第48話『紙の砦』

 主任の仕事は、出し抜けにわかった。生粋の文系だから数字を数字として理解出来たわけではなく、数字の意味を言葉に置き換えて、突如としてひらめいた。

 時間を要したお金の計数や両替は、あっという間に終わってしまい、ハッと時計を見上げた僕自身が驚かされた。


 そうして最も忙しい春を乗り越え、迎えたゴールデンウィーク真っ只中。非番の僕はいつもどおり鞄を置いて二階へ上がり、留守番をしてくれた猫たちにご褒美の『おやつ』を与えて、慌ただしく一階に降りて仏壇の妻に香を捧げた。


 ブランチタイムに昼食を済ませて昼寝をし、夕方に晩ご飯の弁当を作って風呂に入って、欠員補充のために再び駅に出勤する、そのつもりでいた。

 インターバルが短かいのでしんどいが、同業他社であるような非番日勤の三十六時間勤務や、連泊の四十八時間勤務ではなく、こうして帰れるのはありがたい。お陰で猫に『ごはん』をあげられる。


 しかし、いつもとの違いがひとつあった。


 今日はSNSでの小説賞の『列車食堂』賞品動画の配信日。百六十を超える作品の中から選ばれた六作品、それがすべてイラスト付きの朗読動画として配信される。

 しかしスケジュールによれば『列車食堂』の配信は十四時、夜に備えて昼寝をしている時間だ。


 リアタイしたい、でもリアタイしたら夜の仕事がキツくなる。駅の仮眠時間は短いから、今のうちに少しでも寝ておきたい。

 寝落ちするのを前提に、宣伝を兼ねて僕の事情を説明し、早めの昼食を簡単に済ませて布団に潜り、猫に囲まれ眠りに……。


 眠れるか!! 他の受賞作品も、気になってしょうがない!


 僕は布団から起き上がり、受賞動画の配信時間を待った。

 SNSで予告された配信時間が近づいて、小さな画面にカウントダウンが表示される。


 六作品中、三作品が配信時間内に読み終える短編だった。

 冷たさと温もりを肌で感じられる描写、焦がれる想いと張り詰めた緊張感、小説でなければ描けない幻想世界、史実を突き詰めたタイムリープ、涙なしでは視聴出来ない歴史ドラマ──。


 どれも、魅力的な作品だった。僕には書けない、どうしてこれらがインターネットの大海原に漂っているのか、不思議でならない作品の数々だ。

 また物語を彩っているイラストとBGMは、作品世界を読み取って昇華したのだとひと目でわかる。

 そして、キャラクターに生命を吹き込む声優陣。文字の羅列が浮き上がり、踊っているようにさえも聞こえる。


 凄い……この作品群のひとつに僕の『列車食堂』が選ばれたのか。一体、どんな動画が出来上がったのだろうかと、眠気を忘れて最後を飾る配信時間をひたすら待った。


 カウントダウンがはじまった。

 5……4……3……2……1。


 カタカタカタとフィルムの音、柔らかなピアノの旋律、登場人物が並んだイラストに『列車食堂』のタイトルコール。


 これが僕の作品か!? 主人公のコック、ハチクマや列車が巻き起こすドタバタコメディ、執筆した僕自身はそう捉えていたが、昭和モダンに満ち溢れた上質なドラマに仕上がっている!

 動画制作スタッフ一同がこの物語から読み取った世界とは、このように映っていたのかと感嘆した。


 そのとき、僕の視界の隅っこに狐耳がひょっこり映った。楽しそうに食い入りながら、ちょっとだけ不機嫌そうに、もふもふとした尻尾を振っている。

「惜しかったなぁ。僕も活動写真に出たかったよ」


『稲荷狐となまくら侍』の稲荷狐、コンコだ。前回のコンテストでは主催者の評価は高かったものの、惜しくも受賞を逃していた。

「力が及ばなくて、ごめんな。腕を上げたら、また改稿しようか?」


 その反対から、若い熱気が感じられた。『椰子の実ひとつ』の美春、夏子、千秋だった。

「綺麗な絵じゃねぇ。うちもお姫様みたぁになれるんかね?」

「美春ちゃんは、そのまんまでも可愛いんよ?」

「せやな。千秋ちゃんは綺麗すぎて、絵描きさんが苦労するで?」


「ほうかねぇ」と跳ねた赤髪を美春がいじり「夏子ちゃんは、またからかって」と千秋が顔を真っ赤にし、夏子が悪戯っぽく歯を見せて笑っていた。

「この前、完結したからね。公募狙いだけど、機会があれば応募してみるよ」

「それ、公募に落ちたらってこと、ちゃうの?」

 夏子の指摘にギクリとした。三人娘はかしましく「諦めたらいかんよ!」と激励をしてくれた。


 これではまるで手塚治虫先生の『紙の砦』に収録された「がちゃぼい一代記」のエンディングみたいじゃないか。

 そうさ、僕の物語はまだ未完。手塚先生と意味は違うが、僕の「紙の砦」を築くまで諦めるわけにはいかないんだ。


 背後に、強い気配を感じた。振り返らずとも、誰だかわかった。

 妻だ、僕の肩に手を添えて動画を視聴してくれている。


 紡いだ光に囲まれて、物語を生み出せる喜びを、僕は結んだ笑みの中で噛み締めていた。


 二番目のエピソードの、これからというところで動画は終わった。優雅で華やかな昭和モダンの余韻に浸っている場合ではない。

 これからの出勤に備えて弁当を作り、風呂に入らなければ。

 風呂を沸かし、冷凍ご飯を温めて、冷凍おかずのストックを弁当箱に詰め込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る