015 勇者の鍛錬


 総軍教本に載っている瞑想方法は、基本的には魔力の認識・操作能力の向上よりも体幹とか筋肉の強化につながる方法だと俺は思う。

 俺は背筋を伸ばして立って、両足を肩幅ぐらいに広げて、膝を小さく曲げる。

 胸の辺りの高さまで両腕を上げてから、ボールを抱えるように曲げる。もちろん手の平は開く。

「勇者様。何をなさっているんですか?」

「ああ、総軍教本に載っていた身体強化スキルを得るための、中国拳法の瞑想だ」

 瞑想といったのは気功だとか言っても通じないと思ったからだが、サリアはああ、と頷いてから「たんトウ功ですか」と呟いた。

「お? わかるのか?」

「異世界の勇者様の中には中国拳法を使う方もいらっしゃって、そういった方たちからやり方を教会も教わっています。征服王陛下もそういった経緯でこの鍛錬法を手に入れたと聞いていますね」

「ほー。なるほどな」

 言いながらサリアが俺の傍によってくると、早朝の空気で少し冷えた手を俺の腕や腰にそっと当て、それなりに豊満な胸を押し付けてきながら「教本があっても独学ですと、なかなかうまくできていませんね。もっと背筋をピンと伸ばしてください。こちらの腕はもっと外側に開くように」と指導してくる。

「お、おぉ?」

 サリアに矯正されることで鍛錬中の筋肉の緊張度が高まった感触がある。今までやっていたことはちょっとぬるかったようで、腰の落とし方、腕の上げ方を変えたことで負担が上昇し、鍛錬効率が上昇した。

「そうしてから丹田。臍の、ここです。ああ、やっぱり固い。ちょっと魔力を流しますね」

 臍の下にサリアの手のひらを当てられ魔力が流される。ぐん、と身体の中を巡る魔力の流れが加速した。

「お、おいおい、何したんだ?」

「勇者様は魔力を全く使ってないようなので、魔力が凝り固まっていました。今のは、私の魔力でその固まった魔力をほぐした形になります。では、回っている魔力に筋肉や神経を強化するイメージを乗せてください」

「お、おう」

 筋肉や神経を強化、と言われてもよくわからないから、一度撲殺されたオークの集団と対峙したときのことを思い出す。硬い筋肉、素早い反射神経。俺を殺したオークどもを思い浮かべれば、全身の筋肉に力が漲ってくる。

(すげぇ、ちゃんと身体が強化されてやがるぜ。今ならオークの一匹ぐらいならば楽勝でぶっ殺せそうだな)

 そんな俺の前でサリアはうん、と頷いて。

「できてますね。では、強化をずっと続けていてください。身体強化スキルで重要なのは身体強化上昇率の向上ではなく、維持力ですからね」

 そういうサリアはじっと俺のことを見つめてくる。美少女に見られて、少し緊張。

(ま、まぁ強化の維持ぐらいぐらいできなきゃな)

 だが身体強化がちゃんとできていたのは三分ぐらいだった。きつい。初めてちゃんと使う魔力だからだろうか。途中から強化率が下がっていく。肉体ではなく、精神が疲労する感覚。肉体から魔力が失われていくことで、俺の中に満ちていた自信のようなものが薄れていくのがわかった。

「MPは精神力の源でもありますから、初めてMPの消費を経験したなら、気力が萎えやすくなるのはしょうがないかと」

 そんな俺を見てサリアは言ってくる。それでも【疲労耐性Ⅰ】【感情抑制Ⅰ】が効果を発揮し、鍛錬の中断だけは起きないようにしていればサリアがふむ、といった感じで俺の周囲を巡りながら「普通ならここで音を上げるんですが、さすがは勇者様です。なかなか鍛えられてますね」と言ってくる。

 女の子に褒められてちょっと嬉しい。

 とはいえレベル5の俺では最大MPが少なく、五分も身体強化を維持してくると呼吸が苦しくなってくる。精神力の枯渇もそうだが、肉体に影響するレベルとはな。MPの重要性を理解してくる。戦闘中に枯渇しないように気をつけねばなるまい。

 流石にそろそろ終わるべきか? と考えていればサリアが「【魔力の泉】」と俺に向かって魔法を使った。疑問に思う俺の前で「勇者様、MPの持続回復のバフ魔法です。魔法使いが常時攻撃魔法を放てるほどの強度ではありませんが、身体強化を維持するだけならばこれで十分かと」

 なるほど? と思いながらも瞑想を続ける。だがこれを掛けられて身体強化魔法は維持できても、MPが満タンになる気配はない。精神は苦しく、疲労も濃く、だがそれでも【感情抑制】の効果があって、惰性で続けられてしまう。

「勇者様、私も隣でやりますので、あと三十分続けましょうか」

 サリアの言葉に「お、おう」と言うしかない。いや、まぁ一人でやるより二人でやった方がいいんだろうがな。

「教会ではこういうのをやるのか?」

 黙ってやっていた方が身体能力的には楽だが、会話をしながらの方がきつさもあってちょうどいいかもしれない。そんなことを思いながらやっていればサリアは「はい。筋肉も魔力も使い続けることで鍛えられますので」と肯定する。

