11.考えることはむずかしい
ニキフォロスとの会談後、まず行ったのは話の摺り合わせだ。
王子との食事会はなんとか話を合わせたものの、実際は事態もなにも把握していなかった。移動先はルドの部屋なのだが、早々に自室で休みたかったアレッシアは文句を言いたかったが、彼の次の一言に納得せざるを得ない。
「新しい部屋となれば会話に耳を立てられる恐れがあるが、俺の部屋なら対策が取れている。すまんが休むのはそれからにしてほしい」
「そんなに警戒することー?」
「万が一だ。それに生憎と俺は音を遮断するような術を持っておらん」
「もう、しょうがないなぁ」
くたくたの体に鞭打って入室したのは、ひとことで表すと偉そうな部屋だ。無論、脱ぎ散らかした服が放りっぱなしになっているといった話ではない。綺麗に片付けられてはいるものの、壁にはミノアニアの国旗や武具、巨大な生き物の頭部の剥製、机には駒がおかれた近辺の地図に、ベッドにはクマの毛皮が置かれている。いかにもといった雰囲気が醸し出される室内で、アレッシアは勝手にベッドに横になると椅子に座るルドを見上げた。
「それで、ルドの方はこっちに来たのは五年前って本当なの?」
気の抜けた心地で聞くのは、ルドの辿ったこの地での軌跡だ。
これまでの話から予想できていた通り、彼はこちらに到着した時点でアレッシアに関する記憶を失った。到着地点はおそらく同じ場所なのだが、彼は運命の女神の戦士である記憶を有していても、なぜ森にいたのかといった経緯すら頭には残っていなかった。
毛皮の上で転がるアレッシアは首を傾げる。
「覚えてないなら上層に帰れば良かったのに、なんでしなかったの?」
「帰る手段がなかった。大半の力を封じられ、使役獣すら呼び出せない状況になっていたからな。これでは第三層から上層に渡る扉も見つけられん」
「それでよくやってこれたよね……」
「ただ生きるだけならば困ることはなにもない。それに力を封じられ、三層に落とされたのであれば必ず理由があるはずだ。それが神の課した試練であれば乗り越えねばならん」
「罪を犯したとか考えなかった?」
「ならばなおさら償わねばならん。我らが運命の女神は気紛れで人間を追放地に放流する神ではないからな」
アレッシアには想像もつかない胆力だ。
ルドは自身が追放地に落とされるとは余程のことをしでかしたらしいと思ったらしいが、腐りもせずに前を向いて生活を始めた。その中で難民や困っている人を助けていると、ニキフォロスと出会ったらしい。少年に王としての資質を見出すと配下となり、千人隊長を任されるまで登り詰めたそうだ。
「はー……たしかに、ルドは神から力を与えられてるみたいだし、信じられないくらい強いもんね」
「言っておくが、ここで神に与えられた力を使ったことはないぞ」
「え?」
「女神の与えたもうた試練に、神に与えられた力を使ってどうする」
力を封じられたのは大半といっていたし、多少なりとも影響があると思っていたが、どうやら違うらしい。人狼は心外だと言わんばかりに片目を釣り上げた。
「お前は我らが種族を知らないだろうが、元々人狼族は人より身体能力が優れている。むしろ常識内に落とし込み、人の範疇で剣を振るう方に苦慮した方だ」
「別の意味で苦労したんだねぇ」
「それに、これは勘と言おうか」
「んー?」
「ここで過ごしていれば、いつか必ず出会うべきなにかと邂逅できる予感があった」
それが五年目にして現れたアレッシアというわけだ。彼女を見た瞬間、ルドは封じられていた記憶が蘇り、封じられていた力をすべて取り戻したと語る。アレッシアとしては役目を思いだしてくれたのは嬉しいが、いきなり仕えていた主を千人隊長を辞するのは如何なものか。もっといえば穏便に申し出ることもできたはずではないかと問うのだが、これには理由があったらしい。
「加減ができん」
「……加減?」
「いままで俺は力を封じられた状態で、俺自身の力のみで剣を振っていた。いかなる場合も二割以下の力で人の範疇であろうとした結果を、ミノアニアの人々は俺の実力だと思っている」
「…………もしかして十割状態で一割以下の力を振るうのが難しいってこと?」
「拳だけで岩を粉砕する力を見れば、人々は必ず俺に求めるものを増やす」
彼はその力を当てにされたくない、と前置きした上で言った。
「お前が危険にさらされた場合は、俺は力を使うのを厭わん。限定的だが空間跳躍、使役獣といった人智離れした行動すら起こす。それを他の者にも使えるとは思ってほしくない」
