第7話

 クラスの女子が気になる話を持ち帰って来たのは、翌日の昼休憩だった。これまで話したことのないグループだったのに声を掛けてしまうくらいには、聞き逃がせない話題だった。

 共田のことで、言い争っている生徒達がいたらしい。

――二人とも二小なんだけど、山下やましたさんは共田さんをいじめてた子なの。位坂いさかくんは、別に仲良くはなかったと思うけど。でも、位坂くんから何か言ったみたい。

 念のために聞いてみたが、二人とも適応指導教室へ通っていたことはないらしい。それなら、面と向かって聞いても問題はないはずだ。

――位坂くん、ちょっと変わってるとこあるけど悪い人じゃないから。多分、大丈夫だよ。

 話を聞くならどちらかと尋ねた私に、彼女達は少し悩んだあと位坂を勧めてくれた。しかし、かなり気になる推薦文ではあった。「多分」って、どういうことだろう。

 ホームルームを終えてすぐ、帰り支度もそこそこに十組へ向かう。

「すみません、位坂くんってどの人ですか?」

 後ろのドアから出ようとしていた女子に話し掛けると、え、と短く驚かれる。

「今、ホワイトボード消してる人だけど。機嫌悪そうだから、気をつけてね」

 控えめな忠告に礼を返し、ホワイトボードの方を見た。ここからは細長い後ろ姿しか確認できないが、かなり背が高い。顔を見なくても不機嫌そうに感じるのは、忠告のせいだろうか。と思ったが、振り向いた表情が本当に不機嫌そうで納得した。

 少し迷ったものの、話を聞くなら早い方がいい。教室へ入り、机に戻った位坂を目指す。意を決して声を掛けると、位坂は帰り支度の手を止めた。

「なんだ」

 不機嫌さと不審さを隠さず、睨むように私を見る。凹凸のはっきりとした顔立ちで、目は少し奥まった位置にあった。色素が薄めな瞳は、私とは違ってグレーがかっている。眉間は狭く、鷲鼻は高い。迫力のある顔立ちだった。

「七組の、翡川と言います。今日のお昼に共田さんのことで」

「迷惑だ」

 遮って返された強い言葉に、思わず怯む。位坂は帰り支度を終えたデイパックを手に腰を上げた。間近で見上げると、驚くほど背が高い。百八十以上はありそうだった。

 位坂は眉間に皺を寄せて私を不快そうに見下ろしたあと、廊下へ向かう。慌ててあとを追った。

「興味本位で聞きたいわけではないんです」

「何も話すつもりはない。ついてくるな」

 位坂の一歩は私の三歩くらいか、早足で歩かれるとこっちは小走りになってしまう。それでも、背中を追うのが精一杯だ。

「私、警察の結論に納得がいかなくて」

 切り出した途端、前を進んでいた足がぴたりと止まる。いきなりすぎて間に合わず、勢い余ってぶつかってしまった。

「『警察の結論』?」

 私が謝るより早く繰り返して、位坂は冷ややかに私を見下ろす。ああ、そうか。そういえば、西杵も知らなかった。ほかの生徒には、明かされないままなのだろう。

「私、あの現場に居合わせたんです。そのショックで、まだ記憶の一部が戻ってません。ちゃんと思い出したいし、なぜ起きたのか事実が知りたいんです。私が知っていることは全て話しますから、少し話ができませんか」

 位坂は訴えた私をじっと見下ろしたあと、腕時計を確かめる。

「申し訳ないが、これから部活だ。六時半に生徒玄関前で待っていてくれ」

 まるで大人のような物言いだった。戸惑いつつ頷くと、位坂は踵を返してまっすぐに生徒玄関へ入っていく。抜きん出て高い後ろ頭を確かめたあと、自習室へ向かった。


 『今日、勉強して帰るから7時くらいになる』『了解。気をつけてね』

 母の返信は六時過ぎ、大体いつもどおりだ。これから買い物をして帰宅は七時前、夕飯は八時になる。これ以上遅くなる時は私が作っておくか先に一人で食べておくか、芳岡に食べさせてもらうか。最近は、ほぼ最後の選択肢だ。

 母子家庭の夕飯事情を知った芳岡に誘われ通うようになったのは半年ほど前、母も一緒に食べさせてもらっているうちに胃袋を掴まれたらしい。赤い顔の母からお付き合いの報告を受けたのは、先月だ。私が合格した勢いで芳岡が告白したらしい。そんなものに賭けて、落ちていたらどうするつもりだったのだろう。

 苦笑して、一つ前のメッセージを確かめてから携帯を置く。

『位坂くん、苦手だからパス』

 試しに誘ってみた西杵は、あっさりと同席を拒否した。おそらく小学校から一緒だから、いろいろと思うところがあるのかもしれない。ただ、気を使わない西杵の返信はこれまでにない感覚で嬉しかった。やっぱり、一度似たような立場にいたからだろう。一度もこちら側に来たことのない生徒は、私達を扱いかねて気を使いすぎるところがある。優しい人達だが、たまにそれが真綿で首を締めるような感覚を生んでしまう。

 六時半に近づく時計に、止まっていた手を動かす。帰り支度を終えて私が席を立ってもまだ、周りは頭すら上げない人達ばかりだ。ほとんどが三年生だろう。「まだ一年ある」ではなく「もう一年しかない」、だ。一階の廊下に張り出されている進路実績には、錚々たる大学名が並んでいた。北高に来るとは本来、こういうことなのだろう。トーマスはOBで「ずっと寝てたなあ」と言っていたし納得できるが、あれを普通だと思ってはいけない。

