第34話
再会の日から約一ヶ月が経った木曜日、出張に来ていた栗山と飲むことになった。
今回の出張は泊まりがけで、栗山が予約していたホテルのロビーで待ち合わせた。周辺にも色々と店はあったのだけど、ホテルの地下に行ってみたところ、落ち着いた雰囲気の居酒屋が見つかったので、そのまま入ることにした。
半個室のテーブル席に通された僕たちは、おしぼりとお通しを運んできた店員に中ジョッキの生ビールを二杯頼むと、出席簿を思わせる黒い綴込表紙の付いたおしながきを、テーブルの中央に開いた。
「えっ、まさかの写真なしか?」
栗山は驚きながらも、どこか嬉しそうな表情で、綴じられた和紙をめくっていった。
「ないみたいだね」
「これは、ちょっと期待できそうだな」
「えっ、そう?」
「だって、写真が載ってないってことは、店員が説明を求められる機会が増えるわけだから、料理を分かってないといけないだろ?」
「まぁ、そうだね」
「自信を持って説明するんだったら、うちの料理は美味しい、っていう根拠があるに越したことはない」
「根拠のある自信、ってことか」
「あっ」
変わった料理名でも見つけたのか、栗山がおしぼりで拭いていた手の動きを止めた。
「海老カツがある」
「えっ?」
僕が見つけるのと同時に、栗山がその文字を指差した。
「俺、めちゃくちゃ好きなんだよ」
「僕もそうなんだけど」
「じゃあ、海老フライと海老カツだったら、どっち?」
「海老カツ」
「即答したな」
「えっ、栗山は?」
「海老カツに決まってるだろ」
栗山が当然のように答えたところで、店員が生ビールを運んできた。海老カツを筆頭に何品か料理を注文し、店員が下がると、僕たちはそれぞれのジョッキを手にした。
「何かさぁ、今の海老カツの話で、濱本との心の距離が縮まったような気がする」
「あぁ、そうだね」
栗山の嬉しそうな微笑みに、僕は頬が緩むのを抑えられなかった。
「じゃあ……」
栗山が改めてジョッキを少し高く上げたので、僕もそれにならった。
「俺が言っちゃっていいのかな?」
「任せます」
「それでは、二十五年振りの再会に……」
「乾杯」
栗山が目配せしてきたので、僕は最後だけ声を揃えて言い、僕たちはジョッキを軽くぶつけた。
三回目の海老カツと、二人とも三杯目となる生ビールが運ばれてきてから、栗山が腰を上げた。
「見せたいものがあるんだよ」
「えっ?」
栗山はハンガーにかけていたスーツの内ポケットに手を入れ、イヤホンを取り出した。
高校二年生だったときの文化祭で、クラスメートの佐川が書いたコントを、僕たち二人で披露した話が出たところだったため、僕はすぐにぴんと来たのだけど、そのときの映像が残っているのかは疑問だった。
「佐川から、そのときのビデオもらってたんだよ」
栗山はイヤホンを差し込んだスマートフォンを操作し始めた。
「あぁ、そうなんだ」
「もう、ビデオテープを再生する機器がないから、DVDに焼いて、それから、スマホに取り込んだんだよ……って、全部息子にやってもらったんだけど」
「そういうの、簡単にできちゃうんだ」
「なぁ。一応、息子がやってるのを横で見てたんだけど、何が何だか……。そうやって、はなから覚えようとしないのは、いけないとは思うんだけど……」
準備できたようで、栗山は小さく頷いた。
「せっかくだから……、一緒に観ようか?」
「えっ、一緒に、って……?」
栗山は答える代わりに、少し横にずれ、隣に僕が座れるスペースを作った。そして、屈託のない笑顔を向けながら、空いている座布団を軽く叩いた。
「隣に……?」
「その方が見やすいし」
「まぁ、そうだけど……」
酔ってご機嫌だと自分で言っていたので、別に他意はないのだろうと解釈し、僕は栗山の隣に腰を下ろした。
「はい」
「あぁ、ありがとう」
僕は栗山から受け取った片方のイヤホンを右の耳に入れた。
「じゃあ、開演します」
「はい」
僕が頷き返すと、栗山は再生ボタンをタップした。
舞台は小さな町の診療所で、医師役は僕、患者役は栗山だった。
喉がいがらっぽいと訴える患者に、医師は聴診器を当てただけの診察で風邪と判断し、薬を受け取って帰るように伝えた。しかし、異常なまでに神経質な患者は、他の深刻な病気の可能性を疑い、より高度で精密な検査を申し出た。あまりにも深刻そうな表情だったので、医師は可能な限りの検査を実施したものの、結局、異常は見当たらなかった。それでも患者は納得してくれず、医師は困り果てていたのだけど、問診票に書かれた患者の名前を目にして、頭の中にある考えが閃いた。
「五十嵐さんって、『いがら』ではないですけど、『いがらし』ですから、『いがら』っぽい名前ですよね。『いがら』じゃない、でも、『いがら』っぽい。それなら、いがらっぽいのは仕方ないかもしれませんねぇ……」
医師は笑い混じりに言ったものの、患者は真顔のまま黙っていたので、二人の間に気まずい空気が流れた。
「そういうことだったんですね!」
急に立ち上がった患者は、憑き物が落ちたような爽快な笑顔を浮かべ、医師とがっちり握手をしてから、軽快なスキップで診察室を出ていった。
コントが繰り広げられている最中には話が弾んでいたのに、動画が終わったときには、栗山はどこか寂しげな笑みを浮かべていて、その理由が分からなかった僕は、何と切り出せばいいのか言葉に困ってしまった。
「ごめん」
「えっ?」
「楽しかったなぁ、って笑いながら言うところなのに、年取ったせいか、涙もろくなっちゃってさぁ……」
自嘲するように言ってから、栗山は潤んでいた目を拭った。
「栗山……」
「俺と違って、幼なじみじゃないから、濱本は知らないんだよな」
目を瞑った栗山の横顔を見て、僕は胸騒ぎを覚えた。
「佐川さぁ、もうこの世にいないんだよ」
「えっ……?」
「三年前の春、心臓発作で亡くなったんだ」
「そうだったんだ……」
コントが終わってから、作家として体育館のステージに上がり、僕と栗山の間に立って挨拶をする、その誇らしげな表情がとても印象的だったこともあって、佐川がもうこの世にいないという事実を、僕はにわかに信じられなかった。
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