「……頼りにしないでねって言うだけじゃ駄目なの?」
「人は過ぎた力を目の当たりにすれば、頼りにせずにはいられない。それにこの地の人々に自覚はあらずとも、三層は神々に見放された忌み地。彼らの神へ奉仕する心を挫いてはならんのだ」
以上がルドの千人隊長を辞めたい理由だ。この話を聞くと勝手に彼を貸与してしまったアレッシアは自身の行動を申し訳なく思うのだが、ルドは気にしなくて良いとも言った。
「これは俺の考えに過ぎん。お前が俺にミノアニアの剣であれと決めたのなら、そうする」
「……なんかそれって自主性なくない?」
「お前に選択を委ねるという俺の意思だ」
この点に関しては口でも勝てなさそうだ。次いでアレッシア側の事情だが、彼女が話せることは少ない。数日前にこちらに来たばかりで森を彷徨った結果、テミスに保護してもらったと伝えると、傍にいないもう一人について口にした。
「いつの間にかカリトンの姿もなかったのだけど、やっぱりルドみたいに記憶喪失でどこかに行っちゃったのかな。だったら見つけ出さないといけないと思うんだけど」
ただ、途中まではアレッシアと共にいたから、時間のずれが生じているとは思えない。そのあたりの意見を問えば、ルドは少々難しい表情になっている。
「どしたの、怖い顔しちゃって」
「……彼に関しては心配は不要だと俺は考える。おそらく探す必要もない」
「突然姿を消しちゃったんだよ、ルドは心配じゃないの?」
「そうではない。彼はきっと……」
皆まで言わず黙りを決めてしまうではないか。良いところで区切られてしまっては気になって仕方ない。しつこく続きを促すと、ため息と共に教えられた。
「途中までは一緒にいたのだろう。ならば、カリトンはわざと姿を消したと考える方が自然だ」
「わざと姿を消した……って、なんで?」
信じられない言葉に眠気は吹き飛び、アレッシアは身を起こす。
「これはお前の試練であり、お前の従者が俺とリベルトのみだからだ。彼は離れる前に何か言っていなかったか」
問われ、やっとカリトンとの会話を思い出す。そういえば少年は、アレッシアが相談できるのはルド達だけだと話していた。この会話をルドに伝えると、やはり、と彼は頷く。
「すべての運命はお前が定めるものであり、従者でもないカリトンが干渉するべきではないのだ。きっと離れた場所でお前を見ているだろう」
「それって私が大変なのを知ってて黙ってたってこと?」
「使役獣を使っていたのなら、カリトンは力を制限されていない。それに彼ほどの人物となれば姿を眩ませる程度、苦でもないだろう」
「私は兵士に襲われて殺されかけたのに?」
「テミスが助けたろう。つまり死んでいない」
すべて結果論ではないか。てっきりはぐれてしまったと思っていたばかりに、数日間の苦労が一気に脳裏に蘇る。憤りを隠せないアレッシアだが、そんな彼女の姿を見たルドが静かに「それだ」と告げた。
「ないものであれば頼りはしない。だがそこに己を助けられる力が傍にあるとわかってしまうと、怒りを覚えてしまうだろう」
「ルドが三層の人たちに頼りにされたくないって話? でも、カリトンは……」
「彼も女神の命で動いている。それを破ったとあっては罰せられるのは彼自身だ」
ルドは真っ直ぐにアレッシアを見つめる。
「アレッシア、お前は目の前で人が亡くなる経験をした。仮にカリトンが命令を破ったことで罪に問われ、命を失ったらどう感じる」
「……命までは奪われないと思う」
「そう言える確証はなんだ」
確証はなかった。アレッシアは反論しようとしたものの、ここで初めて己がカリトンの立場を考えず、彼の問いやルドの考えを軽く考えていたことを自覚する。憤りは途端にしぼんで小さくなり、クッションをぎゅう、と抱きしめる。
カリトンに対し怒りを覚えたこと自体が、彼らのことを考えられなかった証拠かもしれない。そう思うと恥ずかしさでいっぱいになり、居たたまれなくなったのだ。ついでに言えば、いまの返事は命を奪われなかったら、カリトンが痛い目に遭っても構わないと返事をしたも同義だ。
沈黙の帳が下り、元気を無くしたアレッシアは再びごろりと横になる。
「…………今日、ここで寝る」
「わかった。好きにしろ」
「あとさ」
「なんだ」
「……会えて良かった」
「ああ、俺もだ」
おやすみ、と挨拶を交わして目を閉じれば、すぐに眠りにつけたことが救いだった。
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