第19話

 帰省している僕の部屋で光輝と一緒に眠るのは、光輝が小学六年生のとき以来だった。

「本当に、上でいいの?」

 部屋の照明を消そうと立ち上がった僕に、ベッドの上で身体を起こしていた光輝が聞いてきた。

「当時を忠実に再現したいから、むしろ、上で寝てほしい」

「忠実にって、身体の大きさが全然違うんだけど」

「小六のときに比べたら、どれくらい大きくなった?」

「身長は三十センチくらいかなぁ……?」

「体重は?」

「二十キロくらいかなぁ……?」

「頼むから、落ちてくるなよ」

「落ちないとは思うけど……」

「思うけど……?」

「いや、何でもない。気を付けます」

「じゃあ、消すよ」

 スイッチのひもを三回引っ張ると、僕はベッドのすぐ隣に敷いた布団の上で仰向けになった。

「あぁ……、懐かしいな、この感覚」

「懐かしいね」

 僕と光輝はしばらく言葉を交わさず、約五年振りに再現された空間の雰囲気に浸った。

「じゃあ、あの話の続きをしますか」

 天井を見つめたまま、僕から切り出した。

「友達にも言えないような人、から?」

「光輝が、やっぱり、って言った続きから」

「あぁ……」

「やっぱり……、何?」

 なかなか言葉が返ってこなかったので、光輝の考えていることは当たっている、僕はそう確信した。

「やっぱり……、いや、もしかして、貴兄ちゃんが好きだった人って……、男の人?」

 自分の言ったことが当たっている、光輝がそう確信するよう、僕はすぐに言葉を返さなかった。

「そうなの?」

「そうだよ」

「そうなんだ……」

「そうなんです」

 相手が光輝だったこともあってか、僕はすんなりと認めることができて、どこか清々しい気分だった。

「だから、カモフラージュのために、学校で一番人気だった長内さんの名前を出したんだよ。そのときは、一学年上の先輩と付き合ってたから、友達も話を聞いたところで、付き合わせるために余計なことをしてこないだろうし、長内さんに知られたとしても、その先輩と別れるなんてことはないだろう、って考えてな」

「でも、別れて、貴兄ちゃんに告白してきたんだ」

「そう、まさかの展開だよ」

「それって、貴兄ちゃんが好きな人の名前に出したことを知ってなんだよね?」

「本人には聞いてないけど、そうだろうな」

「でも、他に好きな人がいるから、って断ったんでしょ?」

「えっ? ってなるよな」

「そりゃなるよ。別れてまで告白したのに」

「やっぱり、ひどいことしたよなぁ……」

 そう呟いた僕の頭に、長内に告白された日の夜、ベッドに入ってもなかなか寝付けず、ぼんやりと天井を見つめていたことが思い起こされた。

「長内さんが付き合ってた先輩って、星野病院の一人息子で、今は確か、副院長になってるんだよな」

「えっ、そうなの?」

「ゆくゆくは院長になるだろうから……」

「長内さんには、院長夫人になる未来が待ってたかもしれない、ってこと?」

「そう考えたら、長内さんの人生を狂わせてしまったんじゃないか、って思っちゃうんだよなぁ……」

「でも、貴兄ちゃんが長内さんに告白したわけじゃないし、別れることに決めたのは、長内さんなんだろうし……。長内さんが、副院長じゃなく貴兄ちゃんを選んだ、っていうのが、一番の要因になるんじゃない?」

