13.ミノアニアの奴隷たち
「ニキフォロスみたいって、どういうこと?」
「君といってることがそっくりなんだ。王族だから兵に命令して動かしているだけでいいのに、現場をみないとなにもわからない……そう言って俺たちと一緒に飯を食うのさ」
「……それってすごいの?」
「…………俺たちがそんなことやったら、下手したら鞭打ちだ」
たかが食事なのに、想像するだけで痛い仕打ちだ。
顔を顰めるアレッシアがおかしかったのか、テミスは朗らかに笑う。
「そう、そんな風に反応するのが珍しい。ミノアニアじゃ普通のことなのに、君はニキフォロス様のように、俺たちを同じ人間として見てくれるから」
「むしろ人間以外のなんなのか、意味がわかんない」
「物さ」
目を逸らすアレッシアの口はへの字に曲がり、嫌悪感を滲ませながらテミスへ言った。
「そういうの嫌い。二度と言わないで」
「うん、悪かった」
彼女が嫌がっているのに嬉しそうに微笑むのは不可解だ。ひと休みを終えると再び要塞内の散策に乗り出すのだが、アレッシアはあちこちを見て回った。
それこそレアやオミロスが呆れるほど、どこまでも、だ。
要塞は広い。まだ行っていなかった厨房から風呂場、奴隷用の寝泊まり部屋など興味は尽きなかった。休息を挟みながらも歩き回る彼女に人々は好奇心の目を向けるけれど、それよりも要塞の構造隅々を頭にたたき込んでいるようで、そんな彼女をテミス達は見守り続けた。
護衛もいるのだ。心配することはなにもないからと心置きなく散策を続けるのだけど、何もなかったわけではない。
途中、蔵書があるという部屋に入らせてもらった時だ。
小さな小部屋だが、奴隷は入室を許可されていないのでアレッシアだけが中に入った。中はまともに手入れされていないのか、本は虫食いだらけで、まともな本すら残っていない。
アレッシアの目的はこの世界、ひいては国を知ること。
一冊くらい残っていないのか本棚を漁っていたところ、扉の向こうから声が聞こえてくる。どうやら複数の奴隷がテミス達に絡んでいるらしい。
嫌味たっぷりの、聞きたくもない嘲りが耳に飛び込んだ。
「テミス様はすげえよなあ。殿下に取り入るのも上手くいって、お姫様の護衛なんて楽な任務を仰せつかっちまった」
つい眉を顰めるアレッシアだが、テミスの反論は聞こえてこない。出て行くべきか悩んでいると、声の主は語気を荒くして行く。
「おれたちとは話したくないってか? さすが、貴族様のご落胤は格が違うねえ。巫女さまを傍に傅かせてるだけはある」
「……ちょいと、あんたら」
「なんだい、本当のこと言ってるだけだろ? ……それで、親御さんに捨てられたテミス君は、どうやってお偉方に取り入ったんだ。やっぱりその可愛いお顔で神官様にご奉仕したか?」
「だから……」
怒りを堪えるようなレアの声。
嫌な人間というのはありきたりだが、こういった人物と対峙する恐ろしさはアレッシアも知っている。男達は彼女の存在に気付いていないのか、ずっと野次も飛んでいる。
「やめとけ、レア」
「オミロス!」
「はは、ガキにプライド売りやがった腰抜けが」
「俺らのことをどう思うのも勝手だが、とにかくやめておけ。ここでテミスに絡んだって良いことはひとつもねえぜ」
さすが年を重ねているだけあってオミロスは冷静だ。
ただ、こんな忠告で引き下がるようなら、はじめから絡んでは来ないだろう。アレッシアの予想通り、相手は反論しないテミスへ勝手に熱を上げてしまう。
ここでアレッシアは無言で扉を開けた。
目の前では――テミスの胸ぐらを掴んだ男が、いまにも彼を殴ろうと腕を振りかぶっている。
「……なにやってるの?」
淡々と問いかけたつもりが、口から出たのは思ったよりも冷たい言葉だ。
場は沈黙で静まりかえり、テミスから手を離した男は真っ青になって目を見開いている。
彼らを一瞥したアレッシアは男達の顔を一瞥してそっぽを向いた。
「そろそろ演習終わるでしょ。テミス、ルドを迎えに行くから付き合って」
早足で進むアレッシアの後をテミス達が追ってくる。
こころなしか肩をいからせるアレッシアに少年が問いかけた。
「アレッシア、彼らのことをルド様に話すかい」
一瞬「話す」と言いそうになったが、すぐに思い直した。
