12.お世話役達


 ニキフォロスの客人となったアレッシアに与えられたのは生活の保障と、要塞内を自由に行き来する権利だった。


 「おわあ……」


 口をあんぐり開けながら行軍演習を見下ろす。

 間抜けな姿にもかかわらず、アレッシアに接するテミスは丁寧だ。


「驚くほどのものかな」

「だってすごいよ。こんなのはじめて見たもん」


 アレッシアが立つのは要塞をぐるりと取り囲む壁の最上階だ。わざわざ借り受けた椅子の上に立ち、隙間から顔を出すアレッシアは、ちょうど行われている演習を眺めながら目をまん丸と見開いている。通りかかった兵士が彼女を微笑ましそうに眺めていた。


「すごい、あんなに大勢がぴったり同じ動きをするなんて驚き」


 いちいち感想を漏らすアレッシアに、後方で彼女を見守るレアやオミロスが顔を見合わせる。

 騎獣や人が巻き上げる土埃をもっとよく見ようと身を乗り出すアレッシアを、傍にいたケルテラがそっと制した。


「それ以上身を乗り出しては、誤って落ちてしまうやもしれませぬ」

「あ、ごめん。でもルドが見えなくって……」


 忠告に従うアレッシアだが、あることに気付くと、不服そうにケルテラを見上げた。


「敬語はいらないってば」

「そうは行きませぬよ。ニキフォロス殿下より直々に世話役を賜った以上は、貴女は妾たちにとって大事な存在になるのです」

「だからって改まる必要はない。怒られるんだったらニキフォロスの前でだけ直せばいい」

「……あとで直せと言われても知らぬぞ?」

「いいよ、だってテミス達だって敬語使ってないでしょ」


 彼らもはじめは敬語を使っていたが、アレッシアの強い要望でやめさせたのだ。このためニキフォロス直々に彼女の警護役を賜ったテミス達であったが、極力初めて会ったときと変わらぬ態度で接している。

 その警護対象であるアレッシアは演習が行われると聞き、喜んで見学へ出かけた。本来彼女を守るべきルドはミノアニアの千人隊長を継続するから、当然この演習に参加せねばならない。彼がアレッシアの隣にいられないときは、テミス達が彼女を守るよう仰せつかったのが、彼らが彼女の傍にいる理由だ。

 何千もの兵士達の動きは芸術的だ。アレッシアは歓声を上げながら見学していたものの、腹の音が鳴ったのを皮切りに見学を切り上げた。

 通りすがりに店で林檎をひとつもらうもニキフォロスが客人だと布告した娘なので、料金は発生しない。彼女の容姿と共に、人狼の千人隊長が大事にする娘を知らない人はいなかった。


「はい、どうぞ」


 アレッシアの投げた林檎を、テミス達は上手にキャッチする。

 林檎を囓り、気ままに歩くアレッシアの行き先は特に定まっていない。こういった散策はもはや彼女の日課であり、テミス達もどこに行くのかを尋ねたりはしないのだ。

 この時も小道を見つけると適当に入り込み、道迷いも恐れず足を動かした。小さな広場に瓦礫を見つけると、真っ白な衣が汚れるのも厭わず腰を下ろす。

 元は庭園だったのかもしれない、高い壁面に囲まれた小さな広場。この時のアレッシアは空を見上げるのが癖になっていた。

 彼女を見つめていたテミスが尋ねる。

 

「なにか面白いものはある?」

「ううん、なにも」


 ただ空が遠いと思っただけだ。

 無為に時間を消費するアレッシアに付き合うテミス達だったが、ここで少し躊躇いがちにレアが尋ねた。


「ねえ、あんた本当によかったの?」

「よかったって、なにが」

「あたしたちを護衛につけたことよ」


 少なくとも、彼女には最初に出会った頃のようなトゲはない。それは謎に包まれていたアレッシアの身分が明らかになったからであるし、ニキフォロスに命令されたからでもある。

