第五刀 情熱の真っ赤な薔薇を

「――それじゃあ死ね、犬上マグロ」


 ドォンッ!




 中庭に響いた銃声。そこではいつのまにか、死闘を見届けようと物陰や窓から生徒たちが顔を覗かせていた。残響が消えたその時、彼らのまなこに映っていたのは――


「い、痛いじゃないか、ミコト君……ッ!」

「何ィ……!? なんで生きてっ、いや、そもそもお前、眼は!? てかさっき刀を手放したから防げねえはずじゃ……!?」


 そこに在ったのは、倒れ伏したはずのマグロだった。再生性した刀も手放し、諦めて弾丸をその眼球で受け止めたはずの少年は、鮮血にまみれながらも鋭い瞳を狂間に向けていた。


「弾は、のだよ。その為に刀を手放さざるを得なかったが、追撃は……いつも生成していたので助かった。こういう時に役立つのだな」


 マグロがひょいと取り出したのは、弾丸を受け止めて大きくヒビの入った真っ黒な鞘。よくよく見ると、その側面には創英角ポップ体の印字で「犬上マグロ」と記されたテープが貼り付けられていた。


「だ、ださすぎる!」

「はっはっは! オトギよ、恰好をつけるならば見た目ではなく中身だぞ!」


 驚愕の展開、そして劣勢に立たされていたはずのマグロの起死回生によって、中庭を取り囲む観衆は大きな盛り上がりを見せた。

 耳障りなまでの歓声の中だったが、狂間は苛立つこともなく、ただ黙々とマグロを見つめる。


「そう熱い視線を送られても困る。俺には三宝界オトギという男が居るんだ。――おっと、浮気は文化だなんて言うんじゃあるまいな?」

「勘違いすんじゃねえ! このド変態侍が!」

「どっ……!?」

「テメエ、何のために生徒会を相手取ってるんだ。生徒会の実情についても詳しいようだが、そこまでのリスクを知っておいてスバル様に噛みつく意味が分からねえ。あと言動のほうもな」

「なんだ、今更俺に興味が湧いたのか?」

「ちげえよ。俺がこれから退学に追い込む奴が、一体どんな美少年だったのか覚えておこうと思ってな。こっからは俺も本気マジで行くからよォ……!」


 マグロは少し思案したあとオトギを見た。そして彼からは聞こえない程度の声量で告げた。


「実はな――」


「はあ……?」

「というわけだ。ふふ」

「テメェ、いくらなんでも馬鹿だろ。そんなことやろうとしたら、命が幾つあっても足りねえ」

「ハッハッハ、最もだ、君もそう思うか!」

「……なんで俺にそんなこと話した。後で生徒会にチクっちまうぞ」

「構わんよ。しかしオトギの奴には言ってくれるなよ? もう少しだけ友達で居たいからな」

「はぁ、あくまで勝つつもりでいるんだな……いいぜ。もうおしゃべりはおしまいだ。今回はただの『風紀取り締まり』だが、久々に本気マジで命のやり取りしようじゃねェか!」


 眼光をぎらつかせ、両者が歩み寄る。マグロは刀を、ミコトは二丁の拳銃を抜いた。再び熾烈な争いが始まらんと、中庭の空気が張り詰めていた。

 一方のオトギは、騒ぎを聞きつけて集まった美少年衆に押されてその会話の一部始終を聞き取れずにいた。人だかりに四苦八苦しながら、戦う二人以外は誰もいない中庭の側へと仕方なく進む。


「はあ、マグロ君、何を話してたんだろう……」

「そこの君、危ないよ。たった今風紀委員が不良生徒を懲らしめている所だからね。って、君は……」

「あ、貴方は……!」



「『絶対狙撃ラヴァーズ』……それが君の異能力の正体だろう」

「へえ、詳しいな。異能博士かテメー?」


 だらりと二丁の拳銃を両手にぶら下げて、狂間は構えとも言えない構えを取っていた。完全に脱力したその姿勢は、いつでも銃をかざすことのできる完璧な状態だとマグロは理解した。


「ただのうら若き絶世の美少年だよ。博士と言う程でもない。――しかし、その脅威は良く知っている。必ず当てると決めた箇所に必中の弾丸が向かう異能。だがさっきの技が解せんな……なんて言ったっけ。ラヴ、ラヴ……」

