Chapter 9 ●3255回目の誕生日

●耐圧強化ゴムバブル(緊急生命維持レスキュー装備)使用限界圧30ber


女史はその詳細を調べながら考えた。

『これを30barまで牽引してくれば、それにダイちゃんを乗せて緊急浮上できるわ。どうやら電気ショック治療装置も搭載されてるみたいだし、これに乗せてしまえば安心ね』

 チラッとダイバーウォッチを見た。先程20分以内と警告を受けてから5分が経っていた。

『あと、15分しかない。問題はその残りの時間内に、私がダイちゃんを30barの海域まで連れていけるかどうかだわ。とにかく時間がない、急がなきゃ』


 思考回路が結論をだすよりも早く、女史はコンソールのスイッチ入れた。

ジジッ!! とノイズを発し、耐圧強化ゴムバブルを牽引するためのビームが、発射された。

 昏睡状態のダイシュナルを、シー・ゴリラに優しく抱きかかえさせると、女史はまっしぐらに30barを目指し浮上を開始した。

 トーキンを救うという使命感にうたれ、ダイシュナルのバディペアを買ってでた女史だった。

 だが、その責任というメンタルな圧力が、今は実際の水圧よりも重く女史の両肩をホールドしていた。

『助けなきゃ……なんとしても……M.O.C.きっての2人の名ダイバーを、こんな事で失う訳にはいくもんですか』

 女史は赤いエナメルの爪で、ヒステリックに海水を引っ掻き、シー・ゴリラの後を全力で追いかけた。

 牽引ビームを受信したクルーザーは、30barでダイシュナルたちに遭遇する地点を算出すると、透明のカプセルにはいった耐圧強化ゴムバブルを、吐きだした。

 女史は、コンソールに内蔵されたムービング・キャッチで、それが無事に発射されたことを確認した。

「OK! あとは私達しだいよ。シーちゃん!」

 シー・ゴリラは一瞬振り返ると、ク〜〜んと鼻を鳴らした。

 2ファゾムほど遅れをとっていた女史を気づかい、シー・ゴリラは少しスピードをおとした。

「だめよ! シーちゃん! 急いで。私はだいじょうぶだから……今はダイちゃんの事だけ考えるのよ」

 女史はマスク越しに、ニコッと微笑みシー・ゴリラを促した。


 実際相当に苦しかったが、そんな状況でも女史にはまだ、笑顔をつくるだけのコンセートレーションは残っていた。

 エアー残量は心細い、しかも過激な運動量で酸素の消費は、普段の2倍ほどに跳ね上がっていた。

ピピッ・ピピッ・ピピッ

………牽引ソナーの甲高い発信音をさせ、透明カプセルは30barに接近した。

ピィ————————————————ッ

 ピタリと30気圧を測定し、カプセルはパカン! と2つに割れた。

 黒い皮膚をした耐圧強化ゴムバブルは、勢いよく海中に飛び出し、その皮膚をめいっぱい膨らませた。

 数秒で直径4mほどの、真っ黒の怒ったフグが完成した。

 次に30気圧のエリアに留まるため加圧装置が働き、

グロ—————ッという振動音とともに黒いバブルは水中に停止した。


 全力で浮上するシー・ゴリラは、グルウ……と喉を軽く鳴らし、遥か水上を睨み付けた。そのつぶらな瞳に、水上からの逆光線の中に浮かぶ、一つの黒い星が写った。

 耐圧強化ゴムバブルだ……。


 シー・ゴリラはグッと腕に力を込め、ダイシュナルをさらにしっかり抱え込むと、最後の死力を振り絞り、その黒い星をめざした。

あと4掻き………。

ピッ★

 シー・ゴリラの抱えるダイシュナルのコンソールが、自動的に照合パルスをゴムバブルに送った。

 赤い光線はゴムバブルのハッチに当たり、ロックを解いた。

ギュイーン!! ………という水切り音とともに、6本のアームが現れた。

 シー・ゴリラはそのアームにダイシュナルをつかませると、すぐにUターンしてまだ下にいる女史を救出に向かった。

 ハッチが開き、6本のアームは慎重にその中へ患者を収納した。

 ハッチは自動的に締まり、バブル内部のレスキューシステムは、即座にダイシュナルに対して減圧をしながら、酸素吸入治療を開始した。

 シー・ゴリラは、水中に浮遊する女史を発見した。

 彼女もついに力尽きてしまったのだ………。

クゥ〜〜〜〜ン と鼻を鳴らし、シー・ゴリラは優しく女史を抱きかかえ、ダイシュナルにした時と同じように、レギュレーターのスイッチをレスキューモードに切りかえ、再び全力で上昇を開始した。


