眩耀(奇妙な味)/後編

落日の山道、見た夢の足跡あしあとを辿るかのようにゆっくり進む。一本の白樺、ここからだ。右掌の甲をつねりながら、次の場面に向かう。地蔵が見えた。顔つきを確認する。歪んだ顔、よし。無意識ではなく、はっきりとした意識の中で手入れされた小道を進む。崖の手前に平屋が見えた、不安はない。

初めて平屋の玄関に辿り着く。ここからが新しいステージとなる。

綺麗だな……

玄関ドア上部には、切り抜きの四角い枠にステンドグラスの細工が施され、室内の明かりが漏れている。

ガラス細工の赤い花。見たことはあるがなんという名前だったか思い出せない。というよりも、その花の名をしらぬ。

私はゆっくりとドアを開けた。

中に入るとそこには、床も壁も天井も、全て漆喰しっくいで塗り尽くされた真っ白な、外観からは想像もできない程の『空間』が広がっていた。

透明感と奥行きのある光沢、これはイタリア漆喰。その中でもベネチアーノか……

高級ホテルのロビーのようでもあり、美術館のようでもあった。

高い天井からは、無数の間接照明が、様々な角度から空間全体を照らし、演出された自然な光は私の影さえ落とさない。

「白」の世界。

暫く見渡していると、背面からス~と風が入る気配を感じた。振り返ると黒い喪服を着たスラっとした女が、ステンドグラスのドアの前に立っている。

白の中に浮かび上がる黒衣こくいの女。山道のあの女だとすぐに気がついた。また、なにかを話している。口だけが微かに動く。同じ言葉をゆっくりと、何度も繰り返している。

唇を読むと、「や… め… な… さ… い」

止めなさいと動いているのが解った。

「なんのことだ」と問いかけても反応がない、いや、私の声そのものが出ていない。

女のように唇だけが動いている。

音のない世界なのか……

女は遠い目をしていた。

私を通り越した女の視線の先に目をやると、いつ現れたのか、奥のかべ中央に大きな絵画が飾られており、その横に真っ黒なドアがある。

初めて見る絵ではない。絵画の下には作品の題名が記されている。

「決して来ない時」と書かれていた。

そうだ、絵画展で見たことがある。確かフランスの画家だ。

……バルテュスと言ったか。

バルテュスの絵には少女が描かれた作品が多い。なぜ少女を描き続けるのかについて、「それがまだ手つかずで純粋なものだから」と答えたのが印象深く、記憶に残る。


「決して来ない時」

椅子に浅く腰掛けて片足を投げ出し、上半身を反り返らせるような不自然なポーズで眠っている少女。その奥にいるもうひとりの少女は、大きな窓から遠くをただ見つめている。窓からうっすらと差し込む陽は、その絶妙な色彩により、観る角度で朝陽にも夕陽にも想起させる。それは、観る者のその時の感情により、左右されるのだろう。


私には、夕陽にみえた。



 ・・・・



 三河湾スカイラインを一台のパトカーが疾走している。 時は正に落日を迎え、朱色に耀く太陽が、それぞれの万感の思いと共に、水平線にその身をひたそうとしていた。


「主任あれですね、少女殺しの犯人の車は」


 サイレンをけたたましく鳴らしながら、パトカーが国坂峠の駐車場に入って行く。フロントガラス越しには、犯人が車から慌てて飛び出して行くのが見えた。犯人の車の後ろにはぴたりと白いワゴン車が停まり、その運転手が後を追う。手には出刃包丁が握られていた。


「あれは確か、少女の父親です……」


「そこのふたり、止まりなさいっ!」

 女性主任警官は声を張り上げながら走り寄る。

 追っていた男の手が犯人の肩を掴んだ。

「やめなさい!」

 逆光を浴びた女性警官の姿を確認した男は、一瞬動きが止まったが、直ぐにやいばを掴んだ手を犯人の頭上にかざした。


 ドゴーン ゴーーー

 銃声と共に、すみか微睡まどろみ始めた鳥たちが一斉に木々から飛び立つと、辺りは静寂に包まれた。

 すぐさま男の警官が、犯人の身柄を確保し手錠をかける。撃たれたワゴン車の男は、ぐったりとその身を地面に横たえていた。その視線は、真っ直ぐ歩み寄る女性警官に向けられている。

 そばに寄り、しゃがみこんで男の顔を確認すると、視線は変わらず彼女が来た方向に向けられていた。

 振り返り、男の見つめる視線の先に目をやると、道路標識が立っている。

 逆光の中、目を凝らす。

『県道 525号』とある。

 標識の周りには、季節外れの真っ赤な彼岸花が、ゆらゆらと西風に揺れていた。



 ・・・・



椅子に腰掛け微睡む少女。窓の外を見つめているのは、その少女自身ではなかろうか。

「今」この瞬間、過ぎ去っていく時間は決して後戻りすることは出来ない。

逢魔が時、夢の中の少女には窓の外に何が見えたのか、「決して来ない時」を愁いでいるのか。

絵画を観ているうちに、なんだか視界がぼやけてきた。私は泣いているのか……

どういう訳だかこのまま、この絵をずっと観ていたくなった。しかし、夢を終わらせねばならぬ。

黒いドア、多分これが、最後のステージなのだろう。これで終わりにしよう。


覚悟を決めドアを開ける……











落日に目が眩み、膝をついてしまった。



 了



《参考資料》

 バルテュス作「決して来ない時」

 https://kakuyomu.jp/users/2951/news/16816700427808123183



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PHANTASMAGORIA 現の幻 麻生 凪 @2951

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