでいい。キミにも何かあったら大変だから」

 気を遣うふりのついでにと、辻野は机の上にファイルを投げ置いた。


「目を通してくれ」

「失礼します」


 ファイルの一ページ目を見て、俺の息が止まりそうに。写真は因縁の絵と画家のプロフィールが綴ってある。


 なんでこれを持ち出したんだよ。


「週明にメンバー全員をここに集めるように」


 全員ってまさか、新入りの小池を頭数に入れてってこと?


 辻野とファイルを交互に見る合間に、

「キミたちに拒否権はない」

 最後通告を言い渡された。


「知り合いから特別展のチケットを摑まされたんだ。私の顔を立ててくれる生徒を見繕いたいだけ。難しいことではない」

「それは大変ですね」


 どこまでがホントで、どこからウソなのか、食わせ者を相手に楯突く場合ではないか。


 頭わ切り替えるべく、俺はファイルを辻野に返した。

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