第6話

 放課後、帰り支度を整えたあと現場へ向かう。なんとなく避けていたが、逃げないと誓った以上は立ち向かわなければならない。記憶を、取り戻さなければ。

 竦みそうになる足であの日と同じように第二校舎のドアを抜け、第一校舎の脇へ出る。いくつか置かれた花束の前に、手を合わせる女子生徒がいた。スリッパの色はグレー、二年生だ。

 先輩は私に気づくと腰を上げ、軽く頭を下げて行き過ぎようとする。

「すみません、待ってください」

 慌てて引き止めた私に、先輩は振り向く。黒髪の長いポニーテールが、光を弾いてさらりと流れた。黒々とした一文字眉や切れ長の目が凛々しい。

「私、一年の翡川と言います。共田さんとは同じクラスでした。失礼ですが、先輩は共田さんの友達だったんですか?」

 初対面に関わらず踏み込んだ私に、先輩は少し苦笑した。

「友達ってほどじゃないよ。ただ中学の時、適応指導教室でよく顔を見てたから。……つらかったんだろうな、と思って」

 少し視線を伏せた先輩に頷く。校舎の壁際では、いくつかの花束が緩い風に揺れていた。

「あ、ごめん。私は二年の西杵にしき。翡川さん、何中だった?」

「東中です。一小だったんですけど、中学入る前に引っ越して。共田さんとは高校に入ってから知り合いました」

 高校に入ってからの挨拶は大体、似たような感じだ。田舎の習性なのか、住んでいるところを知るとなんとなく安心する。知り合いとの繋がりを確かめられるからかもしれない。西杵は多分、東中出身の友達を数人思い浮かべているはずだ。

「そっか。私と共田さんは二小から北中でね。といっても、小学校では一度も会ったことなかったんだけど。北中は校内に適応指導教室があって、共田さんは途中から入って来たの」

 共田は二年で通い始めたから、一年間の付き合いか。坂尾の言葉は気になるが、少しだけ話を聞けないだろうか。

「実は私、共田さんが飛び降りた現場に居合わせたんです。その少し前に、保健室で会ったばかりでした。声を掛ければ良かったんですけど、私も不登校や保健室登校だった身分なので、慎重になっちゃって。心残りのある別れ方をしてしまったのが、すごく引っ掛かってるんです」

「それは、やり切れないよね。私、噂で名前を聞くまで正直忘れてたよ。北高に入ったことも知らなかった。そんな私ですらショック受けて、手を合わせておこうって思うくらいだから」

 西杵は私に同意したあと、溜め息をついた。凛々しい眉尻が少しだけ下がる。細く通った鼻筋が白く照っていた。関係が途切れていても、関わった記憶があれば思い出さずにはいられない。坂尾は「周りが理不尽や後悔を感じない死はない」と言っていた。近くても遠くても、傷つくのは同じだ。

「あの、中学の頃に共田さんがすごく仲良くしていた子っていましたか?」

「うーん、どうかなあ。私や周りの子は普通に通ってたのが難しくなって適応指導教室にって流れだったから、友達は結構いたんだけどね。でも共田さんは、これまでずっと来てなくて適応指導教室から始めた人だったから。二年生の子と話はしてたと思うけど」

 不意に、西杵が斜め上から私へと視線を移す。第二校舎から溢れ出た生徒の群れに、私を手招きして中庭へ向かった。

「でも私が共田さんの姿を見てたのは一年間だけだったからね。三年になってから仲良くなった子はいたかもしれない。そこはちょっと、分かんないなあ」

「そうですよね」

 確かに、三年になってから誰かと急激に仲を深めた可能性はある。

「友達を探してるの?」

「友達、というわけではないんですが。共田さん、合格御守を握って飛び降りたんです。それがちょっと、気になってて」

「どこが?」

 西杵は短く尋ねながらベンチの一つに腰を下ろし、トートバッグを足元へ置く。部活に入っていたら、この時間はもう活動中だろう。私と一緒で、帰宅部なのかもしれない。小さく頭を下げて隣に座る。初対面の人と、こんな風に交流を深めるのは初めてだ。

「警察は『学校生活の挫折が原因で御守はその象徴』って結論づけたみたいなんですけど、そんなアピールするかなって違和感があるんです」

「分かる。ないわ、私だったら絶対しない」

「ですよね、私も自分なら絶対しないのにって」

 同意した西杵に、勢いよく体を向ける。初めての、通じ合える感覚だった。そういえば、同じ経験をした人と話すのはこれが初めてだ。東中には北中のような学校内の適応指導教室がなかったし、保健室登校の同志もいなかった。

「学校に行けないのやクラスにいられないのを『かわいそうね』って憐れまれるの、能天気に『がんばれよ』って励まされるのと同じレベルできついよね」

 溜め息交じりに零す西杵に、思い切り頷く。全く以てそのとおりだった。

「憐れまれたり同情されたりする度に、自分の力が削られていく感じがします。どんどん自分が何もできない人間になっていくみたいで、自信が消えていって」

「分かるわー。あの人達は、挫折と一緒にプライドも消えたと思ってるのかもね。慰めれば慰めるほど優しい、いいことしてる気分になるのかも」

 どうしよう、さっきしか同意しか生まれない。上がっていく心拍数にゆっくりとした息を吐き、気持ちを落ち着ける。せっかくだから、同類にしか聞けないことを聞いてみたい。

「不登校や保健室登校を、『いい経験だった』『必要な時間だった』って言う経験者がいるじゃないですか。あれって、本当に思ってるんでしょうか」

「思ってるのかもしれないけど、信じられないよね。私は『仕方なかった』とは思えても、『経験して良かった』とは一生思えない気がする」

「ですよね。良かった、私だけじゃなかった」

 与えられた安堵に胸を押さえ、長い息を吐く。気づくと、西杵が笑っていた。しまった、興奮しすぎた。

「すみません。私は不登校のあと保健室登校しながらの復帰だったので、いつも一人で。これまで、同じ立場の人と話したことなかったんです。自分だけかなって思ってたことが自分だけじゃないって分かって、嬉しくて」

