五幕 娘浄瑠璃あやかし退治

 奉行所を出た瑠璃がまっすぐに向かったのは、鞍馬が滞在している堺町。

 鞍馬は長屋を一棟借りて、上方から引き連れてきた義太夫と三味線弾きを住まわせ、寄席を斡旋していた。

 袂を分かつまで瑠璃も所属していた、浪花因講という集団である。

 瑠璃を買い上げて三味線を教え、娘義太夫に仕立てあげた鞍馬は、若者を磨き上げる事と交渉事について、目覚ましい才覚があった。

 鞍馬寺で牛若丸に稽古をつけて培った、人との付き合い方が功を奏しているのだろう。

 小間物商いの表店に顔を見せると、二階の住居へ通される。


「三日の後に磔刑か。万事休すだな」


 窓際にもたれかかって煙管を吹かす鞍馬は、琥珀に下された裁きを聞いて、ふうと煙を吐いた。


「高野といえば、ろくに話も聞かず死罪にしちまうって有名な御奉行様だ。あまりに処刑するんで、刑場には見物人より死体の方が多いってよ。以前はまともな裁きを繰り出していたのに、気が触れたみたいになったんだと」

「そんな危ない奴が、なぜ町奉行をしているんだ」

「武士ってのは面子の世界だ。上がる奴はどんどん偉くなっていって、位が上がれば上がるほど無茶だって通る。武士相手じゃ町人は太刀打ち出来ねえし、引き下ろす気概のある部下もいないんだろ。周りにちやほやされて、わがまま放題を許されてきて、際限のない大馬鹿悪代官が生まれちまったんだ」


 人間てのは愚かだねえ。鞍馬は卑しく笑った。


「その大馬鹿を懲らしめられるような、賢い上役がいりゃいいんだがな」

「いる。琥珀を気にしている、遠山という老中が」


 周囲の人間が死んでいく特異体質の琥珀を見捨てず、木挽町の屋敷を与えた元名奉行。

 現在は老中で、琥珀の身柄を番屋から奉行所へ移させた件からしても影響力は絶大だ。


「老中に琥珀が潔白だと触れを出させる。そうすれば高野の暴走を止められるはずだ。師匠、知恵を貸してくれ。狐者異を捕まえる方法はないだろうか」

「俺様は知らねえよ」


 鞍馬は煙管を置いて、畳にごろんと横になった。


「狐者異ってあやかしは、生前に食い意地の張っていた人間が死後に化けたものだ。あちらこちらを放浪して、野辺送りにされた死体を喰い漁り、町の塵屑を食い散らかす。上方じゃ、飼い犬にまで手を出して、他のあやかしに嫌われていた。ようは、昼も夜も関係なく、自由に町を出歩けるってわけだ。この時点で、普通のあやかしとは違う」


 多くのあやかしは夜に現われる。

 人が見通せない闇に紛れて、己の身の安全を図ったうえで、望む通りに動き出す。


「狐者異が人攫い。それは間違いねえだろう。だが、浅草で毎日のように人が消えてたわけじゃねえ。空いた期間、狐者異は何をしていたのか。他の地域で悪さをしていたと考えるのが自然じゃねえか?」

