第46話
仲居さんに案内してもらった部屋で一休みし、大浴場でゆっくりと湯に浸かった後、僕はフロントで瓶のコーラを買い、しばらくロビーで過ごすことにした。
諒馬の気が散ってはいけないので、僕はフロントに背を向けたソファに座り、地元の新聞紙を広げながら、耳に入ってくる声や音で諒馬の仕事ぶりを窺った。
コーラを半分ほど飲んだところで、僕が座っている位置からほぼ正面に見える、年代物の柱時計が午後五時を告げる鐘を鳴らした。ほどなく、品のよさそうな高齢の夫婦がやって来ると、それからはほとんど間隔を空けることなく、宿泊客が続けて到着したため、フロントの前は慌ただしい雰囲気になった。
諒馬は両親や石井と一緒に玄関で迎えていたのだけど、途中からはフロントに入り、チェックインの業務を手伝っていた。かなり追われている状況だったにもかかわらず、諒馬は落ち着いた口調で対応していて、僕は感心させられた。しかし、要領はあまりよくなかったようで、フロントの前から宿泊客がいなくなると、年配の番頭さんから駄目出しをされていた。
「お疲れさま」
番頭さんが夕食の準備を手伝いに厨房へ行ったので、僕はソファから立ち上がり、フロントに一人で残っていた諒馬に労いの言葉をかけた。
「本当、疲れましたよ」
「この時間帯に固まるものなの?」
「そうですね。この時間だったら、夕食の前にひとっ風呂浴びることもできますし」
「あぁ、なるほどね」
「いやぁ、それにしても、貴史さんの客寄せ力はすごいですね。改めて実感しました」
「でも、今日は元々満室だったんだよね?」
「それはそうなんですけど、宿泊する人の数って、僕が生まれてからだと、今日が最多らしいんですよ」
「えっ、そうなの?」
「貴史さんの部屋を押さえて、予約で満室になってから、日程の変更で五部屋のキャンセルが出たんですよ」
「五部屋も出たの?」
「ここからバスで行けるところに、そこそこ大きな美術館があって、そこで開催される予定だったイベントが延期になったみたいで」
「あぁ、そうなんだ」
「その五部屋とも、二人での予約だったんですけど、改めて受け付けたら、五部屋とも、四人での予約が入ったんですよ」
「えっ、じゃあ、十人増えた、ってこと?」
「そう。それで最多記録更新ですよ」
「へぇ……」
「本当に、ありがとうございます」
諒馬はカウンターに両手をついて頭を下げてから、僕に向かって両手を合わせた。
「いやいや、そんな」
「藤田さんが言ってた、前世は信楽焼のたぬきだった説が、ますます有力になってきましたね」
「前世がたぬきの置物って、どう考えてもおかしいだろ」
「生き物じゃないですからね」
「そうだよ」
僕たちが微笑み合っていると、前庭の石畳を踏む足音と話し声が聞こえてきた。
「あっ、最後のお客さまだと思います」
「じゃあ、今日最後のお迎えか」
「そうです」
フロントから出た諒馬は、僕に頷いてから玄関へと向かい、ちょうど戻ってきた二人の仲居さんもそれに続いた。
「いらっしゃいませ。ようこそおいでくださいました」
玄関の格子戸を開けて入ってきた宿泊客に頭を下げる諒馬の後ろ姿を見てから、僕は客室がある方へと向き直った。
「あっ……」
僕が思わず漏らした声が聞こえたのか、早足で歩いてきた石井もはっとしたような表情を見せた。しかし、石井は足を緩めることなく、小さく会釈をしながら、僕のすぐ横を通り過ぎていった。
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