 横目で見ればサリアの全身は聖女のローブで覆われているが、そのローブの下は鍛えられた肉体があるのだろうか。

「異世界から来た勇者様は鍛錬などをしないと聞きましたが人によっては違うのですね」

「どうだろうな。する奴はするんじゃないか? そうじゃないと強いスキルは育たないし、見つからないだろ?」

 スキルの取得方法が取得方法だ。これらは鍛錬しないと手に入らないはずだが、サリアはいえ、と首を振る。

「これはあまり知られていないのですが、勇者様ならダンジョンでスキルブックを取得して、スキルに重ねて発現した方が早いでしょうね。あとスキルランクを上げたり、覚醒させたりするスキルポーションなどもダンジョンでは手に入りますし」

「え? スキルポーション? いや、スキルブックで剣術スキルとか直接取得できるのか?」

 鍛錬しなくていいの? 俺の疑問にええ、とサリアは頷く。

「そうですね……例えば兵士スキルから剣術スキルを覚えたかったら剣士タイプのスキルブックを使うのが一番早いですね。重ねて使うことでスキルの熟練度が得られますから、何度か使っていれば剣術や斬撃強化などのスキルは確実に手に入りますよ」

「貴重品、じゃないのか? スキルブックっていうのは」

 だから俺はスキルが一つだけなんだろう? そんな俺にサリアは「勇者はレアアイテムのドロップ率が高いので、高ランクダンジョンであれば、低ランクのスキルブックは難なく、というわけではありませんがそこまで苦労せずに手に入ると聞きます。あと冒険者ギルドで高値で買い取ってますから、必要のないスキルブックは売る冒険者もいます」と言う。

 マジかよ。徒労感が酷い。いやまぁ俺にそういう支援はないんだろうが。差がありすぎる。

 そんな俺にくすくすとサリアは笑う。

「私は鍛錬する勇者様は素敵だと思いますよ。それに、全く鍛錬しない人よりもちゃんと鍛錬する人の方が強くなれるのは当たり前です」

 とはいえ、とサリアは「レベルも無限で、成長率の高い勇者様たちであるならば高ランクダンジョンで手に入ったアイテムでスキルを上昇させた方が効率は良いでしょうね」と付け加えた。

「あー……そりゃ、そうだな」

 頷くしかない。普通の勇者は鍛錬なんかせず、強いスキルでモンスターを虐殺し、レベルをバンバン上げて仲間をゲット。スキルブックやスキルポーションも高ランクダンジョンで拾って、スキルは労せず楽々ゲット。武器も防具も支給して貰って、稼いだ金で借金返済って感じか。

「ただこういった方法でスキルランクを上げても自力でスキルランクを上げた人との技量の差は無視できない程度には大きいと聞きます」

「……というと?」

「まず、戦闘時の判断力に加え、瞬発力や持久力に劣ります。あとスキル選択の判断力や魔力枯渇時の苦痛耐性などは地道に鍛え上げないと上がりませんから逆境で折れやすいとも聞きます。もちろんスキルで【耐性】をつけることもできますが、それらは苦痛を軽減はしても耐える力までは与えてくれません」

「鍛錬は無駄じゃないのか」

「ええ、無駄ではありません。もっとも自力でスキルランクⅤに上げられるほどの人間はほとんどいませんから、アイテムでⅤに上げた勇者様たちに比肩する人っていうのは本当に珍しいですけど」

「はは、そりゃそうだな」

 苦笑すればぼそっと俺に聞こえない声でサリアが何かを呟いた。

(もっとも低レベル帯での鍛錬と肉体成長がここまで外見に影響すると知っていれば各国は低レベル時の鍛錬を推奨したんでしょうが)

「なにか言ったか?」

「鍛錬をする勇者様は本当にイケメンですね、と言いたかったんです」

「……まぁ、否定はしないな」

 自分で自分に見惚れるレベルでイケメンだからな。俺は。

「【魔力刃】や【斬撃延長】などで射程を伸ばせるとはいえ、背の高さや腕の長さは高く、長い方がいいですし。自前で優れた筋肉を持っていれば【身体強化】も効率がよくなる。そして勇者様は低レベル帯で身体強化もなくゴブリンを殺戮できるほどに肉体を鍛え上げている……レベル5のソロでその戦果は少しばかり過剰――まさか勇者様は筋肉の質まで向上している?」

「なんか言ったか?」

 ぶつぶつと俺を見ながら呟くサリアは「いえ、半裸の勇者様を見られて眼福ですね、と言いたかっただけです」と俺に言ってくる。

「……まぁ、俺の筋肉は俺が見惚れるほどだからな」

 俺は背も高いし、鍛えているからギリシャ彫刻レベルだからな。

 あとかっこいいよ、美しいよ、と声をかけるとマジでそんな感じになってくからな、この肉体。やっぱ、勇者ってすごいよな。ちなみに今日も鍛錬のあとに自分を褒めるつもりだ。

「あの、あとで腹筋とか触ってもよろしいでしょうか?」

 隣で腰を落としながら俺と一緒の鍛錬をしているサリアが物欲しそうに問いかけてくるので「ああ、いいよ」と快諾した。

 美少女に鍛え上げた筋肉褒められるとか、本当にご褒美でしかないからな。これもきっと筋肉の栄養になるに違いない。

 そうして身体強化を合計で一時間ほど維持した俺は【MP強化Ⅰ】と【身体強化Ⅰ】【感情抑制Ⅱ】【疲労耐性Ⅱ】のスキルを取得するのだった。

 耐性系が上がるとか……感情抑制で鈍くなってたがかなり苦痛だったのでは? と思ってしまったのは内緒である。


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