第8話
「俺も隠さず話すつもりだけど、最初に経緯を聞いてもいいか。何が起きたのか、俺の方が知らないだろうから」
「そうだね。その方が、私が疑問に思ってることも分かってもらえると思うし」
私が興味本位じゃないのはもう理解してくれているだろうが、先に伝えたらうまくまとめてくれそうな気がする。九組と十組は、トップクラスだ。私みたいにぎりぎりで入った生徒ではない。
緩く自転車を漕ぎながら、位坂に全てを説明する。自分も小六の三ヶ月間ほど不登校で中二の前期まで保健室登校だったこと、共田と保健室で出会ったが声を掛けず手だけ振って別れたこと、ゴミを捨てに行って飛び降り現場に居合わせたこと。
自分が共田と同じ「あちら側」だったことも含めて、警察の結論に納得できない理由まで話した。
「俺は二小で、共田と同じだった。一年と二年と四年、出てこなくなっていたけど六年も同じクラスだった。四年で同じクラスになった時には、もういじめられていた。理由は分からないけど、共田が触ると女子が悲鳴を上げて逃げるようなやり口だった」
「ひどいね」
想像するだけで、嫌悪感が胸を占める。共田があの日、私を見るだけに留まった理由は明らかだ。私は彼女達とは違うが、共田に信じてもらうには時間が足りなかった。
「俺は学級委員だったこともあって、何度となく注意をしたし担任にも報告した。親同士での話し合いもあったらしいけど、解決する前に共田は来なくなった」
「その相手が、今日言い合ってた人?」
「そうだ。六組の山下。俺はあの日、職員室で担任に頼まれた作業をしていた。四時までの約束だったから、四時で作業を終えて職員室を出た」
隣で私より緩く自転車を漕ぎつつ、位坂はあの日の経緯を語り始める。が、早速引っ掛かってしまった。
「ちょっと待って。私も、職員室にいたんだけど」
「知っている。
淡々としすぎていてまるで労われている気はしないが、労っているのだろう。
「それはともかく、職員室を出てすぐ脇の階段を下りていたら、何か茶化すような笑いが聞こえた。そのあと、女子が駆け上がってきた。その時は、共田だと気づかなかった。会うのは小四以来だったし、眼鏡を掛けていなかった。北高に入学したことすら、俺は知らなかった」
車の気配に自転車を止めると、位坂も止まる。車が行き過ぎると左右をきちんと確かめて、私より早く漕ぎ出した。
「下りた先で山下と数人の女子を見掛けて、またろくでもないことをしているのかと暗澹とした。でも、あの日はそれだけだった」
「その女子が共田さんだったと分かったのは、今日だったの?」
尋ねた私に位坂は、いや、と返して少し間を置く。
「共田が飛び降りたのは、翌日知った。その時ようやくあれが共田だったと分かったけど、確信したのは通夜の席だ。今日まで何もしなかったのは、自分の正義が揺らいでいたからだ」
一際硬い表現だった。また黙った位坂に、私も黙って自転車を漕ぐ。今日は寄らない芳岡の門を過ぎ、白壁に沿って進む。
「共田はあの頃、俺が解決しようとすればするほど、いじめられるようになっていった。俺はこのとおり、決して人に好かれる人間じゃない。変人だのロボットだのと揶揄されて生きてきた。幼い頃に母が死んで、泣くなと祖父に叱責されてから感情をうまく表出できない。できるのは怒りと、驚きが少しだ。他人の微細な感情は人並みに読み取れるけど、自分のものは難しい」
白壁が途切れた辺りで語られた続きは、ほぼ初対面の私に聞かせていいような話ではなかった。どう反応していいのか、掛ける言葉を選べない。
「そんな大切なこと、私に言って良かったの?」
「先に言いづらいことを話してくれたのは君だ。与えられた信頼には応える」
釣り合うレベルではない気がするが、位坂なりの誠意なのだろう。
「共田が学校に来なくなったのは、俺が自分の正義を貫いた結果だ。好かれていない俺が共田を庇うことで、面白がった男子までいじめに参加するようになってしまった。俺の、正しくないものを糺す一辺倒の正義のせいだった。それを踏まえて、今回の一件だ。共田は既に死んでいる。それでも山下を糺すことが正しいことなのか、共田の望むことなのか、分からなかった」
一定の調子を保って伝えられる言葉が、胸に刺さる。いじめを非難し共田を助けようとした行動は、何も間違っていない。むしろ褒められるべき立派な行動だろう。
「しばらく思い悩んだけど、やはり俺は山下が共田を傷つけて飛び降りる原因を作ったのなら、遺影に手を合わせて心から詫びるべきだと思った。それで今日の昼、六組へ行って山下を呼び出し、話をしようとした。でも何を言ったのか聞き出す前に泣かれて、通り掛かった岸野に俺がいじめたと訴えられた。俺が説教を食らっている間に逃げられて、それきりだ。これが聞きたがっていた事の顛末だ」
