016 終わりの始まり
聖女サリアが勇者レイジの腹筋に触って内心のみできゃーきゃー喜び、そのあとは二人で朝食を食べ、野営地を片付け、古戦場跡に向かって鼻歌を歌いながら歩いている頃、王都の教会にて聖女アメリアは反管区長派の枢機卿オラリスの元へと向かっていた。
「面会要請がこんなに早く通るとはね」
緊急の報告だと付け加えたとはいえ、申請を送ってすぐのことである。傍を歩く部下の修道女が正義感を瞳に浮かべて、疑問に答えてくれる。
「最近の教会の腐敗ぶりは目に余るからでしょう。オラリス猊下は教会の現状を憂いておりますし」
「腐敗、ねぇ」
誰にも未だ見せていない
多少風紀も乱れているが、勇者タロウに対して聖女を娼婦代わりに派遣している事実に比べればどうでもよくなってくる。
それに若い修道女を権力者に抱かせるぐらいは別に珍しいことでもないのだ。
「聖女様……腐敗していてはいけないのでは?」
「それはそうだが、必要悪というものもあるだろう?」
貴族から家宝の剣を借り受けるために女を宛てがうことや、通行の許可を得るために金を贈るなど、こういったことは昔から行われてきたことだ。無償の奉仕をしてくれるのは女神教の信者であり、貴族たちのように信仰心が薄れている者たちには現世の利益で応える必要がある。
無論、女神教に敬虔な貴族もいないでもないが、宗教的権威を利用するためだけに信仰している貴族の方が多いのだ。
人間は、ある程度の知識や教養を持つと、宗教の神秘性を素直に信じられなくなるらしい。
それとも、地上に神が影響を与えない、異世界の勇者からの影響を受けたのが原因だろうか。
不満そうな部下の修道女にアメリアは苦笑しながら、装飾のなされた扉の前に立つ。枢機卿オラリスの執務室だ。
「聖女アメリアです」
ノックしてそう言えば「入りなさい」という老人の声が聞こえ、アメリアは扉を開き、入室した。
「緊急の報告と聞いたが?」
「はい。ただその前に、一つお願いがありまして」
豪華な装飾の施された枢機卿服を来た老人――枢機卿オラリスが眉を顰めた。お願い。なんだろう、金の無心か。地位の要求か。執務と執務の合間に時間が空いたから面会を許可したものの、くだらない要件だったか、とオラリスは失望を瞳に浮かべた。
「お願いとはなんだ?」
ぞんざいなオラリスの言葉にアメリアは胸を張って答える。
「聖女サリアの名誉を回復する機会をいただきたいのです」
「聖女サリア」
「王都教会の同級です。試験で不正を働いたと冤罪を受け、王都を追放されております」
「……それが緊急の報告となんの関係があるのだ?」
「聖女サリアが今回の報告を持ってきたからです。彼女の報告を
オラリスはアメリアの言葉に、ふむ、と唸る。
「そこまで重要な報告なのか? 彼女が、不名誉を受け追放された聖女であると事前に聞いたならば、報告の内容を虚偽だと判断してしまうぐらいに?」
「はい。その可能性は低くありません」
オラリスは少しばかり悩んでから、壁際に控えていた司教を呼び寄せ、囁くように「聖女サリアの裁判記録と、担当した試験の教授、担当司法官、担当審問官を呼ぶように」と要求した。
ただ、最後にアメリアを見て一言付け加えることは忘れなかったが。
「これでくだらない要件だったならば、聖女の称号を剥奪させられても文句は言えないからな」
アメリアは、はい、とだけ答えた。
オラリスがここまで配慮してくれるのは、教会上層部に所属する枢機卿ゆえ、聖女たちに、落札した新しい勇者が存在しているにも関わらず、老いた勇者であるタロウとの性行為を強制した負い目があるからだろう、と察することができた。
◇◆◇◆◇
「それで、聖女サリアは不正をしていたのかね?」
「はい。聖女サリアは不正をしていました」
試験を担当していた教授兼司祭の言葉にオラリスはふむ、と呟いた。
「司法官、審問官、二人とも同じ意見かな?」
「はい。聖女サリアの不正は明らかでした」
「同じく。聖女サリアは不正をしていました」
学内で法を司る司法官は堂々と言い、サリアの尋問を担当していた審問官もまた大きく頷いた。枢機卿オラリスは聖女アメリアをじっと見る。
「と、いうことだが? これで満足かね?」
「……はい。サリアの報告は虚偽だったことにします」
聖女様!? という部下の言葉にアメリアはため息と共に諦めを吐いた。権威や正義を信じるわけではないが、枢機卿の前でもこうなのだ。こいつらは腐っている。
(真偽判定に意味はない。こいつらが言う不正は、こいつら基準の不正だからだ)
そこにサリアが本当に不正をしたなどは意味がないのだ。
だが、アメリアはサリアが不正をしたとは全く思っていない。あの娘はそういう娘ではない。だが、サリアの報告を聞かせるならばサリアの名誉を回復することは必要なことだった。そうでなければ、恐らく管区長は報告を握りつぶすだろうし、そもそもが誰も信じないだろうからだ。追放された聖女が王都の滅びを予言したところで、それを信じる人間は一人もいない。
オラリスがアメリアを見て、お望み通りにやってやったぞ、というようにアメリアに言う。
「ではくだらない要件だったということで君の聖女の称号を剥奪するが、それでもいいかね?」
淡々としたオラリスに「了解しました。つきましては教会の職も辞そうと思います」とアメリアは言う。
教会に所属する聖女はそれなりにいるとはいえ、減っていいわけでもない。優秀な修道女が聖女となるからだ。
