第20話

 五日振りに戻ってきた僕の部屋に、夜になってから、仕事終わりの松尾がやって来た。

 母が作って持たせてくれたハンバーグとポテトサラダをおかずに夕食を済ませると、父が買って持たせてくれた缶ビールを一本ずつ飲むことにした。

「今日、泊まってっていいですか?」

「えっ?」

 いつもの日曜日と同じように帰るだろう、そう思っていたので、僕は少し驚いた。

「濱本さんは、明日、仕事ですけど……」

「あぁ……、別にいいよ」

「四日間会えなかったんで、今日はその分ずっと一緒にいたいなぁ、って」

「嬉しいこと言ってくれるなぁ……」

 僕がその言葉通りに嬉しさを噛み締めながら呟くと、僕のスマートフォンからメールの着信音が鳴った。

「あっ、もしかして、光輝君からじゃないですか?」

「あぁ、そうかもしれない」

 松尾が予想した通り、メールは光輝からのものだった。

「貴兄ちゃんへ、っていつもと同じだから、件名だけじゃ結果が分からないんだよな」

「あぁ、焦らすタイプなんですね」

「そうなんだよ」

 開いたメールの文面を目で追い始めると、僕はたちまち頬が緩むのを感じた。

「うまく行ったみたいですね」

「本当に告白したんだなぁ……。はい」

 僕はスマートフォンを松尾に差し出した。

「えっ、いいんですか?」

「松尾君へのお礼も書いてあるから」

「僕に、ですか?」

 スマートフォンを受け取ると、松尾は画面に視線を落とした。

「夜に会うって話したから、松尾君にも見せることを想定したんだろうな」

「叔父に告白してくださって、本当にありがとうございます、って書いてくれてるんですけど……」

「松尾君が告白してくれなかったら、僕が同性愛者だってことを話すこともなかったし、光輝から恋愛話を聞くこともなかったし、光輝が告白しようって気持ちになることもなかったと思う」

「でも、光輝君が告白したのは、光輝君本人が勇気を出したからじゃないですか」

「それはそうだと思う。でも、きっかけは、松尾君が告白してくれたことなんだよ。だから、ありがとう」

「もう……、叔父と甥っ子が二人がかりで、何なんですか」

「いや、松尾君を照れさせようとして、言ってるわけじゃないんだけど……」

「好きな人に、そんなこと言われて、照れない方が無理ですから。返信しますよね?」

「あぁ、するする」

 松尾からスマートフォンを受け取ると、僕は返信のメールを打ち始めた。

「光輝君、よかったですね」

「本当、よかったよ。我が甥ながら、よくやったと思う」

「高校生で、好きな男子に告白するなんて、僕にはちょっと考えられない、勇気と行動力ですね」

「そうだよなぁ……」

「もし、高校生のときに、好きな男子と付き合ってたとしたら、それから先の人生、大きく変わってたんですかねぇ……?」

「変わってただろうな」

 ちゃんとした文章を書こうとも思ったのだけど、それなら時間をかけて考えたかったので、後から改めて送ることにして、とりあえずは簡潔なお祝いの言葉だけを書いたメールを送信し、僕はスマートフォンを置いた。

「松尾君に出会えることはなかったんじゃないかな、って思う」

「そうですね。僕も、濱本さんに出会えなかったような気がします」

「だから、高校生のときに、好きな男子と付き合わなくてよかった、ってことだよね?」

「そうなりますね」

 こたつテーブルに頬杖をついていた僕の左手に、松尾が右手を重ねてきた。

「ちょっと震えてる気がする」

「めちゃくちゃ緊張してます」

 僕はその震えを吸収するように、頬を支えていた右手で、松尾の右手をそっと包んだ。

「僕も内心穏やかじゃないけど」

 僕が微笑みかけると、松尾の表情が少し和らいだ。

「松尾君……、好きだ」

「僕も濱本さんのことが……、好きです」

 松尾が伏し目になったので、僕は少し身体を寄せてから、ゆっくりと顔を近付けていった。松尾がそうしたのを確認し、僕も目を閉じると、ほどなく唇に柔らかくて温かい感触があった。

 初めての口づけは、ほんの数秒だけで終わり、唇が離れてから、僕たちは額同士をくっつけた。

「シャワー、浴びる?」

 僕の問いかけには答えず、松尾は僕の肩に顔を埋め、やがて首に鼻をつけてきた。

「僕の、好きなにおいです」

「におい?」

 松尾の言動に戸惑った僕は、つい上擦った声を出してしまった。

「何か、仄かに石鹸のにおいがするじゃないですか」

「あぁ……」

「髪を切ってるときに、濱本さんが暑くなってくると、襟の後ろを広げてスプレーするじゃないですか。そのときに、首のあたりから漂ってくるにおいが、好きなにおいだなぁ、って思ってて……」

「そんなに石鹸のにおい、してる……?」

 僕は首筋をこすった手の平を鼻に近付けてみたのだけど、先入観があるから分かるくらいの、微かなにおいだった。

「石鹸だけじゃなくて、その……、体臭って言ってしまうと、ちょっと違うような気もするんですけど、濱本さんから出るにおいと混じって、絶妙なにおいになってるんですよ」

「そうなんだ……」

「すいません。僕、何か、すごい、変なこと言ってますよね……」

「いや……。あぁ、でも、やっぱり、変なこと言ってるね」

 僕は否定しない代わりに、明るい口調で答えた。

「だから、このままで……、このままがいいです」

「物好きだなぁ……」

「いや、濱本さんが好きなんです」

「何だよそれ」

 小さく笑い合うと、どちらからともなく顔を近付け、僕たちは再び唇を重ねた。

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