 「私の王子様」はどうも変人らしいと気づいたのは、四年生の頃だ。私は着々と育っているのに美貌は全く衰えないし、ゴルフクラブを持ち出しては警察に窘められているし、ダサい見守り隊の蛍光ブルゾンを愛用しているし、子供を巻き込んだ事件の加害者は一律死刑で不審者と会えば殺すと言ってはばからない。殺人を除く少年犯罪に対してはそこまで過激ではないが、再犯率を理由に矯正期間が短すぎると文句を言っていた。多分、「大人の建前」が働いていない人なのだ。

――薬物の授業してくれって依頼がある度に言うんだけど、僕が話をするよりヤク中から抜け出た人を呼んだ方がよっぽど効くと思うんだよね。薬で失ったものや今の後悔、スリップに怯える毎日を赤裸々に話してもらって、ぼろぼろの体を見せてもらった方が本当の恐怖が知れていいんだけどなあ。

 予防接種の注射を刺しながら、思い出したように語ったこともあった。でも、そのタイミングはともかくとして、今の私はその考えには賛同している。さすがに昔のような恋心は抱かなくなったものの、私にとって特別なのは今も変わっていない。

 ただ、芳岡とトーマスの相性はあまり良くない。見た目の割に過激なことを望まない芳岡は、トーマス作成の防犯マップを評価しつつも「俺は苦手だ」と言っていた。得意な人の方が少ないとは思うが、私はそっちに分類されるのだろう。

 生徒玄関で靴を履き替え、表に出たのは六時二十七分。まだ、と思って確かめた隣に突然大きな影が立って、びくりとした。

「なんだ」

「急に隣に立ったから、びっくりして」

 どくどくと打つ胸を押さえて見上げた位坂は、相変わらず不機嫌そうな顔をしている。青白い蛍光灯のせいか、視線が一層冷ややかに見えた。

「ごめんなさい、待たせちゃった?」

「いや、いい。待てと言った人間が待たせるのは良くない。早速だけど、話は帰りながらしよう。家はどこだ。歩きか、自転車か」

「東鞍寺だから、東中の方。自転車通だけど、位坂くんは?」

 落ち着いた声で淡々と伝えられる内容に、戸惑いながら返す。位坂は頷いて、駐輪場へと歩き始めた。

「俺は北証川きたしょうがわで、自転車通だ。送る」

 あっさりと言われたが、逆方向だ。北証川は北中学区でも二小の校区だから、西側の端にある。

「でも、送ってたら位坂くんが帰るの遅くなるよ」

「ここで話をしていたら余計、暗くなる。自転車でも女子が一人で帰るのは危ない。俺はデカいし体幹を鍛えているから大丈夫だ」

 相変わらず大きな歩幅で先を行きながら、位坂は抑揚のない声で言う。なんとなく「変わってるとこあるけど悪い人じゃない」の意味が分かった気はする。しかし、速い。

「位坂くん、申し訳ないんだけど、もうちょっと、速度を落としてもらえると」

 小走りであとを追いつつ頼むと、位坂はいきなり足を止める。ああ、またか。致し方ない二度目の激突にも、確かに位坂はぐらりともしなかった。

「ごめんね、ぶつかってばかりで」

「いや、気にしなくていい。俺の落ち度だ。小さい子に歩幅を合わせるべきだった」

 小さい子、とは。気遣いができるのかできないのか分からない物言いに、思わず苦笑した。とはいえ、大人びた顔立ちの位坂と比べなくても分かっている。私が留まっている間に、差は広がっていく。

「ああ、『小さい子』は失礼だった。背の低い女子……でもまだ失礼か」

「気にしないで。位坂くんは、背が高いね。何センチ?」

 悪気がないのは分かっているが、続けると余計ドツボにはまりそうで矛先を変える。さっきより速度を落として歩き始めた位坂に、ようやく並んだ。

「この前の身体測定では一八三センチだった。中学三年間で三十センチ伸びて、まだ伸び続けている」

「すごいね、そんなに伸びたんだ」

「おかげで、家の鴨居で頭を打つ。慣れたけど、今でも気を抜くと強打する」

「うわ、痛そう」

 思わず自分の頭を押さえてしまった私を一瞥して、位坂はまた前を向く。悪い人ではないのは分かったが、なんとも言えない違和感がある。

「ただ、高身長で得をすることもある。俺は剣道をしているから、上段の構えが有利になった」

 剣道か。それなら西杵のことも知っていそうだが、あちらは苦手を表明していたし、黙っていた方がいいだろう。

「剣道が強いから、北高に来たの?」

「それもあるけど」

 位坂は答えたあと、ふと視線を上にやる。

「まあ、そんなところだ」

 何かを隠して、また前を向いた。ところどころに設置された青白い灯りが横顔を照らす。冷たく見えるのは、造作のせいではないだろう。言葉が硬いからでもない。笑わないからだ。誰にだって、秘密はある。

「あ、私自転車あっちだから」

 辿り着いた駐輪場で奥の方を指差すと、位坂は頷いて同じ向きへと進み始める。

「位坂くんも、こっちだった?」

「いや、向こうだけど暗いだろう」

 確かに暗いが真っ暗ではないし、部活帰りの生徒もそれなりにいる。危険度は低めなはずだが、ものすごく紳士なのかもしれない。

 程なく見つけた自転車に鍵を差し、今度は位坂の自転車を取りに向かう。位坂の自転車は、明らかに私のものより大きかった。

「とりあえず、前を走ってくれ。適当なところで隣に並ぶから」

「分かった」

 頷いて自転車に乗り、いつもの通学路を行く。北高から我が家までは、山の手に沿って走る一方通行の細道を行けば早い。それなりに気をつけなければならない交差点はあるものの、ほぼ信号もない道だ。

 予想どおり、細道に入った辺りで位坂は隣へ並んだ。

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