「それはそうかもしれないけど……」

「そもそも、貴兄ちゃんが好きな女子の名前に出したことを、長内さんは知らなかった、っていう可能性もあるんでしょ?」

「まぁ、なくはないけど……」

「もしかしたら、長内さんは、貴兄ちゃんのことが好きになって、副院長と別れたのかもしれない」

「そうなのかなぁ……?」

「もう、こうなったら、長内さんに聞くしかないよ」

「いやいや、今さら聞けないって」

「じゃあ、貴兄ちゃんは、長内さんに対して罪悪感を抱いたまま、これからも生きてくつもりなの?」

「罪悪感を抱いたままって、何か、仰々しいんだけど」

「でも、それを聞いたら、長内さんが改めて告白してきそうな気がする」

「それはないだろ、さすがに」

 そうは返したものの、連絡先を交換した後に僕の名前を口に出したときの、どこか神妙な面持ちが脳裏をかすめ、長内は何を言おうとしていたのか、僕は思いを巡らせた。

「今、付き合ってる人はいるの?」

「えっ?」

 こちらに身体を向けた光輝の顔は、障子越しに差し込む青白い月明かりの中で、妙に艶めかしく見え、僕ははっとしてしまった。

「あぁ……、いるよ」

「えっ、どんな人?」

「髪切ってもらってるヘアサロンの、スタイリスト」

「その……、彼氏に切ってもらってるの?」

「そう。松尾君っていうんだけど……」

 初めて言われた「彼氏」という言葉の響きに、僕はくすぐったい気持ちになった。

「君、ってことは、年下なんだよね?」

「十八歳年下」

「えっ、十八歳?」

「まぁ、驚くよな」

「僕の年齢分、年下なんだ」

「あぁ、そうだよな。そう言われたら、すごい年齢差に思えてくるな」

「どっちから告白したの?」

「松尾君から告白してくれた」

「へぇ……。写真ってあるの?」

「それなんだけどなぁ……、ないんだよ」

 さすがに寝顔の写真を見せるのは気が引けたので、僕は残念そうな口調で嘘をついた。

「えっ、ないの?」

「付き合い始めて、まだ一ヶ月ちょっとだから、写真を撮るようなイベントをしてないんだよ」

「あぁ、そうなんだ」

「まぁ、付き合ってるんだったら、お互いに写真の一枚二枚は持ってないと、って思うところはあるんだけど」

「ヘアサロンで働いてるってことは、休みは月曜日なの?」

「そう。あとは、第二・第三火曜日」

「じゃあ、貴兄ちゃんとは休みが合わないんだね。ゴールデンウィークは?」

「通常営業だから、月曜だけ休み」

「へぇ……」

「しかも、普段の土日より忙しいことが珍しくないらしい」

「大変な仕事なんだねぇ……」

「そうだなぁ……」

 光輝の枕元から着信を知らせる電子音が響いてきた。

「あぁ、ごめんなさい」

「メール? あぁ、ラインか」

「いや、メールだよ。この友達は、ちゃんとした文章をメールで送ってくるんだよ」

「あぁ、そうなんだ」

「返信しますので、しばしお待ちください」

「ちゃんとした文章書かないとな」

「勿論です」

 僕が顔を向けると、光輝は真面目くさった表情を見せた。

「今日、買い物に行ったときに会ってた友達なんだけど……」

「なんだけど……?」

「なんだけど……」

「なんだけど……、何だよ」

「今日の朝、その友達が出てくる夢を見たんだけど……」

「焦らすなぁ……」

 光輝は携帯電話を置くと、仰向けに体勢を変え、深い溜め息をついた。

「夢精しちゃった」

「へっ?」

 僕が素っ頓狂な声を上げると、光輝は少し困ったような笑いを漏らした。

「その友達って、男だったよな?」

「そう。小野君っていう、男子バレー部のキャプテン」

「へぇ……。名前と肩書きを聞いただけで、何かもう、男前な感じがするんだけど」

「去年の文化祭のミスターコンで優勝したから、実際にそうだと思う」

「光輝は、小野君のこと、好きなの?」

「それは自分でもよく分からないんだけど、他の男友達と比べたら、意識の仕方が段違いなのは確か」

「何か、斬新な表現だなぁ……」

「二年生の三学期に、体育の授業でバレーボールをしたんだけど、小野君と同じチームになって、最後に僕のスパイクが決まって勝った、っていう試合があったの」

「へぇ……、そんなことがあったんだ」

「球技に限らず、運動全般がからっきしだめな僕だから、それはもう盛り上がったんだけど、そのときに、小野君に抱き締められたんだよね」

「抱き締められたか」

「僕があまりにも下手っぴで、昼休みに小野君と二人で自主練してたから、その成果が出たのを喜んでくれただけのことで、深い意味はないと思ってたんだけど……」

「思ってたんだけど……」

「三年生のクラス替えが発表された日に、生徒玄関の前でその張り紙を見てたら、小野君がいきなり後ろから抱き締めてきて、別のクラスになっちゃったなぁ、ってぽつりと言ったんだよね」

