エピローグ『列車食堂』

 書籍化作家さんが主催するSNSの小説賞、その第三回に『椰子の実ひとつ』が受賞した。賞品動画の公開を心待ちにしていた、春のこと。

 

 文筆舎から既刊の販売期間延長を打診されたが、費用面の問題と、区切りをつけたいからと断った。来年の早春には絶版となるが、それもまた本の運命だと、本好きの物書きとして納得をしていた。

 そしてこれを契機に、読者に偽りの希望を与えたことと、その後悔を一編の物語にしてSNSで公表した。

 

 うつ病に苦しんでいた妻は、共同出版した私小説の刊行時点で、既にこの世を去っていました、と。


 望みのない現実を謝罪して、何がうつ病加療小説だ、買う気が失せたと糾弾されてもいとわない、そういう筆を折られる覚悟を決めて投稿していた。

 でも、もう一作、せめてもう一作だけ書かせてはくれないか……。


 この前作は鉄道ネタをあえて捨て、生命をテーマにした異世界ものを執筆していた。が、満足出来る小説にはならず、身を持って鉄道の現場を知る僕にしか書けない小説があると、気づきを得た。

 次も鉄道を書く。『列車食堂』『椰子の実ひとつ』に続く鉄道ドラマを描こうと資料を収集していた、その矢先。


 スマートフォンが震えると、その小さな画面には「文筆舎」と表示された。


 電話越しの声は、弾んでいた。直接喋ったことはなかったが既刊の感想を手紙でもらっていたから、名乗りに続いて『覚えていますか?』と尋ねられ、誰だかすぐに思い当たった。

 文筆舎の編集長だ。


『出版キャンペーンにご応募頂いた「列車食堂」、これが編集者みんなに評判が良くてですね……』


 そう、過去に共同出版した執筆者を対象に、出版費用を文筆舎が負担する、つまり商業出版に近い形で本を出せるキャンペーンが行われていた。これに僕は、文字数が少なく公募にも振られ続けた『列車食堂』を応募していた。

 対象作品は一作だけの棚ぼただから、僕は自腹を切る覚悟でいた。これに選ばれなかったら他の出版社から自費出版するか、不本意であったが四万字の水増しか、電子書籍の自己出版かを検討していた。


 だが編集長はうずうずと、言いたそうでもったいぶった言い方をしている。僕はざわつく胸を押さえつけ、ただ「はい、はい」とだけ言葉を返した。


『山口さんの「列車食堂」が選出されました。もちろん出版費用は当社で負担します、おめでとうございます』

「本当ですか!? ありがとうございます!」

 歓喜に弾む声を聞き、編集長はしみじみと四年間の物語を振り返った。


『前作で感想を書きましたが……頑張りましたね』


 顔を出すのもやっとな藪の中に落とされて、妻が遺した物語の小さな光、それを道標にして藪をかき分けて進んでいった。

 足を取られてつまづいて、獣道を見つけて辿り、出会いがあって再会があって、違う道を選んでは見失い、僕だけの道をひらいて歩き、目指した光をようやくこの手で掴み取った。

 遠回りはしたけれど、僕にかけがえのない経験と出会いをもたらしてくれた。それが今、花を開いて実を結ぼうとしているんだ。

 そんな想いが、僕の胸を熱くした。


『出版契約書を送ります、今回は書いて送り返して頂くだけで大丈夫です』

「かしこまりました、宜しくお願いします。本当にありがとうございました」

 電話を切って、長いため息の余韻に浸る。物語に生命を賭けるまでになった僕は、物語に生命を救われた、そんな気がしてならなかった。


 どこまで広がる深い藪を見渡すと、風に煽られた一冊の本がページをめくられて、新たな光がぽつりぽつりと浮かんで灯った。それは道なき道へと踏み出さなければ掴めない道標であり、目標だった。

 僕は妻が遺した光をかざし、顔まで埋まる文芸のうねりへ身体を再び沈めていった。


 物語は終わりを迎え、新たな物語がはじまった。

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ほんとのはなし 山口 実徳 @minoriymgc

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