「ら、『死に至る愛別の弾丸ラヴ・ポイント・ショット』だ! 意味もなく叫ばせるんじゃねェ!!」

「それだ! ついでだから、それの仕組みについて教えてくれないかな、ミコト君。君のことをもっと知りた――」

「おしゃべりはおしまいって啖呵切ったばっかだろうが、誰が教えるか! フツー自分の異能は相手に教えねえのがこの学園の常識なんだよ! このアホマグロ!」


 パァン! 突っ込みの代わりに飛び出した弾丸を、マグロは難なく避けた。その動きは先程よりも磨きがかかっており、無駄がない。


「やはり見せ合いっこは嫌なのか……仕方ない。ならば無理矢理剥くまでだッ!」

「む、剥くってなんだ!?」


 斬りかかろうと迫ったマグロを、焦った狂間が瞬時に蹴り上げた。美少年の膂力を以ってすれば、その小さな身体は楽々と校舎の屋根上まで吹き飛ばすことが出来る。蹴り上げられながらも軽やかに屋上に着地したマグロだったが、狂間がその隙を縫うような追撃の弾丸を放った。


「動きは良い。だがやはり、やはり違うな」

「何がだ……!」


 再び嵐のような弾丸が飛び交うも、今度のマグロは余裕そうにそれらを弾いていた。目が速さに慣れてきたのもあるが、最大の要因は狂間の集中力が少しずつ低下していることだった。

 しかし、戦いの場にそぐわないその口ぶりに苛立って、狂間の弾丸は尻上がりで勢いを上げた。そうして続けざまに放たれたそれらの弾は、校舎の屋根や壁を跳ね返って思わぬ角度からマグロに迫る。


「跳弾か……面白い。が、しかし――まだ甘いな」

「んだと……うおっ!?」


 狂間の懐にマグロが潜り込むと、そのまま踏み込んだ勢いを利用して、体当たりのように身体をぶつけた。狂間の身体は中庭上空へと吹き飛ばされる。


『まずい、空中じゃ身動きが――』


「喰らえ……『偽式ぎしき二十八宿にじゅうはちせい――斗宿ひきつぼし』ッ!」

「ぐ、ぐおあああ!!」


 浮き上がった狂間に飛びつき、マグロは渾身の必殺技を放った。七度の連撃を一瞬の時間に凝縮したその高速の剣捌きは、誰の目にも止まることがなかった。狂間は咄嗟に二丁の拳銃で攻撃を受け止めるも、勢いよく中庭に叩きつけられてしまう。それは芝生に少年の形のクレーターを生成する程の威力を誇った。


「美少年……」


 陥没した芝生に向かい、マグロが言い放つ。


「狂間ミコト君、やはり君に足りないのは美少年らしさだよ」

「げほっごほっ……んだよ! 美少年らしさって! 屋根の上から偉そうによォ……」

「『美少年』、その意とは一言で片付くものに非ず。それすなわち諸人もろびとの模範となる人間でありながら、魂の美しさに比肩する者はなく、内に秘めたるは朝露のように清らかな心であり、つま先から毛の一本までことごとく美しい者のことを言う……」

「あァ……!?」

「君は見た目が可愛いだけで、そのどれにも当てはまらない。俺の言葉に揺れ動いてばかりで、他の美少年の安否も気にせず、プライドや忠義に翻弄されるだけ……そして、挙句の果てに、!」


 マグロは屋根の上から手を広げ、花壇を指した。ビブリアント学園の園芸部が丹精込めて育て上げたそれらの草花は、いつの間にか見るも無残な程に散り散りとなっている。所々に点在する鉛玉、マグロや他の美少年の血など、中庭の惨状は凶弾の被害を如実に物語っていた。


「ハッ! テメェ、自分の退学がかかってるっつーのに何を呑気なことほざいてやがる……頭おかしいのか?」

「フン。何も退学が悲しくて戦っているのではない。君のような自然も美少年も愛さない男を野放しにするのが忍びないのだよ。例えば今俺がここで負けたとて、散った花弁が元に戻ることは無い。きっと園芸部員たちは涙を流して訴えるだろう! 憎き風紀委員め、よくもやってくれたなと!」

