第六刀 おやすみ

 ――時は流れて、その日の夜。保健室からの帰り道、一日の疲労でへとへとになったマグロとオトギは、暖かな明かりに誘われて大型食堂へと足を運んでいた。


「ラーメンが食べたいな」

「僕はカツ丼、大盛り、味噌汁、漬物……」

「そんなに食べられるのか、オトギ……」

「あ……! じ、実はけっこー食いしん坊なのだ、なんちゃって……えへへ」


 照れ臭そうに笑って、オトギは自身の緑髪を掻いた。彼の意外な一面を知れたことに、マグロはまんざらでもない面持ちだ。

 席について数分。二人は「美味い」や「眠たい」などの言葉しか交わさなかった。時計は十時を指しており、健康的な美少年ならばとうに床に就いてしかるべき頃合いだ。言葉数が減るのも致し方ないことだが、マグロにはそれが辛かった。

 空気に耐え兼ねて、マグロがふいに口を開く。


「今日は疲れたな、本当に」

「……うん。学園中を見回って、真の美少年探しとか言って騒いでたらいつの間にか風紀委員との戦闘になって、その後は保健室でずっと療養して……あれ、そういえば」

「?」

「『始業式までにすべき三つのこと』って、結局なんだったの。一つは学園中を見て回る、でしょ? もう一つは真の美少年、もとい生徒会長探し。最後は――」


 マグロは麺を咀嚼したのち勢いよく呑み込むと、そんなことか、と言葉を添えてそれに答えた。


「『友達作り』だ」

「と、友達……?」

「今日一日で君のことを良く知ることが出来た。俺と共に花を愛でることができ、誰かのために頭を下げることができ、いざという時は仇のため銃を握ることも厭わない」

「あ、あれは……その……」

「今日一日でなんとか三つこなすことが出来た。君とは良い友達になれそうだ」

「そ、そうかな……そうだと嬉しいな、えへ……」


 少しの沈黙を挟み、今度はオトギの方から始めた。


「マグロ君」


 麺を啜るのを中断し、冷水を喉に流し込みながら、マグロは「ン」と応えた。


「生徒会長に会ってどうするつもりなの」

「昼にも言っただろう。尋ねたいことがあるのだ。――なに、喧嘩などしないさ」

「そうじゃないよ。何か……隠してることあるでしょ? 一体何を尋ねるのか、何のためにあんな強硬手段ばかり取るのか。まるで何か焦っているみたいな……」

「焦ってるわけでは……」

「じゃあ教えてよ。生徒会長に会って一体どうする気?」


 マグロは間の悪そうな顔をして目を逸らした。しかしオトギがいつまでも真っ直ぐ見つめるものだから、根負けしてその口を開くと――


「と、友達になるだけだ」

「……は?」

「ああ……だから言いたくなかったのだ! くそっ……」


 拍子抜けたオトギの表情がことさら羞恥心を掻き立てた。未だ腹の底の見えないマグロの思惑は、ただ獅子王スバルとお近づきになりたかっただけだと。その事実に、オトギはただただ目を丸くすることしかできない。


「あ、アプローチってこと? 僕と友達になったばかりなのに?」

「端的に言えばそういうことだ。だが勘違いするなよ、浮気じゃないからな」

「あの入学式のグロッサムは……」

「もう良いだろう、麺が伸びてしまう!」

「あーあー、それじゃあマグロ君は僕一筋じゃなかったんだね」

「おい! 勘違いするなと言っただろ! それとこれとは別の話で……」


 その焦る様子を見て、オトギは快闊な笑みを浮かべた。意地悪く笑うその様子にマグロは中庭で咲き誇る草花たちを連想したが、しかし同時に生徒会や風紀委員という脅威のことも思い出して、気の休まらない表情に戻ってしまう。


「……どうしたの」

「あの風紀委員、普段からああも横暴なわけではないだろう……これは完全に狙われたと思ってな」

「どうする、マグロ君。僕と一緒に弁解しにいこうか。賽河原さんも呼んで――」

「その一件だけで俺を学園から追い出すことはないだろうさ。きっとありとあらゆる手段でこれから衝突することになる。――しかし! これは逆に、俺が生徒会長獅子王スバルの脅威として見られていると考えることもできる訳だ。ああ、そう思うと気分が良いな。俄然興奮してきたぞ!」