 ゴムバブルに到着し同じように女史を黒フグに手渡した。ふたたびハッチが開き、女史もその中へ取り込まれた。

 シー・ゴリラは心配そうにその巨大な黒フグの回りを回遊している。

 後は、待つだけだ……。

 もしシー・ゴリラに人間と同じ位の知能があるなら、この時、きっと2人の無事を祈っただろう。


 黒いゴムに閉ざされ、2人の姿はもうシー・ゴリラには見えない。

 黒いフグは、やがてゆっくり上昇を始めた。

 これは2人が順調に減圧している証拠だった。

 このまま水面までたどりつくことができれば、2人は助かるのだ。

けれど……。

 30bar以下の水圧では生きられないシー・ゴリラは、ただ浮上してゆく黒フグを見送るしかなかった。

 耐圧強化バブルが、水圧30barからのカウントダウンを始めてから、5分が経過した。

 光沢の無いゴムの体内で、ダイシュナルとドクター・レムの身体は、幾本ものゴムチューブに固定されていた。

 その姿は、まるでイソギンチャクに捕らえられた小魚のようだ。

 計器類は自動的に2人の損傷状況を分析し、ダイシュナルには直ぐさま電気ショック治療が施され、女史にも酸素補給と栄養点滴が開始された。

 B.C.R.の誇るこのレスキュー装備は、現段階では最高レベルのすぐれもので、現在までにおよそ数千人のダイバーを、潜水病から救った実績がある。30barまで使用可能なことで、水中で一刻を争う場合には非常に有効な治療が可能となった。

 実際その救助成功率は、99.25%もの数値を叩き出していた。


 海上でオートコントロール状態のまま、待機するクルーザー。

 そのモニターには、上昇するゴムバブルがしっかりと捕捉され、映し出されていた。

 黒い点はゆっくりと……だが力強く浮上してくる。

 モニターには、その速度と距離がデジタル表示でカウントされていた。


 20bar——————190m

 18bar——————160m

 16bar——————120m


 水圧15barを過ぎたあたりで、2人はうっすらと意識を取り戻した。

 ダイシュナルは真っ暗なバブルの体内で、チカチカと点滅する赤い計器類の瞬きを感じ、ここがゴムバブルの中であることを悟った。途切れた意識を手繰り寄せ、マインド・コントロールにより記憶を呼び戻す。

『………助かったのか……。だが、まだ頭がクラクラする………。そうだ、彼女は……』ダイシュナルは女史を捜そうと、あたりを見回した。

 だが、身体はしっかりとイソギンチャクに捕らえられ、首を回すことすらできない。

 それでも、見える範囲の視界で、懸命に女史の姿をさがした。

ダイちゃん……。そこにいるの?」

 女史の声がした。

 ダイシュナルはそのしっかりした声を聞き。

 ホッ、と溜め息をついた。

「だいじょようぶか?………おれのほうは、まだちょっと頭がはっきりしないが、この減圧が終わる頃には元気になりそうだ……」

「そう……私もどうにかだいじょうぶよ。でも……シーちゃんはどこなの?」

「わからない、おれは気を失なう瞬間、やつのまぼろしを見た気がする……」

「それは…現実よ。ダイちゃんはシーちゃんに助けられたのよ。……そして、このバブルを私がコンソールで呼び出して、シーちゃんにあなたをここまで連れていくように、……それから……私も跡を追って……。ああ……でもそこまでしか思い出せない」「それじゃ、おれたちはいったいどうやって、このバルブに乗り込んだんだろう?」

 2人とも同時期に気を失っていたわけだから、当然だった……。

 その時。

〔きみたちは……シー・ゴリラに助けられたのさ……。そして彼はまだ水中30barの所で君たちの無事をいのり見送っているだろう〕


「トッ……トーキン!!」

 ダイシュナルは、驚嘆の叫びをあげた。

 もし、イソギンチャクにからみつかれてさえいなければ、1mは飛び上がっただろう。

 ブレインシールドに守られたトーキンの脳波が、二人の脳に直接飛び込んで来たのだ。

 女史は少しおちついて、同じようにバブル内に固定されたトーキンのブレインに話しかけた。

「トーキン?…………なのね…あなた…。こんな状態じゃ、気分もすぐれないでしょ…ごめんなさいね…でも、あなたの体は私の研究所の減圧室で、ちゃんと保管してあるわ…しんぱいしないで…すぐに、もとの体にもどしてあげるから」