「つまり、浅草だけ探しても意味がないということか」

「江戸は広いぞ。俺様の見立てでは三日で見つかりっこないんだわ。だから、お前に協力はしない。人っ子一人くらい死罪にさせとけ、めんどくせえ」


 顔のうえに花魁番付を載せて、鞍馬は居眠りを決め込んだ。

 憤りを覚えた瑠璃は、わざと鞍馬の耳元で三味線を強くかき鳴らした。

 馬が池に飛び込んだかのごとき轟音に、鞍馬は飛び起きる。

 その拍子に枕屏風を倒してしまい、隠していた布団の雪崩にあった。


「うおっ」


 ざまあみろ。瑠璃は、布団を被った鞍馬の腹に座った。


「あたしを雑に扱うから、罰が当たったんだ」


 ふんと胸を反らせると、目の前に花魁番付が降ってきた。

 番付とは、様々な物に順位付けて一覧にした表のことである。

 江戸っ子はこれが大好きで、茶屋の看板娘や風光明媚な名所、人気の温泉地を比べては定期的に頒布されている。

 花魁番付はその名の通り、人気の花魁の名を記したものだ。

 東ノ方と西ノ方に分け、太夫、格子、端までが、縦に並ぶ。

 大関や関脇、小結の覧には、太夫の名が。次は前頭で、格子張りの中にいる遊女が対象だ。その下、端の覧に『七彩』の字を見つけて、瑠璃はおやと思った。


「格子にいたのに、どうして落ちたんだ……」


 顔に被さっていた布団を剥いだ鞍馬は、「遊女の順位は、客数と態度による」と教えてくれた。


「情夫がいると発覚したり、他の遊女の客に恋文を送ったりして、見世に見つかったりしたら仕置きを受ける。そうなると見世に戻っても冷遇されんだよ」


 七彩は、幼馴染みの仇討ちの資金を作るために吉原に身を売った。

 その幼馴染みとの仲が問題になったか。それとも、琥珀の元に誤って届いた文の、本当の宛て主が露見して問題になってしまったのか。

 もしもそうなら紅玉も折檻を受けているはずだ。

 今朝方、瑠璃が華座に向かったところ、紅玉は興行権を戻してもらうための嘆願書をしたためていた。となれば、他に理由がありそうだ。


「端って、どんな扱いを受けるんだ?」

「大部屋で寝て、そこで客も取る。飯は最低限、死なない程度だって聞いたことあるぜ。禿ならまだしも、初物でもねえ格子落ちの遊女に、金をかける置屋はねえよ」

「そうか」


 瑠璃は、立ち上がった。

 重しがなくなった鞍馬は、のろりと起き上がる。


「どこに行く」

「吉原だ。友に食うに困らないだけの金を渡してくる。師匠は、狐者異を探してくれ。あたしもすぐに合流するから」

「結局、俺様にやらせんのかよ」


 くだを巻く声に背を向けて階段を下りた。

 表店で草鞋を履いていた瑠璃は、裏店に入る木戸の前にたむろする若者に気づいた。


「あれは瑠璃やないか。鞍馬様に三行半を叩きつけて浪花因講を出ていった」

「芸が達者でもないくせに、娘義太夫なだけで寄席に呼ばれて、勘違いしちまった口だろう。独り立ちが上手く行かずに泣きついてきたんだろうさ」

「恩知らずめ。さっさと出ていけや」


 彼らは、上方から来た義太夫たちだ。

 長旅を共にしている間は瑠璃を可愛がってくれたのに、江戸で瑠璃が寄席に出れば出るほど彼らとの距離は遠くなった。

 瑠璃が独り立ちを決めた理由は、何も心がないと悩んだからだけではない。

 仲間の嫉妬や猜疑心に嫌気がさしたのも大きかった。

 だから鞍馬も強く止めなかったのだろう。

 一人でやっていけるか不安はあった。しかし、古巣を離れた後悔はない。

 仲間と居場所を失った代わりに、好きなだけ浄瑠璃を語れる雷門裏のヒラキと、安普請だが落ち着く霜月長屋と、気っ風のいい長屋仲間を得た。

 そして、琥珀とも出会えた。

 江戸に来て手に入れた全てが瑠璃にとっては値千金。

 どんな誹りを受けたって胸を張って言える。

 あたしは、ここで生きているんだと。


「悔しかったら、同じようにやってみろ」


 赤いくちびるを引いて笑いかけると、相手はぞっとした顔で口ごもった。

 悪い口が再び開かないうちに、表店を出て吉原に向かう。

 堺町から浅草寺裏までは、けっこうな距離がある。

 申の刻を過ぎて、黄昏の下にようやく見返り柳が見えてくると、吉原を囲うお歯黒どぶの辺りに人だかりが出来ていた。

 胸騒ぎがして人をかき分ける。見えたのは、黒紋付を羽織った若狹だ。青ざめて口元を押さえている。

 瑠璃は、若狹の視線をたどって絶句した。

 木戸に目を閉じた遊女が横たわっている。血の気の引いた肌は雪山のように白い。

 髪や着物から黒い泥水を垂らす娘は、


「七彩……」

「苦海から逃げようとしたのだろう。なぜ、迎えを待たなかった」


 震え声で漏らした若狹は、切れ長の眦から涙をこぼした。それを見た瑠璃は、さらい始めた床本の結末が読まずして分かるように理解した。


「お前が、七彩の許嫁だったのか」


 七彩には許嫁がいた。親の敵を討ったら迎えに来ると約束した、心優しい武士が。

 口に出すと、若狹の表情から悲しみが消えた。


「拙者は、この遊女とは何の関係もない」


 口では否定するが演技は下手だ。引き結んだ唇はふるふると震え、駆け寄りたそうな葛藤が目の奥にちらついている。


「心配するな。あたしの他は誰も仇討ちについて知らない」


 七彩は木戸で運ばれて行く。亡骸が見えなくなると人々も散っていった。

 元よりお歯黒どぶには水死体が浮かびやすい。

 年季明けを待たずに吉原から逃げだそうとしたり、情夫と身投げしたり、折檻に絶えかねて入水したりと、遊女が亡くなるのは珍しい事ではないのだ。

 若狹は人目をはばかるようにして、瑠璃を見返り柳まで引っ張っていった。


「瑠璃殿、なぜそれを知っているのだ」

「七彩から聞いた。幼馴染みが仇討ちする金をこしらえるために吉原に来たと。お前の仇は一体どいつだ」


 若狹はしばらく黙り込んだ。

 もみあげから解れた髪が、夜風にあおられて薄い頬を叩く。


「……拙者の仇は、高野奉行である」

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