第49話

 翌日、昼前にチェックアウトを済ませ、先に旅館を離れた僕は、石井に教えてもらったおすすめの場所を巡ってから、帰りの新幹線に乗車する駅へ向かった。待ち合わせ場所の新幹線ホームに諒馬が姿を現したときには、発車時刻まで十分を切っていて、折り返し運転の新幹線では車内清掃が始まっていた。

「すいません。結構ぎりぎりになっちゃいました」

「あぁ、いいって。お疲れさまでした」

 僕は労いの言葉をかけてから、諒馬の頭から爪先までを眺めた。

「えっ、どうしました?」

「いや、いつもの諒馬に戻ったんだなぁ、って」

「そりゃそうですよ」

「ちょっと、若旦那ロスかもしれない」

「えっ、もうですか? いや、それ以前に、若旦那ロスですか?」

「相当好きだったみたい、若旦那の諒馬」

「嬉しいんですけど、いつもの僕で我慢しください」

「我慢だなんて、滅相もない」

「滅相もないなんて、久し振りに聞きましたよ」

「僕も久し振りに言った気がする」

「乗りますか」

 車内清掃が終わった新幹線のドアが開き、並んでいた乗客の列が動き始めていたので、僕たちはその最後尾についた。

 二人掛けの席に並んで座ると、諒馬は倒したテーブルの上に小さな紙袋を置いた。

「あっ」

 諒馬が紙袋を提げているときから、目に入って気になっていた、右下に小さく印刷されたロゴを間近で見て、僕は思わず驚きの声を漏らした。

「気付きました?」

「えっ、何、こんなロゴあるの?」

 そのロゴは、左半分が緑、右半分が赤の帯に、縦書きで「まつお」の白抜き文字が入ったデザインで、文字は旅館の玄関に掲げてあった木彫り看板のものに似せてあった。

「四月から、平日の昼限定で弁当を販売する計画があって、その包み紙に印刷するロゴなんです」

「その弁当って、厨房で作るんだよね?」

「そうです」

「じゃあ、イタリアンなんだ」

「基本はそうなりますね」

「それで、緑と赤に白抜き文字なのか」

「イタリアの国旗をモチーフに、料理長がデザインしました」

「えっ、料理長が考えたの?」

「料理長って、学生のときに、デザインの勉強もしてたみたいです」

「へぇ……」

「僕はかなり気に入ってるんですけど……、どうです?」

「緑と赤の鮮やかな色と、『まつお』の渋い文字が、絶妙にマッチしてて、すごくいいと思う」

「貴史さんにそう言ってもらえて、よかったです」

 諒馬は嬉しそうな表情で、そのロゴをしげしげと眺めた。

「藤田さんの好きな色って、赤ですかね?」

「えっ?」

「貴史さんは緑で、僕は白じゃないですか」

「あぁ……、それで、藤田君が赤だったら、三色が揃うのか」

「花火大会のときに着てた浴衣、帯がえんじ色だったじゃないですか」

「そうだったな」

「あと、マフラーも赤ですし」

「確かに、普段の服装から、赤が好きなんだろうな、っていう気はしてたけど、はっきりと聞いたことはないなぁ……」

 僕はズボンのポケットに手を入れ、スマートフォンを取り出した。

「聞いてみるか」

「えっ、メールするんですか?」

「まだ仕事中だろうなぁ……」

「だと思いますけどねぇ……」

 諒馬の言葉にかぶさるように、間もなく発車することを知らせる車内アナウンスが流れ始めた。

「でも、今すぐ知りたいことだし……」

「まぁ、そうなんですけど……」

 会話が途切れると、ほどなくホームで流れていた発車メロディが止み、やがて新幹線はゆっくりと走り出した。

「送信しました」

 送信ボタンをタップしてから、僕は画面に表示されたメッセージの最後を呟いた。

「何て送ったんですか?」

「濱本です。仕事中だったら、本当ごめんなさい。早速ですが、藤田君の好きな色は何ですか?」

「なかなか単刀直入な文面ですね」

「仕事の邪魔になるかもしれないから、読むのにかかる時間を少しでも短く、という配慮からですよ」

「配慮するなら、そんなくだらない質問を送ってくるな、って話ですけどね」

「すぐに返ってくるかなぁ……?」

 テーブルに置こうとしたスマートフォンから僕の手に振動が伝わってきた。

「あっ、返ってきたかも」

「早かったですね」

 メールは藤田からのもので、件名はいつも通りの「藤田です」だった。

「どうでした?」

「赤です」

「えっ、本当ですか?」

 声を弾ませた諒馬に、僕はメールが表示された画面を見せた。

「あぁ……。貴史さんが言ったのって、全文だったんですね」

「思ってた以上に、単刀直入だった」

「仕事中だったんですかねぇ……?」

「まぁ、でも、欲しかった答えは返ってきたことだし」