その聖女が称号を剥奪され、教会も辞するという。自分たちの意見で奇妙に事態が進んでいくことに教授や司法官、審問官が疑問を顔に浮かべる。
オラリス自身、くだらない要件だったと思いながらも、別に職を辞する必要まではないだろう、という顔をした。
聖女の称号がなくとも正式に聖女教育を修了しているアメリアであるなら、神聖魔法はⅢまで習得しているはずだ。
十分に教会で働くことはできる。
「……謹慎で構わない」
「いえ、短いですが、
オラリスと、アメリアについてきた修道女が奇妙な目でアメリアを見た。この場の全員が真偽判定魔法を使用して、会話を行っていた。そのアメリアの言葉に嘘がなかった。アメリアは自分が死ぬと思っている。
「聖女アメリア、聖女サリアの報告はなんだったのかね?」
「いえ、ここまで腐っているなら報告に意味があるとは思えません」
「聖女アメリア!!」
「サリアの名誉が復活しなければ誰も信じない! ゆえに意味がないと言っている!!」
舌打ち。オラリスが老いた顔を険しくしながら審問官に向けて怒鳴りつける。
直感だった。何としてもアメリアの口を開かせなければならない。
「審問官!! 女神に誓え!! 本当に聖女サリアは試験で不正をしたのか!!」
オラリスの怒声に審問官がびくりと震えた。
「せ、聖女サリアは、不正を、しました」
「女神に誓えと言ったぞ私は。言え、女神に誓って本当です、と」
オラリスの言葉に審問官は口ごもる。
「言うんだ。審問官。女神に誓うと。誓えないならば、この場でお前を破門する」
そんな、といった顔をする審問官。その額には汗が滲む。
普通はここまでやらない。強制的に女神に誓わされるのは不快感を伴う行為であるし、枢機卿と言えど、相手の職分を尊重する気持ちを持たなければならないからだ。暴君では配下の支持を失ってしまう。
――そう。女神に誓う、だ。
この世界の教会関係者が時折口にする言葉。女神に誓って本当です。女神に誓って言います。女神に誓って。
それは己の潔白を誓う呪詛だった。
効果は単純。女神に忠誠を誓った女神教関係者が、これを口上の前後に付け加えるだけで、口にした言葉の真偽が明らかになるのである。
そしてどういう形で明らかになるのかと言えば、これを言った後に、客観的に見て真実ならば何も起こらず、客観的に虚偽であったならば、相応の罰が下る。
ただし、女神に誓って、という言葉を使っている以上、相応は
だから本当に罪を犯している者ほど、女神に誓えと強制しても絶対にそれを誓うことはない。
枢機卿は審問官に要求した。だが、審問官はそれを果たすことができていない。
このやり取りを見るだけでも、サリアではなく審問官が不正を行ったことは明らかだった。
「……司法官、教授、貴様らもだ」
震える声で「サリアは不正を犯しました」と二人が言う。女神には誓わずにだ。
ここでサリアが冤罪だったと判明すれば三人は職を失うどころではない。一度は枢機卿という教会の最上位者の前で不正であったと言ったのだ。それが嘘であり、冤罪であったと判明したならば自分どころか先祖まで不名誉を受けかねない。
だがもはや不正であったと強弁することのできる空気ではなくなっていた。
誰もが女神に誓うことを嫌がっている。
オラリスは呆れたように三人を見た。
「聖女サリアは、冤罪であったのだな?」
誰もがオラリスの視線を避けるように、目線を床に落とす。
だからオラリスはもう何も三人に期待しなかった。ぱん、と手を叩けば壁際に控えていた数名の司祭が三人をすぐさま拘束する。
「うわッ」「ああッッ」「お、お許しを!!」
「他にどんな不正行為をしたか吐かせよ。聖女サリアに関しては不正と追放令の撤回をすぐさま行うように。教会の広報にも載せておけ」
これでいいか? という枢機卿オラリスの言葉にアメリアはちょっと驚いたような気分で頷いた。
「猊下が直々にここまでしてくださるとは思いませんでした」
「聖女アメリア、いいから聖女サリアの報告を寄越しなさい」
失礼しました、と言いながらアメリアは聖女サリアから受け取った聖女通信を、聖紙に印刷して手渡す。
聖紙というのは、不正防止のための紙だった。魔法で印刷すると印刷内容が固定されて、それ以上の書き込みができなくなるのである。
アメリアは全てをそこに印刷した。サリアから受け取った女神の評価欄の全てを。
――つまりは、自分たちはもう死ぬしかないという、その全てを。
「……聖女アメリア、これは、本当かね?」
オラリスの言葉に、アメリアはにこりと微笑んで言った。
「敬虔な聖女であるサリアが虚偽を申すわけがありません」
サリアに過去与えられた罪を冤罪であると自ら暴いた枢機卿オラリスはそれに対して、その皺の刻まれた顔に苦痛の籠もった苦味を浮かべ「で、あるな」としか言えなかった。
沈黙。
枢機卿オラリスには可愛がっている孫娘がいた。溺愛していた。そんな孫をオラリスは教会学校に入れ、偽勇者の祝福に参加させていた。アメリアも知っているぐらいには有名な話だった。
こうして自分たちの終わりを、教会の人々は知ることになった。
◇◆◇◆◇
終わりの決まった国の、滅びの決まった人々が、最後に何かを残そうと足掻き始めていた。
これはそんな人々の事情を知らないD級勇者の少年と、知っていて語れない聖女の少女が旅をする話である。
Dランク勇者の俺がなんやかんやで頑張る話 止流うず @uzu0007
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