 トーキンの脳は、このドクターの言葉に安心したのか、それっきり語りかけることはなかった。


 バブルの天上が、カメラの絞りのようにウイ〜〜〜〜〜ンと開き、真っ暗だった2人の視界が突然太陽光線にさらされた。

—————そこはもう水面だった。

 外から、心地好い風が吹き込んできた。

 ダイバーのだれもが、この瞬間、自分の住処に生還した思いにひたる。

 しょせん人は、大気中で生きるよう定められているのだ。

『この帰巣感だ……』ダイシュナルは思った。

 ふだんは、あたりまえにしか考えていない、あたりまえの安全。

 生身のままでいられるエリア……。

 ダイバーは、より深く、より長く、より危険な冒険を繰り返しては、かならずここに帰ってくる。


 その昔、何千回というダイブを繰り返したのち……とうとうJランクダイブを初めて成功させた男がいた。

 こんな時ダイシュナルは、必ずその男の言葉を思い出す……。


——————————————————————————————————————      

    魚になりたいと思うほどの、水中の魔性より帰還する時……。

    その大気を、せいいっぱい深呼吸する時……。

    私ははじめてこの世に生まれたような、誕生感を知る。

    それはまさしく、母の体内からいでた瞬間であろう……。

    一回のダイブが、その人間の中のなにかを、

    またひとつ新しく覚醒させる。

    私は………何度でも生まれるだろう。

    そして、全ての日が、私の誕生日になるだろう。

——————————————————————————————————————


ルネ・ダイシュナル……彼の父親の言葉である。


『誕生日……か』

ダイシュナルは思った。

 本当の意味で、トーキンの脳が体に戻り彼が甦った時こそ、2人だけの誕生日を祝おうと……。

 クルーザーから伸びたオレンジ色のクレーンは、しっかりとバルブを持ち上げ、船内に運び入れた。

 ダイシュナルは、クルーザーのメインコンソールを呼び出し、シー・ゴリラ回収用のカプセルを投下すると、女史に向かって言った。

「シーちゃんのお迎えを出した……。もう心配いらない。数分で彼を回収できるよ……」

「ホッとしたわ。後はM.O.C.に戻って、トーキンの手術を成功させるだけね……」


 数分後、シー・ゴリラも無事に収容された、クルーザーはゆっくりと180度旋回した。銀色のさざなみを残し、2人と一匹はベイル海峡を後にした。


 無人の操縦席はオートコントロールのまま、計器類をチカチカと作動させながら、正確に帰路をたどっている……。

 バブル内のダイシュナルは、今回の作戦結果をログメモリーに入力していた。


         2992年11月1日、ダイブ・メモリー003255SZ

        ダイバーA: ギル・ダイシュナル コード002

        ダイバーB: シャルル・ソニア  コード588

        ダイブポイント…ベイル海峡〜バリアント・シーグル

        潜水難易度…ランクE〜J 後にKランクに変更

        水深………………………323 ファゾム(約603m)

        水温……………………… 6.5℃→1.0 ℃

        減圧停止…………………17回/TOTAL 46分

        エアー消費量(毎分)002 = 351l 558 = 370l

        残留窒素…………002 = 0.8 558 = 1.2

        滞底時間………………… 192分


——————————————————————————————————————

                  備考

●この記録は、M.O.C.規定に違反するため、あくまでギル・ダイシュナルの個人メ

 モリーとして保存する。

●問題点その1〔バルチコイドの回収〕マリン・ローズ撃退のために、水底に放置  

        したバルチコイドを撤収しなければならない。

        理由:水中生体系の崩壊、しいては全世界の自然バランスを崩す恐      

        れがある。

●問題点その2〔マリン・ジェットの回収〕水中分解したマリン・ジェットの痕跡                       

        を、抹消しなければならない。

        理由:ダイブ禁止エリア(バリアント・シーグル)への侵入が、    

        M.O.C.に発覚する恐れあり。

——————————————————————————————————————


 ダイシュナルは、そこまで記録を終えると、備考の部分だけをピックアップし別のネールデータとして記録した。

 そして、その余白に手動でこう打ち込んだ。


——————————————————————————————————————

いつもすまない、以上2点、後始末を頼む。

また借りができたが、こればっかりは他に頼むやつがいない……。

おまえを信頼してのことだ、よろしく頼んだぞ。

そのうち、この穴埋めはきっとするよ。


B.C.R.特殊部隊 バイザード軍曹へ

             FROM ダイシュナル

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ダイシュナルは、旧友バイザードへ以上のような内容のメールを送信した。

 バブルのレスキューシステムにより、ダイシュナルとドクター・レムは、着実に回復へと向かっていた。

 B.C.R.の最高水準のレスキュー技術は、瀕死のこの2人をまるで掠り傷程度の子供のように扱っている。

 そのころシー・ゴリラは、水圧30barの水槽の中で深い眠りに入っていた。

 それもまた、M.O.C.の生命保護〔メンタル・リラクゼーション〕機能によって、きわめて安定した状態に保たれていた。


 2人が完全に回復するころ、クルーザーはシーポートに帰港した。

 かなり綱渡りではあったが、とにかくトーキンのブレーン脱却には成功し、2人は満足していた。


こうしてダイシュナルのダイブ暦に、

              3255回目の忘れがたいアドベンチャーが追加された。


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