第23話

 ステーキに続いて、ケーキを平らげた頃には、少しぼんやりしていた頭も冴えてきて、何となく怠かった身体も軽くなっていた。

 僕の風邪は治ったものと見なし、諒馬が泊まっても大丈夫だろうと判断した。しかし、大事を取って、一緒に眠ることは避け、別の布団をラグマットの上に用意した。

「もうすぐ終わっちゃいますね」

 つけたままのラジオで全国の気象情報が始まると、諒馬が口を開いた。

「あぁ、終わっちゃうな」

 僕は諒馬がいる方へ身体を向け、視線を合わせた。

「でも、終わる前に治ってよかったです」

「諒馬のおかげだよ。ありがとう」

「どういたしまして」

「夏風邪ひいて、諒馬に看病してもらって、治ったらすぐに、ステーキとホールケーキを食べて……。一生忘れられない誕生日になったよ」

「僕も一生忘れないと思います」

「諒馬の誕生日は、どんな誕生日になるのかなぁ……?」

「二月ですから、風邪をひいてる可能性は高いですよね」

「今度は、僕が諒馬を看病するのか」

「でも、働くようになってから、寝込むほどの風邪はひいてないんですよ」

「じゃあ、まさかの、また僕が諒馬に看病してもらうパターン?」

「いやいや、二人とも健康体で迎えましょうよ」

「それもそうだよな」

 僕たちは笑い合ったのだけど、その余韻はどこか寂しさを感じさせるものだった。

「二月なんですよね……」

「同じこと、考えてるみたいだな」

「みたいですね」

「諒馬の誕生日を祝うときには、あと一ヶ月ちょっとになってるんだよな」

「そうですね……」

「先回りして悲しんだところで、何の意味もないだろう?」

 僕は台詞っぽく言ってみた。

「えっ?」

「高校生のとき、文化祭でやった劇の中に、そんな台詞があったんだよ」

「あぁ、台詞だったんですね。急にどうしたのかと思いましたよ」

「そのときは、気障で臭い台詞だなぁ、とか思ってたけど……、今言ってみて、なかなかいい台詞だなぁ、ってことに気付いた」

「今になって気付きましたか」

「先回りして悲しんだところで、三月に別れて悲しむことは、避けようがないし、先回りして悲しんだ分だけ、そのときの悲しみが和らぐとは限らないんだよな」

「だったら、別れるときが来るまでは、少しでも長く、楽しい時間を過ごせた方がいいですよね」

「そういうことだな」

 僕たちが微笑みながら頷き合うと、午前零時の時報が聞こえてきた。

「今日も、楽しい一日になればいいですね」

「じゃあ、仕事休もうかなぁ……」

「えっ?」

「そうすれば、諒馬とこのまま一日中過ごせるし」

「治ったんですから、仕事はちゃんと行ってください」

「少しでも長く、楽しい時間を過ごせた方がいいですよね、って言ったのに」

「そうは言いましたけど、貴史さんも僕も、日々の生活をちゃんと送る、というのが大前提ですからね」

 諒馬が真面目な口調で言うのを聞いて、僕は頬が緩むのを抑えられなかった。

「えっ、何ですか?」

「いや……」

 諒馬から視線を逸らすと、僕は仰向けになり、ゆっくりと息を吐いた。

「諒馬のそういうところ、好きだなぁ、って思ったんだよ」

「そういうところって、どういう……?」

「ちゃんとしてるところ」

「えっ、ちゃんと、ですか……?」

「これまで生きてきて、色んな人から言われてきたけど、諒馬の『ちゃんと』が、一番ちゃんとしてる」

「何ですかそれ」

「ちゃんとしなきゃな、って気持ちになる、そういう効果が一番高い、ってこと。あと、諒馬に言われると、何か、嬉しくなっちゃうんだよな」

「嬉しくなっちゃうんですか」

「なっちゃうね」

「それは、マゾっ気がある、という解釈でいいんですか?」

「あぁ、それは否まない」

「否めない、じゃないんですね」

「別に否定するつもりはないから、それでいいと思う」

「そこは否定して……、いや、しなくていいですね」

「否定してくださいよ、じゃないんだな」

「貴史さんが自分で認めるんだったら、そこは尊重しようと思います」

「尊重してくれるのか」

「僕も、どちらかと言えば、マゾっ気がある方だと思ってるんですけど……」

「じゃあ……、相対的サドなんだよ」

「相対的サド?」

「絶対的にはマゾなんだけど、もっとマゾな僕といるときには、相対的にサドになる」

「あぁ、そういうことですか」

「二人で生きてくって、そういうことなのかもしれないな」

「えっ……?」

「いや、だから、その……、役割分担が大事になってくるよな、ってことを言いたかったわけで……」

「貴史さんがマゾで、僕がサド、っていう役割分担ですか?」

「まぁ、今の話の流れだと、そうなっちゃうけど、それは、極端な例だから」

「これからプロポーズでもするのか、って思わせるような言葉を、いきなり挟み込んでくるから、びっくりしましたよ」

「しかも、話の内容が、マゾとサドなのに」

「そうですよ」

 言い終わるとすぐに、諒馬はゆっくりとあくびをした。

「そうか、この二日間は、あんまり眠れてないんだよな」

 僕はベッドの端に寄り、目をこする諒馬の顔を見つめた。

「まぁ、いつもと比べたら、ちょっと寝不足ですね」

 諒馬が左手を伸ばしてきたので、僕は左手で包むように掴んだ。

「今夜は、ゆっくり眠ってください」

「貴史さんの風邪も治ったことですし、安心してよく眠れそうです」

「おやすみ」

「おやすみなさい」

「じゃあ、離すよ」

「はい」

 手を離すと、諒馬は右手を上に重ねた左手を腹のあたりに置き、安らかな表情で目を閉じた。僕はその寝姿をしばらく眺めてから、同じ体勢で眠りに就いた。

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