ああ、と短く答えて苦笑する。クラスの女子が山下ではなく位坂を勧めた理由は、これだろう。北高に来るくらいだから、頭が悪いわけではない。悪賢い人は、手に負えないこともある。
「大変だったね」
「昔から苦手なんだ。向こうは俺をバカにしているしな。まともに話ができるとは思っていなかったけど、それ以上だった」
怒りは出せると言うだけあって、さっきまでより言葉が少し強い。
「位坂くんは、山下さんの言葉が原因で共田さんが飛び降りた可能性はあると思う?」
「ああ。すれ違った時、共田は多分泣いていた」
想像できる姿に、唇を噛む。あの時話し掛けて共田ともこんな風に話せていたら、未来は変わっていたかもしれない。
「保健室を出たところで一番会いたくない人に会って、ものすごく傷つくことを言われた。衝動に駆られて、大切な人にもらった御守を握り締めて飛び降りた。せっかく応援してくれたのにがんばれなくてごめんなさい、か。納得はできるなあ」
挫折で飛び降りるより、よっぽど理解できる。分かりすぎて、胸が痛い。
「その御守は、何か特別なものだったのか? 手作りとか」
「いや、普通の合格御守だったよ。鵲寺ので、白地に金で『合格御守』って刺繍してあった」
「白地?」
短く返した位坂に、隣を見上げる。細道を出てようやく現れた信号に、自転車を止めた。県道は、行き来する車で細道とは比べ物にならないほど賑わっている。
「鵲寺の合格御守なら俺も持っているけど、緑に金の刺繍だった」
「じゃあ、緑と白の二種類あったってことかな」
「そうかもしれないな。俺は初詣で買ったから、白の方が売り切れていた可能性はある」
少し引っ掛かるものの、その可能性はあるだろう。
青になった信号に、再び自転車を漕ぎ出す。
「この辺は、第五小学校か」
「そうだけど、私は一小出身だよ。証川二丁目に住んでた。小学校を卒業したあと、こっちに引っ越したの」
「そうか。そのままだったら中学から一緒だったのにな。残念だ」
相変わらず淡々とした口調だったが、残念がってくれている気はする。耐性がなければ、もしかしたら胸が高鳴って恋の予感くらい訪れていたかもしれない。でも残念ながら、幼少期から王子様に慣れ親しんだ育ちだ。未だにトーマスにときめくことはあるのに、そのほかにはほぼ反応しない。もしかして私、トーマスのせいで結婚できないんじゃないだろうか。
「位坂くん、うちのアパートそこ」
指差した私に、位坂はもう少し進んでアパート前で自転車を止めた。辺りはとっぷりと暮れて、既に暗闇だ。
「送ってくれてありがとう。遅くなっちゃってごめんね」
「気にしなくていい、俺は大丈夫だ。それより、何か失礼はなかっただろうか。女子とこれほど長く話したのは初めてだから、至らなかった点があれば教えて欲しい」
自転車を降りながら意見を求める位坂を、間近で見上げる。街灯に照らされた表情は学校で見たものと同じはずなのに、感触は違っていた。
「私も大丈夫だよ。むしろ気遣ってくれて、紳士的だなあと思ったくらい。それで、あの、もし良かったら、だけど。連絡先を、交換してもらえないかな」
西杵のようにさらりと誘いたかったのに、ぎこちない。よく考えたら、自分から繋がろうとしたのは初めてだ。希絵がいなくなってからは、ずっと。
「……いいのか? 俺の連絡先なんて、なんの役にも立たないぞ」
少しだけ驚いたように見えたが、本当はすごく驚いているのだろう。
「友達は、損得で選ぶものじゃないよ。それに、位坂くんが感情をうまく働かせられないもどかしさみたいなの、少し分かるから」
私はまだ、位坂の告白に見合う荷物を明かしていない。緊張するが、受け入れてもらえるような気がする。位坂は多分、打ち明けても大丈夫な人だ。
「私の見た目、小学生みたいでしょ。精神的にいろいろあって、本当に小六で成長が止まってるの」
「申し訳ない、さっき『小さい子』と言ってしまった」
「気にしないで、大丈夫だよ。まあそんなわけで、仲良くできれば嬉しいなと思って」
予想とは違う反応に、予想以上にほっとしていた。
「ありがとう。こちらこそ、お願いしたい」
口調は変わらなかったが、礼を返す眼差しが少し緩んだように見える。いつか、笑える日が来ればいい。取り出された携帯に、私も遅れてポケットを探った。
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