三
「死罪」
呆然とする琥珀を、用心が無理やり立たせる。瑠璃は、再び牢屋へと向かう琥珀を追った。建物から出てきた用心に背を向けてやり過ごし、忍び足で建物に侵入する。
座敷牢は空いていた。
高野がすぐに死罪を言い渡してしまうので、起き留めて事情を聞く必要がないのだ。ここが空な分、刑場には処刑待ちの行列が出来ている。
「琥珀」
最奥の格子に呼びかけると、壁に顔を向けて倒れていた琥珀は、信じられないような顔で起き上がった。
「瑠璃? いや、瑠璃がここにいるわけないか。僕ったら、ついに幻まで見るようになったみたいだ……」
「馬鹿言うな。あたしはあたしだ。触ってみろ」
腕を伸ばすと、琥珀は恐る恐る握り返した。
「触れる。幻じゃない。本当に、瑠璃だ。どうしてここにいるの?」
「あたしだってお前の心配くらいする。人攫いに見当がついた。下手人は、狐者異というあやかしだ。浅草界隈で子どもを攫って、川縁で食べていたらしい」
刑場が混み合っているのは不幸中の幸いだった。
琥珀が処刑されるまでは三日の猶予がある。鞍馬やろくろ首、華座や霜月長屋の皆に協力を仰げば、狐者異を見つけられるかもしれない。
「どうにかしてお前を助け出す。信じて待っていろ」
「…………信じられない」
「なぜだ」
「僕の近くにいる人が、次々に死んでしまうって話はしたよね。僕はずいぶんと前から、人の多い江戸で暮らしていていいのかと、いっそ自死するべきなんじゃないかと考えていたんだ。ついにその時が来たような気がしているんだよ」
突然の吐露に、瑠璃は戸惑う。
「死ぬなんて、そんなこと言うな」
「ごめん。でも瑠璃に聞いてほしいんだ。もう最期かもしれないから」
琥珀屋こと華山琥太郎は、数奇な人生を歩んできた。
華座の分家に生まれて、すぐに母を亡くし、父を亡くし、続けざまに兄と姉を失った。
三歳で初舞台を踏んでいた琥珀は、幼くして役者の才能を遺憾なく発揮したため、宗家が引き取って育ててくれた。
だが、そこでも不幸は起こる。
琥珀の世話人が二人、兄弟子が一人、事故や病で死んでいったのだ。
幾度も葬式を立てた一族は、異常に気づき始めた。
そのうちに、誰かが「琥珀が殺している」と言うようになった。
当時、八つになったばかりの琥珀は、捕らえられて町奉行の前に引っ立てられた。
縄をかけられ、お白州で取り調べを受けていると、遠山の妻が慌てて駆け込んできた。
息子が高熱を出して危険な状態だという。
話を聞いた琥珀は、思い切って自分を殺せと訴えた。
――御奉行さま。ぼくが近くにいると、ふしぎと人が死ぬのです。
殺した覚えはない。呪った覚えも、憎んだ覚えもない。
だが、自分が近くにいるというだけで人は死ぬのだ。
母も父も姉も兄も死んだ。
遠山の子に禍があったのも、きっと琥珀を取り調べているせいだ。
訴えを聞いたこの時の町奉行、のちに名判官と言われる遠山左衛門は、琥珀にこう申し入れた。
――では、人と距離を作って生きてみなさい。
遠山は、木挽町に建てた隠居所を琥珀に渡した。
一人きりで生活できるように取り計らい、使用人は最低限で、入れ替わりを早くした。
そうしたら人死には絶えた。遠山の子も快復した。
住む家から華座に出掛けて行く分には問題なく、板の上で舞っても役者や黒子には影響がなかった。
琥珀がそう報告すると、遠山は言った。
――前世の因果か。
前世なんて覚えていない。だがしっくりきた。
自分が前世で極悪人だったなら、理不尽な体質にも納得がいく。
今生で悲しい思いをするのは、罰を受けているからなのだ。
琥珀は、誰かと生きるのを諦めて、一人寂しく暮らしてきた。
命さえあれば十分で、刺激らしい刺激も、胸が騒ぐような恋もない。歌舞伎役者として認められていながら、常に下を向いて平坦な道を歩いているような人生だった。
空虚で、寂しくて、遣る瀬なかった。
そこに突然現われたのが瑠璃だ。
あやかしを食べてしまう彼女の秘密を知って、琥珀は安堵した。
変わっているのは、自分だけでは無かった。
同じく数奇な人生を送ってきただろう彼女となら、一緒に生きていけるかもしれない。
「僕は、瑠璃に夢を見てたんだ。前世の罪が消えるわけじゃないのにね」
黙って琥珀の話を聞いていた瑠璃は、ぐっと言葉に詰まった。
陽気でお調子者で、悩みなど一つも無いような男なのに、誰よりも重い因果を背負っていた。
彼が口説いてくるのを、すげなくたたき落としていた瑠璃は、本当に愚かだ。
「すまない。何も知らずに、お前を邪険にした」
謝る瑠璃に、琥珀は困り顔で笑う。
「邪険にされても嬉しかったよ。僕は、瑠璃といられるだけで幸せだった。好きって言えば好きになってくれると思い込んで、たくさん迷惑をかけたね」
「迷惑だと思っていたら、あたしは今ここにはいない」
奉行所に入り込んで騒ぎになれば、瑠璃は捕えられる。
それが分かっていてもなお、瑠璃は琥珀の近くにいたかった。
「みすみす死ぬな。お前が生きられる方法を、あたしが見つけ出してやる」
「どうして尽くしてくれるの。こんな僕のために」
理解できなさそうな顔を向けられて、瑠璃の腹がむかっとした。
格子から腕を伸ばして、薄い頬を思い切り抓ってやる。
「痛っ、痛いよ、瑠璃」
「お前が関わると、あたしはじっとしていられない。理由なんてそれだけだ」
指を離して立ち上がった瑠璃は、三日後に会おうと約束して牢を出た。
人目をはばかり、女中の詰め所までたどり着くと、娘義太夫が語りを披露したという噂を聞いた若狹が待っていた。
水場に行って弦を変えていたと嘘をつき、勝手口から表に出て奉行所を振り返る。
あと三日。
瓦屋根から覗く見越し松の、その向こうにいる琥珀を思いながら、瑠璃はその場を後にした。
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