「あぁ……。学校一の男前にそんなことされたら、きゅんとしない方が無理かもな」

「それだけでも、結構どきどきしてたのに、濱本って、何か抱き心地がいいんだよなぁ、って言われちゃって……」

「えっ、そんなこと言われたの?」

「だから、その日はずっと、小野君に抱き締められた感覚が身体から抜けなくて……、何かもう、悶々としてた」

 光輝の話を聞いているうちに、藤田に抱き締められたときの光景が蘇ってきて、僕は何だか落ち着かなくなってきた。

「貴兄ちゃん?」

「えっ?」

「寝てた?」

「いや、そんな、いきなり寝ないって」

 僕は光輝の方に身体を向けた。

「そうだ、小野君の写真ってあるの?」

「あぁ、一枚だけあるよ」

「見せてほしいなぁ……」

「しょうがないなぁ……」

 光輝は満更でもないような顔付きで、手に取ったスマートフォンを操作し始めた。

「僕も一緒に写ってるやつだけど……」

「むしろ、その方がいいよ」

「横向きなんで」

 二人並んでの自撮り写真を予想していたのだけど、光輝から受け取ったスマートフォンの画面に映し出されていたのは、モノクロのポートレート写真で、その美しさに僕は思わず息を呑んだ。

「えっ、これって、どういうシチュエーションで、こんな写真になったの?」

「学校で男子バレー部の練習試合があったのを観に行って、試合が終わった後に、僕が中庭のベンチで待ってたら、小野君が来てくれたんだけど、体育館が結構寒かったせいもあって、僕がくしゃみを連発したら、小野君が脱いだジャージを着せてくれて、襟が立ってるのを直してくれた、っていうシチュエーション」

「それで、小野君はユニホーム姿なのか」

「学ラン着てるからいいよ、って言ったんだけど、試合の後で温まってるから、って言って着せてくれたの」

「へぇ……」

「それで、そのシチュエーションを、練習試合の写真を撮影してた写真部の友達が、ちょうど中庭に出てきてて、見事にカメラに収めた、っていうわけ」

「本当、見事な写真だなぁ……」

 光輝が説明してくれたシチュエーションを想像しながら、僕は改めてしげしげと画面を見つめた。

「撮ったその場で見せてもらったんだけど、『お前ら、付き合ってんの?』って言われたんだよね」

「写真部の友達に?」

「そう」

「まぁ、そう言われても仕方ないオーラが出てるよなぁ……。それで、何て答えたの?」

「正直、僕は小野君のジャージを着せられてどきどきしてるところだったから、笑ってごまかすくらいだったんだけど、小野君は『もし本当に付き合うことになったら、こんないい写真を撮ったお前のせいだからな』って返してた」

「光輝と付き合うことになってもいい、っていうニュアンスを込めながら、写真を撮った友達のこともちゃんと褒めてるし、なかなか絶妙な返しだな」

「そうなんだよね。そんなわけないだろ、って否定するような言い方をしなかったのが、何か……」

「嬉しかった?」

「そうだね……」

「でも、嬉しいと思うことに、何となく違和感もある、ってところか」

「貴兄ちゃんは、自分が男を好きになる人間だってことを、自分で認めたのっていつ?」

「あぁ……。自分で認めたのは、高校三年生のときかな」

「えっ、そうなの?」

「長内さんからの告白を断る理由になった、好きな同級生が夢に出てきて……」

「まさか、夢精したとか?」

「そう」

「えっ、本当なの?」

「別に、光輝に話を合わせてるわけじゃないからな」

「へぇ……」

「だから、光輝の話を聞いて、あまりの偶然に驚いたよ」

「その、夢精したのが、きっかけなの?」

「そうだったと思う。自分を偽る必要のない夢の中でもそうだったんだから、もう認めるしかないのかなぁ、って。他の人に知られないようにしなきゃいけないのに、自分でもそうじゃないって否定しなきゃいけないのは、結構しんどいからな。だから、せめて自分くらいは、そんな自分を認めてあげないと」