「えぇ……まぁ君が良いんなら良いけどさ……」


 そうして一人いきり立つマグロを眺めていたオトギは、ふと彼の背後に立つ男の存在に気付く。男はオトギの視線を認めると、小さく手招きをしてその場から去った。


「ご、ごめん。ちょっと用事思い出したから席外すね。先に部屋戻ってて!」

「え、もう食べたのか!?」


 空の丼やその他容器を後にして、オトギはテーブルから離れた。足早に去るその姿を、マグロは深く追求することなく見送った。




「ご苦労、三宝界オトギ。――結構良い奴じゃねェかよ、犬上マグロって奴は」

「そうですね……先輩」


 食堂から離れ、手招きした男の後を追った先。人気のない廊下の隅で、その会話は行われた。

 オトギが俯きながら対面していたのは、昼に相対していたはずの狂間ミコトであった。


「何を後ろめたい顔してやがる。の仕事を任されたからにはオメェもしっかり働かねェと。情に負けて失敗でもしてみろ、副会長になんて説明するんだ」

「分かってますよ。別に情なんてありませんから安心してください。必ず……ええ、必ず僕が――」


 少年が眼を見開くと、暗闇にその緑のまなこが煌めいた。



「――へえ! 良い面じゃねェか。中庭の時の腑抜けっぷりとはえらい違いだな」

「あの時僕が任されていたのは戦闘のサポートだけですから……」

「へいへい、そうかよ。――ああ、そういや例の『アレ』、お前の分も出来てるぜ。今渡してやるよ」


 そう言って狂間がブレザーのポケットから取り出したのは、ビブリアント学園の校章、二対の薔薇の校章が赤黒く塗られたバッジだった。

 狂間はそれを『血濡れのビブリアント黒章』と呼んでいた。


「これまで、人々はただの噂だと唾棄だきしてきたが、影の中で『ソレ』は脈々と受け継がれてきた。今は風紀委員会に形を変えて、代々生徒会長に立ちはだかる脅威を排除するために在り続ける……それが俺達という存在……生徒会長を秘密裡に守る裏の牙!」


 狂間は手渡したその腕を降ろさず、笑みを浮かべながら手を差し出す。


「改めて……ようこそへ」

「……はい」


 オトギは沈黙のままその手を取って、バッジを懐に収めた。



「んんむ……そりゃ悪手だ、オトギぃ……」


 オトギが寮の部屋に戻った頃。マグロはとうに夢の世界に落ちていた。ベッドのシーツをぐしゃぐしゃにしながら、極めて悪い寝相を惜しげもなく発揮している。


「マグロ君……」


 名前を呼んだ後に、何か続けようとしたが、言うべき言葉が見つからなかった。虚空に消えた自分の声に代わって、寂しさだけが部屋を満たした気がした。


「んぅ……帰ってきたのか、オトギ……」

「あっ、えっと、起こしちゃったかな……?」

「オトギ……れ……み……」

「え、なんて言ったの――わっ!?」


 か細いその声を聞き取ろうと近寄ったその時、マグロはオトギの腕を引いて自身のベッドに倒してしまう。もつれ込むようにして連れられた彼の布団の中は、じんわりと暖かく、身体の芯に少しずつ迫る心地だった。

 入ってすぐにマグロから抱き枕のようにして腕を這われたが、不思議とオトギにとって不快感はない。むしろ、甘えたくなるような得も言われぬ気持ちになる。


「あの、マグロ君」

「君は良い奴だ、良い美少年だ……むにゃむにゃ」

「そんな、僕は――」

「おやすみ、オトギ……」


「うん……おやすみ、マグロ君……」


 すぐ傍で友の寝息を聞きながら、オトギは眼から一粒の涙を零した。

 その時、外では眠気を誘うような小さな雨雫が、しと、しと、と絶え間なく降り注いでいた。

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美少年と日本刀。 泡森なつ @awamori

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