第11話 トネリコ・リデフィニション

 擬似生命ブレインユニット。

 これを搭載したロボットは既存のロボットよりも情緒ある心を形成できるとされる一方で、製造はさほどされていなかった。

 修理や複製ができないという欠点以上に、豊かすぎる心は、ロボットに求められる「業務」にはむしろ支障となった。


管理者マスター。わたしは、トネリコはロボットです。

 管理者マスターたるあなたの幸福のために働くのが使命です」


 トネリコをそばに置く管理者マスターは、トネリコにロボットらしい仕事を求めなかった。

 ただトネリコに、そばにいることを望んだ。

 娯楽に付き合わせ、笑い合い、自身の仕事には関わらせないようにした。


管理者マスター! またわたしが見てない間に偏食して、体に悪いですよ!

 えっ? いやあの、その分わたしも好きなもの買ったらいいって、そんな、お小遣いくださっても。

 いやあの、そうですけど……自分で選んで、服、買いましたけど……」


 豊かすぎる情緒に振り回されるのは、他ならぬトネリコ自身だった。

 自身の判断や趣味嗜好があるせいで、ただ言われたことを機械的にこなすだけの存在では、どうしてもいられなかった。

 愛用している灰色のメイド服も、自身を奉仕者と定義するために買ったもの。

 そう表向きに取り繕って、その実自分でかわいいと思って、着続けているものだ。


 なぜ、自分は作られたのだろう。

 なんのために、自分に心などというものがあるのだろう。

 いっそ、他の機械式ブレインユニットのロボットのように、求められた仕事だけを無感情にこなせたら、楽でいいのに。


管理者マスター……あなたが死んだら、わたしはこれから、どうしたらいいんですか?

 わたしはあなたのために、働けていましたか?」


 死にゆく管理者マスターは、トネリコに秘めた恋を語り、手紙を託した。

 届けろとは言われなかった。

 けれど管理者マスターのために活動できていたか常に不安だったトネリコは、そして自身がわざわざ情緒豊かな擬似生命ブレインユニット搭載ロボットとして製造された意味を考えていたトネリコは、これこそが自分の使命なのだと考えた。

 トネリコの感情が、この想いの結晶を届けたいと思った。

 この感情に従わなければ、トネリコがトネリコとして生まれた意味などないと。




「大切なのは。私は吸血鬼ヴィネガー。魂の導きで、あなたに恋をしようとする者」


 その決意とアイデンティティは、この一瞬で、揺らいだ。




 美しいと、トネリコは思った。

 優雅で、可憐で、けれどあどけなくて、そしてトネリコの豊かな情緒は、その奥に不安やさみしさが隠れているのも、すぐに読み取った。


 自分が生きてきた理由が欲しい。

 それがヴィネガーの真の欲求だと、トネリコは感じた。

 自分と同じ欲求を、かかえている。


 その可憐な吸血鬼が、自分を運命の人だと言う。

 困惑した。

 それは自分自身の感情にだった。

 突然現れた非日常の存在に、ときめいてしまった。




「トネリコ。私はもうすでに、あなたが運命の人でよかったと思ってる」


 危険な道中になるのは分かっていた。

 自由恋愛はこの時代において犯罪。同行させるのは、犯罪行為に加担させることになる。

 けれどヴィネガーがそんなふうに言ってくれるから、同行を拒むことなどできはしなかった。

 ヴィネガーがトネリコに出会った意味を見出すように、トネリコもまたヴィネガーとの出会いを、このために自分は製造されたのではないかと夢見てしまった。


 それで、ケガをさせた。


「わたしのせいで、ヴィネガーさん、こんな、傷ついて……! わたし、なんにもできないのに……!」


 自分自身の情緒に振り回されて、論理的行動などてんで取れないで、その巻き添えでヴィネガーは傷ついた。


 そして泣くトネリコの、その涙を取り込んで、ヴィネガーは進化した。




「わたしのために戦ってくれたからでも、わたしを愛してくれるからでもありません。

 一人の個人として、わたしはあなたを、恐れません」


 恐れるはずがない。

 強すぎる力を持って、それで孤独になることを恐れるヴィネガーを。

 豊かすぎる情緒を持って、それに振り回されるトネリコが、恐れるはずがなかった。




「あの、ごめんなさい、私……私が、知らずに勝手に期待しただけで……」


 泣かないでほしい。

 当たり前のことだった数年程度の耐用年数を、短いと感じてしまう。

 寄り添い続けられないことが、つらいと。


「悲しいことを思い返して泣かれるのは、私としては不本意だわ。

 だからこれから、あなたに愛をささやく。

 同じ泣かせるのなら、嬉し涙で泣かせてみせるわ」


 強がらないでほしい。

 トネリコに嫌われることを恐れて、取り繕うなんて。


 だから、あのとき。

 星のない夜空に舞い上がって、ささやいてくれた言葉。


――ありがとう、トネリコ。


 シンプルな、その素直な言葉が、涙が出るほどうれしかったのだ。


 なのに。


「きっと、次また進化したときには、私の寿命は完全に燃え尽きるわ」


 思いもしなかった。

 その涙が、ヴィネガーの命を削っているなんて。




「出会えてよかったと思います。ヴィネガーさんと出会えて、メリーさんも一緒にいてくれて、楽しいです」


 トネリコは、強がった。

 本当は罪悪感でいっぱいだった。

 手紙を届けるという目的は自分のエゴで、それにヴィネガーたちを巻き込んで、胸がときめくまま拒絶できなかった。

 今すぐに手紙を放り出したい気分になるけれど、そうすれば自分のアイデンティティと、管理者マスターとの短くない時間と、ここまでのヴィネガーたちの頑張り、そのすべてを否定してしまう。


 なのに。


「手紙を届けるより何より、ヴィネガーさんに生きていてほしいって!! 思っちゃったんです!!

 こんな気持ちにさせておいて、満足して死ねると思うなバカヤロウ!!」


 論理的じゃない。

 もしも今すぐ手紙を破り捨てて、それでヴィネガーが助かるなら、その方がいいと思ってしまった。

 論理的じゃないのに、なぜだろう。

 認めてしまったこの気持ちの、なんとすがすがしいことか。


「ヴィネガーさんを欲しいと思ったんですよ!! わたしは!! ロボットのわたしが!!

 ついこないだまで管理者マスターのために生きてきて、管理者マスターの遺志を届けるために頑張ってきて、それを投げ捨ててでもヴィネガーさんといたいと思ったんですよ!!

 全否定じゃないですか!! わたしの今までの人生!! わたしが今まで生きてきた理由!!

 自分の世界が壊れるくらい苦しく感じてるのは、あなただけじゃないんですよ!!」


 すがすがしさが怖かった。

 けれどこの気持ちに、嘘はつきたくなかった。

 これまでの自分を投げ捨ててでも、一緒にいたいと思った。

 そんな気持ちに、なってしまった。


 明け透けに気持ちを叫んで、メリーも巻き込んで、ヴィネガーが呼応して、進化した。


 こんな気持ちに、させてくれたんだ。

 こんな気持ちにさせた唯一の存在が、ヴィネガーなんだ。


 だから、ヴィネガー。

 頼むから、死んでくれるな。


 そう願うトネリコの視線の先で、赤い光は散らばり、収束し、終息した。

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