最終話 ターンド・ワールド

 真っ黒な大地で、色彩を失った文字列と灰色の火の粉が、雪のように舞っていた。


 静かで、広い。


 その中でぽつんと、ロボットのトネリコは座り込み、呪いの人形メリーは胸の傷を押さえて、たたずんでいた。

 トネリコの膝に頭を預けて、吸血鬼ヴィネガーは横たわる。


「ヴィネガーさん……! 死なないでください……!

 死なないって、約束したじゃないですか……!」


 トネリコの涙がぽたりぽたりと、ヴィネガーの顔に落ちる。

 ヴィネガーは身じろぎひとつしない。

 異形の爪も、翼も、赤い光の線も、もう溶けて消えてしまった。

 それでも目は開いていて、意識もあった。

 赤い瞳をゆるゆるとトネリコに向けて、唇だけかすかに微笑んで、舌足らずな舌を動かした。


「まだ、燃え尽きてないわ。見ての通り、私は生きてる。

 けれどずいぶん燃やしてしまった。私の寿命は、ほんのちょっぴりしか残らなかったわ」


「約束と違うじゃないですか……!

 死なずに生き残って、わたしと一緒に笑い合うまでが約束ですよ!

 ほんのちょっとだけ生き残って、あとは看取るだけなんて、わたし、笑えませんよ……」


 泣くトネリコに、ヴィネガーは弱く微笑み続けた。


「そうね、ほんのちょっと……あんなにたくさんあった寿命が、本当に縮んでしまったわ。

 永遠かと思うくらい生きるはずだったのに、それに比べたら残った寿命は、本当に、わずかしかない」


 ヴィネガーは切なそうに目を閉じて、言った。


「十万年の寿命が、たったの三年ぽっちしか残らなかったもの」


 しばらく、沈黙。

 泣いていたトネリコが、はたと固まって、ぱちくりと目をしばたかせた。

 横でメリーが、肩をすくめて首を振った。


「三年?」


 トネリコは目を丸くして繰り返した。


「え、三年、ですか? 三分とか三時間とか三日とかじゃなくて、三年?」


 ヴィネガーはさも残念だというふうに、トネリコの膝の上で首を振った。


「そうよぉ、たったの三年。十万年もあったものが、一万分の一以下にまで減ってしまったわ」


 そして今まさに気づいたというように、手を広げてびっくりのジェスチャーをして、のたまった。


「あらそういえば、どこかの誰かさんも寿命は三年くらいって言ってたわ。

 なんという偶然なんでしょう、びっくり」


 トネリコはまん丸な目をして、口をぱくぱくさせて、言葉が出てこなかった。

 横からメリーが口を挟んだ。


「狙ったの? ヴィネガー」


「そうでもないわ。焼き尽くさないようには意識してたけど、この残り方をしたのは偶然。

 でもきっと、そうなるような運命に定義されてたのよ」


 ヴィネガーはトネリコの目を見た。

 緑色の瞳の、その横に残る涙のしずく。

 その中にいまだ、緑色の文字列の残滓ざんしがきらめいていた。


 トネリコはまだ、何も言えずに口をぱくぱくさせていた。

 ヴィネガーは可憐に微笑んで、言った。


「この命が尽きるまで。

 添い遂げてくれるかしら、トネリコ?」


 それでようやく、トネリコは表情をくしゃりとゆがめて、涙をぽろぽろとこぼして、それからヴィネガーを思い切り抱きしめた。


「ヴィネガーさん〜!」


「あの、トネリコ、気持ちはうれしいのだけど、けっこう体が、消耗してて、あの、痛みが……」


 トネリコは聞く耳持たず、わんわん泣いて抱きしめ続けた。

 ヴィネガーはなんとなく気恥ずかしくなって、ウサギのぬいぐるみで顔を隠そうとしたが、がっちり抱きしめられていて腕が動かせなかった。

 動作を察知したトネリコが、泣き顔のままむっとした顔を向けた。


「顔を見せてくださいよ、ヴィネガーさん。

 三年しかないんです。一秒だって見逃しませんし、見逃さずにわたしを見てくださいよ」


 トネリコに詰め寄られて、ヴィネガーはたじろいで、それからゆるゆると、はにかみながら微笑んだ。


 ヴィネガーの横目に、メリーがきびすを返すのが見えた。

 ヴィネガーは声をかけた。


「メリー。あなたどこへ行くの?」


 メリーは無表情に振り返って、肩をすくめてみせた。


「運命のお二人の間に入るような野暮なことはしないの。適当に世界を見て回るの。

 あなたたちが死んだらお墓を作ってあげるから、心配しなくていいの」


 ヴィネガーはメリーの顔をながめた。

 気持ちに気づかなかったことを謝ろうかと思ったが、メリーの人形の無表情に、何か腑に落ちたような納得したような雰囲気があるのを見て、やめた。

 

 メリーはカード型通信端末をひらひらと振ってみせて。

 遠い地平線、人間の住む街の方へと目を向けた。


「人間たちは大混乱してるの。この時代の秩序がめちゃくちゃになっちゃったの。

 自由恋愛を禁止していた機械のプログラムが破壊されて、逆に自由恋愛を守るために動き出してるの。

 とんでもないことしてくれたの、二人とも」


 ヴィネガーとトネリコは、顔を見合わせた。

 ヴィネガーは問いかけた。


「後悔してる? トネリコ」


「こんな大ごとになるなんて、そもそも思ってなかったんですけど……」


 げんなりとした表情を作って、それからほうっと力を抜いて、トネリコは言った。


「でもわたし、よかったと思います。これでよかったんです。

 こうしてみんな、生きてる。

 それでももし、世界がわたしたちを悪だと言って糾弾してきたら」


 トネリコはこてりと首を脱力させて、ヴィネガーに頭をもたれかからせた。


「そのときは、一緒に逃げてくれますか、ヴィネガーさん」


 ヴィネガーは、赤い瞳を見開かせて、すぐに声が出なかった。

 間近に寄り添うトネリコを見て、その目をさまよわせて、そのまま静かにうつむいて、トネリコを抱きしめ返した。


 灰色の火の粉が、雪のように舞う。

 少女二人、真っ黒い大地で、ちっぽけなまま抱きしめ合った。

 そうしている間に、呪いの人形は、立ち去っていた。


 やがて、ヴィネガーは顔を上げて。

 目前のトネリコの耳元で、可憐な唇を開いた。


「これからどうしましょうか、トネリコ」


 トネリコも顔を上げて、緑の瞳でヴィネガーを見つめて、お願いした。


「手紙、まだ届けられてないんです。

 まずは最後まで、一緒にやり遂げてもらえますか」


「結局あの声をかけた相手は、管理者マスターの想い人じゃなかったのね」


「違いました」


「あきれたわ」


 ヴィネガーはくすりと笑い、トネリコもつられてくすくすと笑う。

 少女二人、そしてだんだんと声を上げて、笑った。

 かたわらに、呪いの人形が残していった、カード型通信端末が置かれていた。




 雲が、切れ始めた。

 日に当たらないように、二人は寄り添って、日陰へと潜っていった。

 このだだ広い大地で、少女二人の姿はあまりにもちっぽけだった。

 それでも二人は、ここにいる。


 ここにいて、その命を、刻み続ける。

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ヴァン†ドール;a vampire girl and a robot girl meet in a future city 雨蕗空何(あまぶき・くうか) @k_icker

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