「そうだよね……」

 僕からゆっくりと視線を外し、光輝は自分に言い聞かせるように呟いた。

「他の誰かに話したことはあるの?」

「ないなぁ……。まぁ、ばれてるんじゃないかなぁ、って思う人はこれまでに何人かいたけど、自分からちゃんと話したのは、松尾君が最初になるな。松尾君が、最初の……彼氏だから」

「へぇ……」

「松尾君に告白されてからは、仕事場で仲がいい藤田君にも、相談がてらに話して、今日は、光輝にも話したから、これで三人だな」

「僕は三人目かぁ……」

「貴重な三人のうちの一人だから」

「僕はまだ、貴兄ちゃんの一人しかいないんだよね……」

「数も大事かもしれないけど、たった一人だとしても、いるといないとじゃ、結構大きな違いだと思うんだよな」

「そうだね。たった一人だけでも、貴兄ちゃんに話してみて、否定されることもなく、ちゃんと聞いてもらえたから、だいぶ気持ちが楽になったと思う」

「それに、二人目ができるのも、もうそんな遠くなさそうだし」

「えっ?」

「小野君」

「あぁ……」

「告白してきそうな気配はないの?」

「気配ねぇ……」

「受験勉強の妨げになるから、恋愛は控えよう、って考えてたりするのかなぁ?」

「どうなんだろう……?」

「でも、今の関係を続けたまま悶々としてるのも、精神衛生上よくないよな」

「まぁ、そうだよね……」

「友達以上になれないことが分かったら、気持ちを切り替えて、恋人になれたなら、一緒に頑張って、受験に向かっていけるんじゃないかなぁ……、って言うのは簡単だけどな」

「でも、はっきりさせたい、って思うところはあるし……」

「じゃあ……、光輝から告白してみたら?」

「そうだね」

「えっ?」

「えっ?」

「告白するの?」

「明日、午後から会うし……。そんな、驚かなくても」

「いや、てっきり、そんなことできるわけないよ、っていう答えが返ってくると思ってたから」

「何か、今だったら、できそうな気がするんだよねぇ……」

「深夜で変なテンションになってるせいか」

「それはあると思う」

「じゃあ、一晩眠って、朝になって冷静に考えたら、やっぱり、そんなことできるわけないよ、ってなりそうだな」

「そんな気がする」

「もう、いっそのこと、今日は眠らないで、変なテンションのまま会ったら?」

「いやいや、もう眠いから寝るよ。告白するんだったら、まともな精神状態でしたいし」

 光輝は仰向けになり、ゆっくりと大きなあくびをした。

「じゃあ、寝ますか」

 僕は最後にもう一度、しかと画面を見つめてから、スマートフォンを差し出した。

「お前ら、付き合ってんの?」

「えっ? あぁ……」

 はにかんだような笑みを浮かべ、光輝はスマートフォンを受け取った。

「うまく行くといいな」

「もし、本当に付き合うことになったら、話を聞いてくれた貴兄ちゃんのおかげだね」

「そうなるのか」

「そうだよ。だから……、ありがとう」

「こっちこそ、話を聞いてくれたのと……、あとは、息子に恋愛相談される父親の気分を味わわせてくれて……、ありがとう」

「えっ、そんな気分だったの?」

「何か、そんな気分だったな。だから、嬉しかったよ」

「それならよかった」

「あぁ、いい気分で眠れそうだな」

「僕も」

「いい夢見て……、夢精しないように気を付けないと」

「いい夢って、性的な夢に限らないでしょ」

「それもそうだな」

 僕と光輝は顔を見合わせると、どちらからともなく笑いを漏らした。

「じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ」

 目を瞑った光輝の穏やかな表情をしばらく眺めてから、僕は天井に視線を向けた。そして、小野に告白してうまく行く、そんな正夢を光輝が見られることを祈りながら、眠りが訪れるのを待った。

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