第11話



 僕が以前カツアゲをした眞野慎也を見つけたのは早苗先輩と会った後、帰る途中のことだった。

 彼は友人と二人で楽しそうに話しながら歩いていた。

 僕は彼から見えないように道の脇に入ってから、発信履歴を探し、眞野慎也に電話をかける。

「……もしもし?」

 怪訝そうな声が聞こえてくる。

「よお、俺だよ。前、お前に金貸してもらった。覚えてる?」

 通話はプツっと切れる。

 少しして、今度は眞野慎也の方から電話がかかってくる。

 きっと反射的に切ったあとで、僕が彼の高校や名前を知っていることを思い出したんだろうと僕は考える。

 通話ボタンをタップすると、「すいません、電波環境が悪くて」と誤魔化す声が聞こえた。

「ああ、大丈夫。それよりさ、これからこっち来れない? あの駅の前にコンビニあるでしょ。そこまで」

 少し、沈黙が流れる。

「……すいません。今日塾あって」

「大丈夫。時間はとらせない。Y高校からだったら5分もかからないだろ?」

 その僕の言葉に観念したように「わかりました」と眞野慎也は言う。

 僕がコンビニの前で待っていると、少しして学ラン姿の眞野慎也が来た。たぶん今日は一円もお金を持っていないだろうなと僕は思う。

「久しぶり」

「……お久しぶりです」

 顔を伏せ、彼は言う。

「この前は悪かったな。急に金借りちゃって。ほら、これ。借りてた分」

 僕は財布から札を抜き出す。全部で五万二千円あった。

 その札を見て、眞野慎也は目を開く。

「え、いや、え。多いです。僕が渡したのは一万円で、えっと」

「いいから、あの時殴っちゃったし、慰謝料や利子も込みでってことで」

 僕は強引に彼の手に札を握らせる。

「え、じゃあ、はい」

 彼は渋々頷くが、きっと彼は僕が何を考えているのかを考えている。このお金の裏には何があるのか。また殴られるのか。それともこのお金を受け取ったことを理由になにか悪いことをやらされるのか。そういう感じで。

「この後、塾なの?」

 僕は訊く。

「え、はい」

「なんでそんなに勉強してんの?」

「えっと、それはいい大学に入って―――」

「いい大学に入ったところで、君は殴られたらお金を出すし、ナイフで刺されたら呆気なく死ぬ。必死に勉強して身につけた知識を使う暇もないまま。意味がないと思わない?」

 僕は眞野慎也を見る。その服や髪型や鞄を見て、やはり彼は愛されて育っていて、何不自由ない生活を送っているんだろうと思う。だからこそ僕は彼を殴って、金をとった。

 眞野慎也は怯えた表情を見せるが、僕が彼を害するつもりが無いことが分かると、少し考え込む。

「ええと、僕はそういう暴力がない世界を実現させるために勉強してると思うんです。無くすのは難しくても、そういう暴力に頼らず、みんなが幸せに暮らせるような。なんて」

「幸せに暮らす」

 僕は言う。

「はい。暴力のない幸せな生活です」

 それは綺麗事だと思った。暴力を無くすなんて不可能で、ただ、もしかすると僕はそれを望んでいたんじゃないかと少しだけ思う。

 あの水族館のサメに憤りを覚えたのは、それが自然な姿ではなかったからという理由ではなくて、もしかすると、暴力とは無縁の世界に存在することが出来ているあのサメのことが羨ましかったからかもしれなかった。

「幸せに」

 口にするその言葉はどこまでも甘く、夢物語で、僕がずっと欲しかったものだった。

 暗い海の底にいた僕は光を見つける。その光はずっと昔の記憶だった。

 この息苦しい世界から逃れたくて、幸せに暮らしたくて、僕はその光に向かって泳ぐ。

 そして僕は光に手を触れる。



 僕は雪玉を投げていた。

 彼が投げた雪玉を躱して、彼に向かって雪玉を投げると、それは彼の黒いコートに当たり、きらきらと砕ける。

 その日は大雪が降って、僕がいつも遊んでいた公園にも雪が積もった。

 僕はもう寒くはなかった。

 彼が買ってくれたジャンパーと手袋が僕の体を温めてくれている。彼はそれが自分が子どもの頃に使っていたやつだからと渡してくれたけれど、わざわざ古着屋に行って買ってくれたことを僕は知っていた。

 新たな雪玉を作ろうとしている間に、僕の腰に柔らかい雪玉が当たる。

 彼の方を向くと彼はいたずらっ子のように笑っていて、その顔に向けて雪玉を投げると彼は驚いたのか、バランスを崩して雪の中にダイブする。

 心配して彼の方へ走っていくと、彼は身体中雪まみれになりながら笑い、僕の手を強く引いた。

 僕は彼の手に引かれ、僕も彼と共に雪に飛び込む。

 その冷たさは心地よかった。

 雪から顔を出して、お互いの雪まみれの姿を見て僕らは笑う。

 記憶の中の僕は自分が今、光の中にいることを自覚せず、これからの世界を生きる僕は息苦しく、耐え難いほど孤独に満ちた海の中を泳がなければならないことを知らない。

 この暴力が溢れた世界で、その空間だけが、その二人の空間だけが平和で幸せに満ちたものだと理解しないまま、白い雪の上で笑い合っている。



〈了〉

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暴力的なあれこれ ちくわノート @doradora91

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