 トーマスを始めとした大人はいつも優しかったし、相談にも乗ってくれた。似たような疑問を投げたこともあるが、丁寧に答えて安心させてくれた。でもみんな、現在進行系で同じ悩みを抱えていた子供ではなかった。

「そっか、一人だとそういうしんどさがあるんだ。でも私も、こんな話をしたの初めてだよ。確かに周りに同じ人がいると安心するけど、同じだからこそ『暗黙の了解』みたいなとこがあってね。こんな風に、いちいち考えをすり合わせたりしなかった。まあ『憐れまれるのムカつく』とか、思っても口に出せる気力がなかったしね。なんであんなに疲れてたんだろうって思うくらい疲れてた」

 私も不登校時代は半日寝続けていた身分だ。寝ても寝ても体が怠くて、泥のように眠っていた。誰も、似たようなものなのか。

「ごめん、脱線しちゃったね。御守の話に戻るけど、翡川さんの考えは?」

「御守をくれた人に振られたのかなって。もしかしたら、その人が北高に行くから共田さんも北高に来たんじゃないかって考えてます。何か、確固たる理由というか信念みたいなのがなければ、当日点での一発逆転に賭けないと思うし」

――もう、戻らなくたっていいじゃない。

 北高を目指すと伝えた私に母は最初、反対した。

 母が引っ越しを選んだのは、私を救うためだ。あのままあそこにいたら潰れてしまうと思ったのだろう。その選択は間違っていなかったし、母には感謝している。離れなければ、間違いなく潰れていた。

 潰れなかったのは「逃げ出した」からだと気づいたのは、希絵の一周忌で戻って来た時だ。自分を守るためではあっても、希絵から遠ざかることで回復した事実が胸に堪えた。

 私が北高を受験したのは、希絵の近くに戻ってくるためだった。時間は巻き戻せなくても、それでも。この場所にもう一度立って、全部を受け止めながら生き直したかった。

「確かにね。私の年は、適応指導教室から北高受けたの私だけだった。私はそこまで北高にこだわってたわけじゃないけど、いろいろあってね」

 少し視線を伏せて笑む西杵に、さすがに「何があったんですか」とは聞けない。私だって、いきなり打ち明けるのは抵抗がある理由だ。

「てことは、相手も適応指導教室から北高来た子かあ。少ないから、周りに聞けば一発で分かるけど」

「あ、でも……今更なんですけど、実は調べるのを保健室の先生に止められてたんです」

 慌てて答え、坂尾に言い渡されたことをかいつまんで伝える。西杵は聞き遂げたあと、溜め息をついた。

「下手に調べてまた学校に来なくなったら困る、か。まあ、それが大げさな心配じゃないのは余裕で理解できるしね」

「そうなんです」

 頷いて、俯く。プリーツの上で緩く組んでいた手を、固く組み直した。魔が差して話し掛けたおかげで賛同者は見つかったが、褒められることではない。

「先輩には思わず話し掛けてしまったんですけど、本当は良くなかったと思います」

「そんなこと言わないでよ、寂しいじゃん」

 予想外の反応に、勢いよく顔を上げる。そんな風に思ってくれるのか。

「すみません、そうですよね。いろいろと聞いてしまったのはともかく、先輩と話せてすごく嬉しかったです。まさかこんなに感覚を分かち合える人がいるなんて」

「私もだよ。手を合わせずにいるのがいやで勇気出して来たけど、やっぱり引きずられるっていうかね。飲まれそうになってたから、声を掛けてくれて良かった」

 安堵したような笑みは、少し泣きそうにも見えた。傷つくのが分かっていて、それでも手を合わせに来たのだろう。惹きつけられるが、次の一言が見つからない。友達って、どうやってなるんだっけ。

「ねえ、連絡先交換しない?」

「……はい!」

 この上なくありがたい申し出に、思わず大きな声が出た。顔が紅潮していくのが分かる。

 早速取り出された紺色の携帯に、私も慌てて自分の携帯を取り出す。西杵のシンプルなケースに比べると、花柄の手帳型は少し野暮ったく見えた。

 早速交換した連絡先の名前は、『西杵万里』となっていた。

「先輩、まりさんですか?」

「そう。万里の長城の『万里』で『まり』。でも親は『海底二万里』から名付けたって言ってる」

 明かされた名付けの裏側に、携帯から視線を移す。

「私、ジュール・ヴェルヌの本、好きです。『海底二万里』も『八十日間世界一周』も。『十五少年漂流記』も繰り返し読みました。すごく素敵な名前ですね」

「すごい。この話題に食いついてきたの、国語の先生だけだよ」

 西杵は驚いた様子で答えたあと、嬉しそうに笑った。

「翡川さん、文芸部?」

「いえ、帰宅部です。先輩は?」

「私も帰宅部。ただ、幼稚園の頃から近所の剣道道場に通ってる」

 剣道か。凛々しい顔つきや佇まいの理由が分かった気がする。手元で携帯が揺れ、早速『よろしくね』のメッセージが届いた。似たような言葉を送り返して顔を見合わせ笑い、どちらともなく腰を上げる。揃って生徒玄関へ向かった。

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