「死罪」


 呆然とする琥珀を、用心が無理やり立たせる。瑠璃は、再び牢屋へと向かう琥珀を追った。建物から出てきた用心に背を向けてやり過ごし、忍び足で建物に侵入する。

 座敷牢は空いていた。

 高野がすぐに死罪を言い渡してしまうので、起き留めて事情を聞く必要がないのだ。ここが空な分、刑場には処刑待ちの行列が出来ている。


「琥珀」


 最奥の格子に呼びかけると、壁に顔を向けて倒れていた琥珀は、信じられないような顔で起き上がった。


「瑠璃? いや、瑠璃がここにいるわけないか。僕ったら、ついに幻まで見るようになったみたいだ……」

「馬鹿言うな。あたしはあたしだ。触ってみろ」


 腕を伸ばすと、琥珀は恐る恐る握り返した。


「触れる。幻じゃない。本当に、瑠璃だ。どうしてここにいるの?」

「あたしだってお前の心配くらいする。人攫いに見当がついた。下手人は、狐者異というあやかしだ。浅草界隈で子どもを攫って、川縁で食べていたらしい」


 刑場が混み合っているのは不幸中の幸いだった。

 琥珀が処刑されるまでは三日の猶予がある。鞍馬やろくろ首、華座や霜月長屋の皆に協力を仰げば、狐者異を見つけられるかもしれない。


「どうにかしてお前を助け出す。信じて待っていろ」

「…………信じられない」

「なぜだ」

「僕の近くにいる人が、次々に死んでしまうって話はしたよね。僕はずいぶんと前から、人の多い江戸で暮らしていていいのかと、いっそ自死するべきなんじゃないかと考えていたんだ。ついにその時が来たような気がしているんだよ」


 突然の吐露に、瑠璃は戸惑う。


「死ぬなんて、そんなこと言うな」

「ごめん。でも瑠璃に聞いてほしいんだ。もう最期かもしれないから」



 琥珀屋こと華山琥太郎は、数奇な人生を歩んできた。

 華座の分家に生まれて、すぐに母を亡くし、父を亡くし、続けざまに兄と姉を失った。

 三歳で初舞台を踏んでいた琥珀は、幼くして役者の才能を遺憾なく発揮したため、宗家が引き取って育ててくれた。

 だが、そこでも不幸は起こる。

 琥珀の世話人が二人、兄弟子が一人、事故や病で死んでいったのだ。

 幾度も葬式を立てた一族は、異常に気づき始めた。

 そのうちに、誰かが「琥珀が殺している」と言うようになった。

 当時、八つになったばかりの琥珀は、捕らえられて町奉行の前に引っ立てられた。

 縄をかけられ、お白州で取り調べを受けていると、遠山の妻が慌てて駆け込んできた。

 息子が高熱を出して危険な状態だという。

 話を聞いた琥珀は、思い切って自分を殺せと訴えた。


 ――御奉行さま。ぼくが近くにいると、ふしぎと人が死ぬのです。


 殺した覚えはない。呪った覚えも、憎んだ覚えもない。

 だが、自分が近くにいるというだけで人は死ぬのだ。

 母も父も姉も兄も死んだ。

 遠山の子に禍があったのも、きっと琥珀を取り調べているせいだ。

 訴えを聞いたこの時の町奉行、のちに名判官と言われる遠山左衛門は、琥珀にこう申し入れた。


 ――では、人と距離を作って生きてみなさい。


 遠山は、木挽町に建てた隠居所を琥珀に渡した。

 一人きりで生活できるように取り計らい、使用人は最低限で、入れ替わりを早くした。

 そうしたら人死には絶えた。遠山の子も快復した。

 住む家から華座に出掛けて行く分には問題なく、板の上で舞っても役者や黒子には影響がなかった。

 琥珀がそう報告すると、遠山は言った。


 ――前世の因果か。


 前世なんて覚えていない。だがしっくりきた。

 自分が前世で極悪人だったなら、理不尽な体質にも納得がいく。

 今生で悲しい思いをするのは、罰を受けているからなのだ。

 琥珀は、誰かと生きるのを諦めて、一人寂しく暮らしてきた。

 命さえあれば十分で、刺激らしい刺激も、胸が騒ぐような恋もない。歌舞伎役者として認められていながら、常に下を向いて平坦な道を歩いているような人生だった。

 空虚で、寂しくて、遣る瀬なかった。

 そこに突然現われたのが瑠璃だ。

 あやかしを食べてしまう彼女の秘密を知って、琥珀は安堵した。

 変わっているのは、自分だけでは無かった。

 同じく数奇な人生を送ってきただろう彼女となら、一緒に生きていけるかもしれない。



「僕は、瑠璃に夢を見てたんだ。前世の罪が消えるわけじゃないのにね」


 黙って琥珀の話を聞いていた瑠璃は、ぐっと言葉に詰まった。

 陽気でお調子者で、悩みなど一つも無いような男なのに、誰よりも重い因果を背負っていた。

 彼が口説いてくるのを、すげなくたたき落としていた瑠璃は、本当に愚かだ。


「すまない。何も知らずに、お前を邪険にした」


 謝る瑠璃に、琥珀は困り顔で笑う。


「邪険にされても嬉しかったよ。僕は、瑠璃といられるだけで幸せだった。好きって言えば好きになってくれると思い込んで、たくさん迷惑をかけたね」

「迷惑だと思っていたら、あたしは今ここにはいない」


 奉行所に入り込んで騒ぎになれば、瑠璃は捕えられる。

 それが分かっていてもなお、瑠璃は琥珀の近くにいたかった。


「みすみす死ぬな。お前が生きられる方法を、あたしが見つけ出してやる」

「どうして尽くしてくれるの。こんな僕のために」


 理解できなさそうな顔を向けられて、瑠璃の腹がむかっとした。

 格子から腕を伸ばして、薄い頬を思い切り抓ってやる。


「痛っ、痛いよ、瑠璃」

「お前が関わると、あたしはじっとしていられない。理由なんてそれだけだ」


 指を離して立ち上がった瑠璃は、三日後に会おうと約束して牢を出た。

 人目をはばかり、女中の詰め所までたどり着くと、娘義太夫が語りを披露したという噂を聞いた若狹が待っていた。

 水場に行って弦を変えていたと嘘をつき、勝手口から表に出て奉行所を振り返る。

 あと三日。

 瓦屋根から覗く見越し松の、その向こうにいる琥珀を思いながら、瑠璃はその場を後にした。

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