「そうですね。じゃあ、食べますか」

 諒馬は紙袋の中から二個の白い弁当容器を取り出した。

「どうぞ」

「ありがとう」

 容器の包み紙にも小さく同じロゴが印刷されていて、僕はしげしげと眺めた。

「偶然の産物とはいえ、三人の好きな色が組み合わさってる、ってことが分かったら、愛着が湧いちゃうよなぁ……」

「僕の苗字が入ってるのが、ちょっと申し訳ない気もするんですけど……」

「でも、僕にしてみたら、諒馬の苗字が入ってるのも、愛着が湧く要因になるからね」

 最後は諒馬の横顔を見ながら、僕は少し気取ったように言った。

「あっ」

 照れ臭そうに目を伏せていた諒馬が、思い出したように僕の方を向いた。

「先に言っときますけど、この弁当は、イタリアンじゃないです」

「えっ、そうなの?」

「でも、特別な弁当です」

「特別な弁当?」

「はい、僕たちにとって」

 諒馬がこくりと頷いたので、僕は少し緊張を覚えながら、包み紙をきれいに外した容器のふたをそっと開けた。

「おぉ……」

 僕たちにとって特別な弁当とは、厚みのあるサンドイッチ三種、スライスしたオムレツ三切れ、小分けの容器に入ったサラダ、という内容だった。

「そういうことか」

「貴史さんの海老カツ、藤田さんの唐揚げ、僕のメンチカツです」

 三種の具材は、僕たち三人それぞれの、地球最後の日に食べたい料理だった。

「最後の晩餐を、サンドイッチにしてくれたかぁ……」

「最後の晩餐ドイッチですね」

「晩餐ドイッチか」

「シンプルに、海老カツサンドなら、海老カツしか挟んでないです」

「あぁ、そうなんだ」

「野菜やたまごサラダと一緒に挟んだのも作ってみて、それだけが一番美味しいんじゃないか、っていう料理長の判断です」

「料理長が判断したんなら、それが一番なんだろ」

 テーブルの上に置いてあったスマートフォンが振動したので、僕はおしぼりを開けようとしていた手を止めた。

「藤田さんからですかね?」

「そうだろうな」

「まさか、赤じゃない、って訂正じゃないですよね?」

「さすがにそれはないだろ」

 僕は笑い混じりに言いながら、件名が「藤田です」のメールを開いた。


 さっきは、素っ気なさ過ぎるメールを送ってしまい、すいませんでした。

 父とお義父さんとの三人で、食事をしているところだったので、取り急ぎ答えだけを返した次第です。

 現在、我が工場では、風邪をひく従業員が続出しており、校正者はお義父さんを除いて休んでいます。

 そんな状況なので、父と僕が校正の作業を手伝っているのですが、それでも、今日は照明器具のカタログを片付けなければならず、十時か十一時くらいまでかかりそうです。

 あぁ……、濱本さんと、横から覗き込んでこのメールを読んでいる松尾君が、手伝いに来てくれたらなぁ……。

 ところで、僕に好きな色を聞いてきたのって、どういう理由からですか?

 あっ、父とお義父さんの将棋が終わったみたいなので、仕事に戻ります。


 メールを読み終えたのがほぼ同時だったようで、僕たちはどちらからともなく顔を見合わせた。

「今度は、思ってた以上に、長文だった」

「そうですね」

「横から覗き込んでこのメールを読んでいる松尾君」

「まさにその通りでした」

「さすがだよ」

 改めてその一文を読みながら、僕は頬を緩めた。

「仕事、大変そうですね」

「でも、お父さん同士が将棋を指してたりするから、切迫した感じはしないんだよな」

「それだけだと、むしろ、のどかな光景ですよね」

 僕はメールの画面を閉じ、カメラを起動させた。

「撮るんですか?」

「藤田君に送るメールに添付しないと」

 三種のサンドイッチを完全に隠してしまわないよう、そして、ロゴがちゃんと写るように包み紙をかぶせてから、僕はシャッターボタンをタップした。

「あっ、いいんじゃないですか」

 横から覗き込んできた諒馬が言った。

「メールは後で送ることにして……、いただきますか」

「そうですね」

 僕たちはそう言ったものの、おしぼりで丁寧に拭いた手をすぐには伸ばさなかった。

「どれから食べます?」

「僕も聞こうとしてた」

「三人揃ってたら、迷わずにメンチカツなんですけど……」

「同じこと考えてたみたいだな」

「じゃあ、唐揚げですか」

「ここにいない藤田君に思いを馳せながら、ってことで」

 僕が唐揚げのサンドイッチをつまみ上げると、諒馬もそれに続いた。そして、お互いに目配せを交わしてから、僕たちは同時にかぶりついた。

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