第9話
翌日の昼、西杵に誘われて中庭で一緒に弁当を食べる。昨日の位坂との交流を報告すると、西杵は素直に驚いた。
「位坂くん、携帯持ってたんだ。まずそこが驚きだわ。正座して黒電話で話してそうなのに」
「確かにそんな雰囲気はありますけど、言葉が硬いだけで話は普通にできましたよ。怒ってた時は怖かったけど、そうじゃない時は紳士的でしたし」
「そっか。少しは成長したのかもね」
西杵は頷き、ポテトサラダを口に運ぶ。ただの先輩後輩ではなさそうな雰囲気に、チキンナゲットへ箸をやりつつうかがった。
「位坂くんも剣道してるって言ってましたけど、交流があったんですか?」
「小学校の時、うちの道場に通ってたの。中学からは部活に入るって辞めたけどね」
なんとなく予想していた接点は、当たっていた。
「前から、あんな感じだったんですか」
「うん。異彩を放ってたよ。あそこ、おじいさんが鬼のように厳しくてね。たまに練習を見に来てたんだけど、よその子や親も平気で叱り飛ばすの。まあ『私語は慎め』とか『靴は揃えろ』とか、間違ったことは言ってなかったよ。でも怖すぎて、みんな萎縮しちゃって。本人もおじいさんの影響で正論しか言わなかったから、煙たがられてた。そうじゃない人もいたけど……まあ、気にせず接してたのはその人くらいだね」
口ごもりながら伝え、西杵はゆかりごはんへ箸をやる。隠されたものは、そのままにしておくべきだろう。位坂が「あんな感じ」になった理由も、西杵には伏せている。私が勝手に伝えていいことではない。
「家のことも噂にはなってたけど、本人から聞いたわけじゃないから黙っとく。必要なら、そのうち本人が話すだろうしね」
一緒にいて心地よさを感じる理由は、こんなところにあるのかもしれない。噂は噂として受け止め、事実として語らない賢さは見習うべきものだろう。
「それで、御守の色は結局どうだったの?」
「位坂くんから、『やはり緑に金文字だ』って写真付きでメールが来ました。私が共田さんのとこで見たのと色違いでした。やっぱり二種類で、白が売り切れてたのかも」
初詣なら買い求める客も多いだろうし、位坂の推理どおり売り切れは考えられる。
「それ、今日の放課後確かめに行かない? 見たら一発じゃん。私、今日は剣道ないし」
からあげをつまみながら、西杵が思いついたように誘う。でも今日は、トーマスの診察の日だ。
「あ、都合が悪かった?」
「いえ、大丈夫です。行けます」
慌てて了承を返し、ごはんを頬張る。こんな風に誰かと放課後の約束をするなんて、本当に久し振りだ。誘ってもらえたのが、単純に嬉しい。
「じゃあ、授業すんだら迎えに行くね」
「はい。ありがとうございます」
ふふ、と嬉しそうに笑う西杵も、もしかしたら久し振りの約束なのかもしれない。
――私がアイドルになったら、志緒が最初に観に来るの。約束だからね。
ふと脳裏に蘇る懐かしい約束に、視線を落とす。笑顔はまだ、鮮明に思い出せた。
希絵はこの辺でも評判の美少女で、底抜けの明るさと華やかな雰囲気を持っていた。気が強くて少しわがままなところはあったが、それも長所に変えるほどの魅力があった。アイドルを目指しダンスや歌のレッスンに通っていた希絵を、無駄な努力だと笑う子はいなかった。
同じ町区に産まれて同じ保育園に通っていた私とは、一歳からの付き合いだ。希絵はまるで姉のように覚束ない私を励まし、いつも引っ張ってくれた。私にとっては、太陽のような存在だった。
弁当を食べ終えてしばらく話をしたあと、近づく五限目に西杵と別れる。手を振って去って行く西杵を見送ったあと、渡り廊下を第一校舎の脇へ逸れた。
共田への献花を眺めながら、携帯を取り出す。一時を少し過ぎた時刻を確かめて、連絡先からトーマスの番号を選んだ。感染症の流行が終わった今の時期なら、多分大丈夫だろう。
「志緒ちゃん、どうしたの?」
呼び出し音が切れてすぐ、馴染んだ声がする。慣れているはずなのに、どきりとした。
「こんにちは。あの、今お時間大丈夫ですか?」
「いいよ。さっき診察すんだとこで、今ごはん食べてる」
それもそれで、くつろぎの一時を邪魔する電話だ。
「お食事中に、すみません。今日行くつもりだったんですけど、明日にしようと思って」
「珍しいね。学校の用事?」
「いえ、ちょっと、友達に誘われて。友達っていうか、先輩なんですけど」
控えめに延期の理由を告げた私に、受話器の向こうは少し間を置いた。
「そっか、良かったね。今夜はこれまで志緒ちゃんにもらった手紙を読み返しながら、お酒でも飲むよ」
「捨ててくださいって言ったのに」
「かわいくて捨てられないよ。初めてもらった手紙とか、特にね」
穏やかに笑う声がして、熱くなる頬を押さえる。
初めての手紙を渡したのは、保育園の年中だった。折り紙の内側に『すき』と書いて折り畳み、予防接種の時に渡した。人生初の告白だった。もっとも、それからも何度となくした覚えがある。恥ずかしい。
「ああ、ごめん。呼ばれたから切るね。明日、嬉しい報告が聞けるのを楽しみにしてるよ」
「はい、じゃあ」
かすかに聞こえた声に、トーマスは通話を終えた。
報告といっても「調査報告」だが、いいのだろうか。トーマスはなんとなく、もっと女子高生っぽい何かを予想しているような気がする。そのうち、そんなこともできればいいけど。
弁当箱を置き、改めて献花の前で手を合わせる。
あなたとも友達になりたかった。声を掛けられなくて、ごめんなさい。
詫びる胸にふと感覚が蘇って、勢いよく校舎を見上げた。あの日、黒い影が落ちて、地面に。地面。
視線を地面へ落としてみたが、何かが引っ掛かって浮かばない。思いついて、あの日いた位置へと動く。途端、残像が浮かび上がるように最後の姿が築かれていった。
がくりと膝を突き、顔を覆う。小刻みに震える肌に、ゆっくりとした息を繰り返す。大丈夫、大丈夫だ。逃げていたわけじゃない、これが望んでいたことだ。ようやく、全部思い出せた。
向こうで聞こえる五限開始のチャイムにも、まだ体は動かない。ショックは受けているが、安堵もあった。これでようやく、ちゃんと手を合わせられる。
長い息を吐いてゆっくりと立ち上がり、地面に残る残像をもう一度確かめる。
共田はうつ伏せで叩きつけられ、髪に覆われた頭はあらぬ向きに歪んでいた。その傍らには確かに、白い御守が落ちていた。
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