第56話

 栗山の車に乗り込むと、僕は小さく鼻をすすり、深く息をついた。

「栗山の顔を見たら、何かほっとしちゃってさぁ……」

 僕が泣いていたことに気付いているはずなのに、栗山は理由を聞いてこなかった。

「勿論、それもあるけど、僕は結婚しない人生を選んだんだなぁ、って思ったら、何だかちょっと寂しくなって……。すっかり涙もろくなったよ」

 また涙が溢れてきそうになって、僕は自嘲するように笑った。

「俺と、付き合ってくれるの?」

「うん。僕と、付き合ってください」

 僕がその目を見つめ返しながら答えると、栗山の顔がほころんだ。

「よかったぁ……」

 心底からそう思ってくれているような栗山の声を聞いて、僕は頬が緩むのを抑えられなかった。

「責任重大だな」

「えっ、どういうこと?」

「濱本には、結婚はしなかったけど、それはそれでよかった、って思えるような人生を送ってもらわなきゃならないからな」

「それは、大袈裟だって」

「俺はさぁ、最後の恋にするつもりだよ。だから、その恋にふさわしい相手として、濱本を選んだ」

「じゃあ、栗山に、最後に濱本と付き合ってよかった、って思えるような恋をしてもらわなきゃならないんだよね?」

「まぁ、そうなるよな」

「それは、相当なプレッシャーだなぁ……」

「ゴールデンウィークさぁ、松尾君の旅館に行かない?」

「えっ?」

「ここで待ってる間、濱本と付き合えることになったら、そうしたいな、って考えてたんだ」

「あぁ……」

「まだ再会するには早い、って濱本が思うんだったら、無理にとは言わないけど……」

「いや、そんなことは……」

「松尾君だって、自分と別れてから濱本がどうしてるか、ってことは気になってるだろうからさぁ……」

「僕はこの人と付き合って、幸せにしています、って報告しないとね」

「俺も、松尾君に会ってみたいし」

「元カレと今カレを会わせるのかぁ……」

「何か、すごくもてる男みたいだな」

「そんなことないって。まぁ、不思議なことに、かっこいい男にはもてるみたいだけど」

「言ってくれるなぁ……」

「まぁ、事実なんで」

 僕たちはくつくつと笑い合った。

「じゃあ、近いうちに日程を決めような」

「分かった。郭志君はどうする?」

「一緒に来ていいの?」

「僕は別に構わないよ」

「最初の旅行なんだから、二人だけで行ったら、って言われるような気がするけど、誘ってはみるよ」

「父さんと彼氏の旅行だから、一緒に行くのは嫌かな」

「その辺のことは、郭志も理解してるはずだし、それが理由で断ることはないと思う」

「じゃあ、来れなくても、悪い方に考える必要はないんだね」

「それはない」

 栗山はそう言ってから、まだ残っていたコーヒーのペットボトルを口へ運んだ。

「ありがとう」

「えっ?」

「僕と松尾君のこと考えてくれて」

「あぁ……、そういうことになるのかな」

 微かに首を傾げる栗山を見て、僕はふと大切なことを思い出した。

「あっ、忘れてた」

「えっ、何?」

「僕、栗山のことが、好きです」

 栗山はきょとんとした顔で、僕を見つめ返した。

「いや、ちゃんと言ってなかったなぁ、って思い出して」

「あぁ、そうだったよな」

「栗山は、ちゃんと言ってくれたし」

「それにしても、なかなかの不意打ちだったな」

「僕からしたら、栗山が公園でしてきた告白も、同じくらいの不意打ちだったけど」

「まぁ、そうだな」

 栗山はペットボトルをドリンクホルダーに置くと、後付けしたというアナログ時計に目をやった。

「四時四十六分だったよな?」

「うん」

「まだ二時間近くあるし……、ドライブし直すか」

「そうだね」

「初デートにしては、ちょっと時間が短い気もするけど……、今日は、俺たちにとって特別な日だからな」

「そうか、同じドライブでも、初デートになるのか」

「じゃあ、行きますか」

「行きましょう」

 嬉しそうに目を細めながらエンジンキーを回した栗山に、僕は微笑みながら頷いた。(了)

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それは、初恋が叶う前の恋だった 大河まさひろ @meganedanuki

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