 ただ、それでも彼女には納得しがたい理由がある。

 レアの言葉の意味を掴みかねるアレッシアに、レアの方こそ何故と言わんばかりだ。


「あたしたち奴隷よ。ルド様の代わりにすらならない身分なのに、そんなのに護衛を任せるなんてさ」

「ニキフォロスだって納得したし」

「そのニキフォロス様に進言したの、あんたなんでしょ」


 レアの言うとおりだ。

 ルドがいない間に護衛にするなら、彼らがいい――。

 そう言って付けてもらった四人だ。

 最初は言わずもがな、任務を放棄してまでアレッシアを助けてくれた命の恩人テミス。奴隷でありながらニキフォロスに名前を覚えられている優秀な少年だ。

 二人目はレアで、口は悪いけれど、なんだかんだで世話焼きの気性の少女。

 三人目はオミロス。テミスよりずっと年上の中年だが、少年の部下であることに文句を垂れたことは一度もない。実力さえあれば良いと評価しているらしい人物だ。

 四人目は三人とちょっと毛色が違う、巫女ケルテラ。彼女は高位の巫女らしいが、なぜ奴隷のテミスとつるんでいるのかは、いまだ教えてもらえたことはない。

 林檎を食べ終えたアレッシアは不思議そうに首を傾げる。


「うん。でもルドもそれなら安全だなーって納得してたし、別にみんなが奴隷なのは気にならないかな」


 アレッシアは奴隷制度に馴染みがないぶん、身分の差にはイマイチ疎い。それゆえ思うままに口にしただけなのだが、レアはこういった発言にいちいち理解し難いらしい。アレッシアが身分に拘らない分、普通に接するだけで顔を歪めるので、アレッシアの方が不思議に感じるくらいだ。


「そんなに変かなー」

「変っていうか……ほとんど頭がおかしいっていうか……あんた、挨拶も止めちゃったし」

「だって気持ち悪いじゃない」


 朝、顔を合わせる毎に額を地面に擦りつけて挨拶される側としては、気分が悪いばかりだ。頼むから止めてほしいと必死の形相で頼み込んで数日、やっと普通に話せるようになった。アレッシアとしてはいまの方が居心地が良いくらいなのだが、レアは逆に全身がムズムズと痒いらしい。その姿を見る度に、彼女は奴隷制度について物申したい言葉が溢れてくる。周囲に人がいないのを確認した上で言った。


「余所様の国だからあんまり文句をいうのもどうかと思うけど、会うたびに傅かれるのは好きじゃない」

「は――」

「人を金銭で売り買いするのも嫌いだし、両手を拘束されながら歩いているのを見るのも不愉快。ミノアニアは奴隷の数で裕福さが決まるみたいだけど、正直それもどうかと思う」

「あ、あんた、結構言うねぇ」


 ロイーダラーナのストラトス家から、試練のため第三層の追放地に落とされてはや数日。生活の質が落ちたのも、なによりお湯が自由に使えないのも、贅沢に慣れた身としては苦労することが多いが、数日かけて要塞を見て回った、もっとも悪い感想はこれだ。

 ミノアニアでは奴隷は大事な労働力と所持品。法律でも暴力で従わせるのは禁止であり、彼らを大切に扱い慕われる主人こそが至高と称されると知った。ニキフォロスや彼らの周りの人々は最高の主人らしいが、要塞内では明らかに主人に怯えている奴隷を何人も見る羽目になった。

 いま共にいるオミロスさえ背中に抱える古傷跡は、昔の主人によってつけられた鞭打ちの跡だ。

 世話になっている人達のことを悪く言いたくはないが――ため息を吐くアレッシアに、やっと合点がいったとテミスが目を丸める。


「もしかして……ここしばらく要塞を見て回っていたのは、俺たちのことを知るためだった?」

「そうだけど、変だった?」

「変と言うより、言ってくれたら教えたのに」

「教えてもらうのはもうやったの。実物を見ないとわからないこともあるでしょ」


 ミノアニアについてはルドと、それと借りた本の知識で少しは補っている最中だ。それでも現場を見ないとわからないと歩き回っていたが、これを聞いたテミスは少し嬉しそうに顔を綻ばせ、なんとも不思議な感想を口にした。


「君、まるでニキフォロス様みたいなことをするんだね」

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