第47話

 食事を運んできてくれたのも、デザートを運んできて食事の皿を下げてくれたのも、部屋に案内されたときと同じ仲居さんだった。しかし、担当している別の宿泊客の対応で手が塞がっていたようで、石井が代わってデザートの皿を下げに来た。

 僕はおかわりを入れてもらったアメリカーノを飲みながら、今日のデザートについて、プロフィットロールには、小さなシュークリームに見立てた幸せをお裾分けする、という意味もあるため、若旦那の誕生日にちなんで出すことになった、そんな話を石井から聞かせてもらった。

「カップをお下げするのは、明日の朝食を運んできたときでよろしいでしょうか?」

「あぁ、はい」

「それでは……」

「あの……」

 石井が立ち上がろうとしたので、僕は引き止めるために声をかけた。

「いや、その、何て言ったらいいのか……、僕と若女将さんって、宿泊客と若女将という関係での会話しかしてないじゃないですか」

 続きの言葉をどうしようか頭をひねっていると、石井が小さく笑いを漏らしたので、僕は少し驚いて顔を上げた。

「そうですね。他の従業員も揃っているときに、ヘアサロンの常連さんだと紹介されたくらいで、あとは、お客さまと若女将という関係での会話しかしてませんよね」

「まぁ、それはそれで、その方がいいのかもしれないんですけど……。でも、やっぱり、諒馬が結婚する……、あっ、諒馬って言っちゃいました」

「今は、普段通りに呼んでくれて、全然構いませんよ」

「じゃあ……、諒馬が、結婚する相手なんだなぁ、って意識してしまうわけで……」

「私も、若旦那……、諒馬君が付き合ってる相手なんだなぁ、って意識してましたよ」

「あぁ、そうなんですね」

「顔には出さないようにしてたつもりです」

「僕の方は、恐らく出てたんじゃないかと思います」

「いや、そうでも……」

 そう言いかけてから、石井は微かに首を傾げた。

「やっぱり、出てたんですね」

 何だか恥ずかしくなってきて、僕は顔を伏せた。

「おかしな話ですよね。結婚する相手に、自分以外の誰かと、しかも、同姓の人と付き合うことを認めるなんて」

「そんなことないですよ、とは言えない話だとは思います。付き合ってる僕が言うのも何ですけど」

「安心したかったんです」

「えっ……?」

「またおかしなこと言ってますよね」

「まぁ、ちょっと、予想してなかった言葉ですね……」

「お兄さんの話は、諒馬君から聞いてますよね?」

「あぁ、はい、大体は……」

「お互いに好きだったことも」

「その気持ちを、お互いに伝えられなかったことも」

 石井はどこか寂しげな表情を浮かべ、静かに息をついた。

「お兄さんは、私と結婚する前に、そのことをきちんと正直に話してくれましたし、結婚してからも、私のことを大切にしてくれました。でも、諒馬君のことを好きだという気持ちは、閉じ込めたままであって、消えたわけではなかったと思うんです。だから、何かのきっかけで、お互いの気持ちを知って、一線を越えてしまったら……、そんな考えがふと頭をよぎって、怖くなってしまうことがあったんです」

「それで、結婚する前に、男を好きになる自分にけりをつけてもらいたかった、ってことですか」

「けりをつけてもらう……。そうですね」

「今、こうして話をしてる間に、高校時代の同級生のことが頭に浮かんできました」

「高校時代の同級生……。それは、どうしてですか?」

「その同級生、男を好きになる自分をごまかしながらも、結婚して、子どもも生まれて、幸せな人生を送ってたんです。でも、幼なじみが亡くなってから半年後に、その幼なじみに似た男と出会って、恋人関係になってしまいました。奥さんには気付かれなかったみたいなんですけど、一年ちょっと続いて別れることになった日に、息子さんにばれてしまったんです。息子さんは話さないつもりでいたのに、その同級生は正直に話して、結局は離婚してしまいました」

「そうなんですか……」

「同級生は息子さんと一緒に暮らしてて、奥さんも再婚して、どちらも新しい人生はうまく行ってるみたいなんですけど……、もし、結婚する前に、その幼なじみと付き合って、ちゃんと別れることができてたら、あんな過ちを犯さずに済んだのかもしれない、って言ってました」

 僕が言い終わると、二人の間に沈黙が訪れたのだけど、ほどなく、部屋に近付いてくる足音が聞こえてきて、石井ははっと顔を上げた。

「なかなか戻ってこないから、呼びに来たみたいですね」

 きまりが悪そうな顔をしてみせてから、石井はすっと立ち上がり、襖を開けて前室へと出ていった。そして、呼びに来た仲居さんには、若旦那のヘアサロンでの仕事ぶりについて話を聞かせてもらっていたのだと説明し、すぐに戻るからと伝えた。

「ちょっと嘘ついてしまいました」

 和室に戻ってくると、石井はいたずらっぽく言った。

「まぁ、嘘も方便と言いますし」

 僕は同調するように答えた。

「あっ、コーヒーなくなりましたね」

「せっかくの美味しいコーヒーなんで、温かいうちに飲みました」

「じゃあ、お下げしますね」

「ごちそうさまでした」

「今から、厨房でお祝いです」

「あぁ、そうなんですね」

「山のようなシュークリームが待ってます」

「じゃあ、幸せの山分けですね」

「そうですね」

 石井は頷いてから、皿とカップを載せたお盆に手をかけた。

「じゃあ、戻ります」

「あぁ、はい。すいません、長い時間引き止めてしまって」

「いえ、濱本さんとお話しできてよかったです。ありがとうございました」

「僕の方こそ、石井さんとお話しできてよかったです。ありがとうございました」

 石井は和室から出ると、板敷きの上で正座をした。

「それでは、ごゆっくりお過ごしください」

「ありがとうございます」

 丁寧にお辞儀をする石井に、僕は気持ち身体を向けて頭を下げ返し、最後に穏やかな笑顔を交わした。

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