命の恩人達を悪く言われるのは気に入らないが、主神マグナリスの件で、絶対的優位を持つ存在の強さを学んでいる。ニキフォロスはマグナリスほど理不尽でもないだろうが、忠誠を誓う周囲の人間が、彼らをどう対応するかは予測できない。
足を止め、半眼になって答えた。
「テミスが言ってほしいって思うのなら別だけど、私からはなにも言わない」
「俺も黙っていてくれってお願いするところだった。分別ある君の行動に感謝する」
「余計な告げ口はしないってだけだから、感謝する必要はないと思うの」
「それでもだよ、ありがとう」
お礼に勢いを削がれてしまっていた。
全身から力を抜くと速度を緩めて、ルドを迎えるために再び移動を開始する。本当は終わる時間はもっと後のはずだが、勢いで飛び出したのだから仕方ない。
「テミスって、ただの奴隷じゃなかったの?」
「気になる?」
「質問を質問で返さないでほしいけど、そうだよ。聞こえちゃったから気になってる。でも聞いて欲しくないなら答えなくていい」
肩越しに振り返ると、テミス以外の三人は黙りこくっている。それぞれがテミスの反応を確認しているから、知らないのはアレッシアだけなのだろう。
デリケートな話だから深く詮索する気はない。案の定彼は答えないから、アレッシアもそのまま放って、通りの店先にある椅子を借りた。
適当に座りながら空を見上げ、兵士達が帰ってくるのを待っていると、ふいに彼が口を開くのだ。
「別に隠してる話じゃないんだけど」
「うん」
「さっきの彼が言ったとおりだよ。俺はどこかの貴族が戯れに手を出した奴隷の女の息子だ。良くある話さ」
思ったより重い話でかける言葉に困ったのだが、テミスは気にした様子はない。ただ風が吹いているよ、くらいに軽く喋るから、アレッシアも気にしない振りを装った。そのため出たのは、ありきたりな質問だ。
「貴族の息子なのに奴隷っておかしくない?」
「君、ほんとにおかしな考え方をするね。母親が奴隷なんだから、俺だって奴隷だ」
「お父さんが貴族なのに?」
「俺は父らしき人は知っているけど、その人は俺の存在を認めてない。だから間違っても貴族にはなれないし、奴隷から解放されたって偏見は変わらないよ」
授業で奴隷制度については習っていたから知識はあったけれど、直に目の当たりにすると、なんともいえないモヤモヤが残る話だ。
しかも、もっと気に入らないのはテミスがそれを当たり前のように受け入れている事実。
「別にテミスの人生だから、どうこう言うつもりはないけどさ」
ましてこの間会ったばかりの他人なので、彼の考え方について意見できる立場でもないのだが、奴隷という立場を当たり前のように享受しているのはアレッシアを苛立たせる。
外観に引っ張られるせいか、つい子供っぽく振る舞ってしまうも、中身は大人なのだから理知的に振る舞わねばならない、そう思いつつも言っていた。
「私はあんまりあなたたちのことしらないけど、奴隷が好きなことして、好きなように生きられないってことだけは知ってる」
あくまでも「知ってる」だけだが、と長い息を吐く。
「やりたいことを制限されるのを受け入れて、自分は奴隷だからって最初から決めちゃうのはつまらない」
「つまらないか。うん、まあ、そうだろうね」
「テミスは奴隷だから諦めちゃったこととかないの?」
何気ない問いかけが、無遠慮なものだったと気付いたのは彼らの顔を見てからだ。テミスやケルテラは曖昧に笑っているけれど、レアは無機質な表情で視線を落とし、オミロスは我関せずとあらぬ方向を向いている。
それぞれが抱く感情までは読み取れないが、いずれにせよ共通するのは、言いたくても言えない……そんな身分の隔たりを感じさせる態度だ。
だからアレッシアでもわかった。
彼女の疑問など、彼らにとっては当たり前で日常茶飯事なのだ。
奴隷達との間に見えない壁が立ち塞がった気がして、体育座りになって膝に顔を埋める。
これまでは慌ただしさが先立っていた。生きることと、この世界を知ることに集中していたし、ルドがいるので寂しさはだいぶ薄れているのだが、胸に到来するのは虚しさだ。
なにもできない、手助けできない現実の難しさが心を占めている。
己の無力さが悲しい、と強く感じだ瞬間だった。
時の織り神は そこ にいる かみはら @kamihara0083
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