第47話『チンチン電車と女学生』

 車庫の奥、ピットに仕舞われていたのは、当時を知る被爆電車の653号と156号の二両だった。

 653号は当時の塗装に塗り直されて、今も現役で走っている。しかし156号は戦後に車体を載せ替えた上、希少な部品がもう失われたのか、車庫で眠ったままである。


 この電車に、家政女学校の女学生たちも乗務していたのかと、金網越しに思いを馳せた。


 車掌としてそばで見ていた運転士見習いの苦労がよぎる。簡単になれるものではないが、戦時下の逼迫した輸送力と要員と、まだ運転士の免許がなかったため、ぶっつけ本番で運転士にされた女学生がいたそうだ。


 家政女学校を描いた『椰子の実ひとつ ─電車の女学校─』における、参考文献の主軸である『チンチン電車と女学生』でも、そんなエピソードが多々語られている。


 運転士見習いの苦労を描くか、やすやすと運転士にされた戸惑いを描くか、それが問題だ。と悩んだところで、プロットは既に決まっている。


 両方とも書く、それが車掌だった僕が出した答えだった。


 千秋は長身を理由に運転士見習いに選抜される。可哀想だが、運転士の厳しさは千秋を通して描く。

 電車に詳しい夏子は、車掌のままでいる。車掌になれる家政女学校を選んだ理由も、幼少期の回想の中に描いている。

 そして美春は小柄な体躯を理由に運転士に選ばれないが、逼迫した状況と彼女の熱意により、ほんのわずかな運転経験で運転士にさせられる。


 これが、昭和十九年編のメインとなる。

 そうと決まっていたが、懸念もあった。


 意見を白井に求めたとおり、今では認可されない電車の構造を、物語の鍵としている。文中で、その説明を行わなければならないが、それをストーリーに組み込めるかが、元車掌で現役駅員、鉄道マニアの僕にとって最大の課題になるだろう。

 ヲタクは語りすぎるからなぁ……。


 それから電車に乗って向かったのは、宇品うじなの陸軍船舶司令部跡、その通称はあかつき部隊。戦時中は拡大を超えて膨張した補給を担い、広島が焦土になった直後から救護に努め、市内電車の運転再開にも協力した。女学生も招かれたそうだから、この物語には欠かせない。

 それも今は、碑文といかりを名残とする宇品中央公園になっている。


 この付近にある当時の痕跡は、一部の壁面だけを残す陸軍糧秣支敞りょうまつししょう倉庫、爆心地から離れていたため倒壊を免れた旧広島水上警察署、そして宇品波止場公園の護岸となった六管桟橋が挙げられる。

 今は廃線となった鉄道省宇品線とともに、女学生が走らせていた路面電車も、出征兵士を宇品港へと送り出し、生死を問わず生まれ育った家に帰した。


『この世界の片隅に』のすずさんのように、一瞬の惨劇までは、少女たちに青春を謳歌させたかった。しかし青春時代を軍都で過ごし、街を闊歩する軍人と言葉を交わし、出征兵士を戦地に送り出した少女たちは、何も知らずにはいられなかった。

 当時の無情に思いを馳せて、少女たちに少しでも幸せをもたらせるよう、僕は路面電車で御幸みゆき橋へと向かっていった。


 広島電鉄の宇品線と皆実みなみ線の分岐点に建つ大規模ショッピングセンターは、専売局の工場と家政女学校の跡地である。その背後には、土地だけは当時のままにガス会社が建っている。

 当時の被害を伝える写真、ハンドルの影を残したガスタンクは、ここのガス会社のものであった。


 少女たちが親元から離れて暮らし、勉学に勤しみ誰ひとり卒業することなく消えた家政女学校の痕跡は、ここにはない。あの頃と変わらないのは、すぐそばに寄り添っている京橋川の流れだけ。


 ここから乗務のために毎日歩いた道のりを辿る。川を越え、路面電車を横目に歩いて約十分の、広島電鉄本社である。

 出勤のたびに列を成し、声を揃えて歌っていたというから、二三曲は歌ったはずだが、何と愛らしい光景だろうか。市民も彼女たちの成長を親のように見守っていたことだろう。


 電鉄本社のすぐ裏にある千田せんだ車庫には、撮影台が作られている。そこへ上がるまでもなく、行き証人の651号と652号が目に飛び込んだ。広島電鉄の被爆電車を、すべて見たことになる。

 待っていれば線路に出そうな位置に停まっているが、あいにく僕には時間がない。車庫入口の慰霊碑に歩道から手を合わせ、広島赤十字・原爆病院へと歩いていった。


 ここには、被爆当時そのままの建物の一角が保存されている。はち切れんばかりに膨れ上がった窓枠と、無数のガラス片が突き刺さった壁から、衝撃波の圧倒的な威力と、凄惨な様子がうかがい知れた。

 この一角には、被害に遭われた方々が残した絵がプレートになって展示されていた。痛々しい亡骸を花輪のように並べた絵が、僕の胸を深くえぐった。


 これが市民に、患者に、女学生乗務員に襲いかかったというのか……。


 ここで僕は時間切れ。電車に乗って広島駅の土産売り場を物色し、指定した新幹線を喫煙所で待つ。

 滑り込んだ白くて長い車体に吸い込まれ、隣席に気を遣いながら、百貨店で買っておいた穴子めしの蓋を開ける。

 押し寄せる波のように並べられた煮穴子と、煮汁が染みたご飯を切り取り、口へと運ぶ。


 ああ……美味い! 広島、最高だ! 彼女たちに是非、食べさせてあげたい!


 笑顔を抑えきれずにいる僕を、美春と夏子と千秋が『ええなぁ』と、恨めしそうに指をくわえて取り囲んでいた。

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