「んなもんもっかい植えればいいじゃねーか!」

「――違うのだッ!」


 マグロは言葉の勢いと共に、狂間の立つ地点のすぐ側へと飛び降りた。再び両者が同じ目線で睨み合い、膠着する。


「誰かが美しいと見定めたものを、踏みにじって良い道理などない! 美少年も花も同様だ!」

「くっ……さっきから御託ならべてよォ……結局生徒の顔に傷がつくのが怖いだけだろうが、この面食い変態マグロがァ!」

「面食い上等、変態結構! なじられるだけで誰かを助けられるのならば、俺は一向に構わんッ!」

「……!」


 口喧嘩においては、誰もがマグロの優勢に思えた。しかし頭部の出血、銃vs刀という圧倒的不利な組み合わせを鑑みれば、依然マグロのアウェー状態なことに変わりは無い。


「そういう君はどうだ? 君にも守るべきものがあるだろう」

「俺の、守るべきもの……!」




 その時、狂間ミコトの脳裡にある男の顔がよぎった。その金髪の男は、思い出す度に彼の名を呼んでいた。


『ミコト、俺と友達になろう』


 放課後、夕暮れ、寄りかかった机のけたたましい摩擦音。

 誰も居ないその教室で、七三黒髪の少年が金髪の少年に涙を見せていた。

 それは忘れもしない一年の夏。孤独に生きたビブリアントでの生活に、初めて色がつけられた瞬間だった。


……俺は……」

「それが君の守るべきものか?」


 狂間の回顧を遮ってマグロが口を挟んだ。彼は刀を構え、今度こそ決着をつけんと覚悟した様子だ。


「なんでもねェ。ちょっと思い出しただけだ……」


 狂間も銃を構える。持ち上げた拍子にその重さで残弾数を確かめたが、二丁ともに一発ずつで、それらを外せばもう後が無かった。


「犬上、最後に一つ……」

「なんだ」

「テメェ、三宝界オトギをどこまで信じるつもりだ?」

「はっ、一体なにを言っ――」


 ドォン!


 ――一瞬。マグロの注意がその言葉に向いたのを狙い、僅かな意識の穴を突いて弾丸が放たれた。


「マグロ君っ!!」


 二丁の拳銃から二発の弾は、歪な軌道を描いて彼の肺へと向かい、もはや着弾までは後ずさり一つも許されなかった。


「勝負あったぞ、マグロ――」




「ぬぅあああああいいッ!!」

「なんだと……!?」


 しかしマグロも最後に底意地を見せた。なんと、上で、限界まで力むことで貫通を体内で食い止めて見せたのだ。弾丸がブチブチと肉を裂く音は彼の叫び声で掻き消えたが、その不快な感覚は彼の腕の中に残り続けていた。


「め、無茶苦茶じゃねえか、この野郎ォ……」

「偽式、二十はっ……げほっ!!」

「ひっ……!」


 ボロボロの右腕は、それでも勝利のために刀を握っていた。それは興奮とも痛みとも分からない程に震えていた情けない姿をしていたが、狂間はその時、何よりも彼——マグロのその執念に恐怖を感じてしまった。


「俺が負ける……ただの美少年に……?」

「否、絶世の美少年だッ……ごほっ」

「スバル様を、スバルを助ける為なのに……こんなところで……!」

「偽式・二十、八宿――」

「……くッ、クソがァアアア!」


 その時、叫んだ少年の耳元で鮮血が飛び散った。

 マグロの決死の構えを目の当たりにし、狂間もとうとう覚悟を完了させたのだ。彼は、それを拳銃に装填。マグロの必殺技が放たれる直前で、即座に発砲した。


 ドォォン、と銃声は心地よく伸びて、弾丸は二人の間を直進した。咄嗟のことで『絶対射撃ラヴァーズ』は発動出来なかったが、狂間の往来の射撃センスが、見事マグロの右肩への着弾を成功させた。


「ぐゥ……!!」


 刀を握ろうとしたその手は、ついに止まった。もはや一歩も動けず、マグロはただ呼吸だけを必死に求めた。


「ミコト君、良い泥臭さだ。それでこそ、それでこそなんだよ……!」

「はぁ、はぁ……っくそ、なんだよ、なんなんだよ! 犬上マグロォ……!」


「誇れ、狂間ミコト。君は今……真に、美少年になった――」


 そう言うと、マグロはばたりと倒れ、狂間も全身の力が抜けるようにしてその場に座り込んでしまった。もはや銃を握る余力もなく、芝生の上に投げ捨てて、歓声もどよめきも起きない周囲を見渡すばかりだ。


「……あァ、生徒たちはどっかに行ったのか。きっと生徒会の奴らが人除けしてくれたんだな……」

「――ええ。ついさっき、僕と会長で早く寮に戻るよう呼び掛けました」


 静寂の中庭に、オトギが割って入るようにして現れた。その手に握り拳を作りながら、狂間の拳銃の元へと歩み寄る。


「…………」

「狂間先輩、借りますよ」


 問うや否や、オトギは返事を待たずにそれを拾い上げると、手に持っていた『弾丸』を装填して狙いを定めた。


「テメェ……とどめを刺すつもりか」

「ええ。僕にはこれしか残されていないので」

「辞めた方が良いぜ。こんな状態でもお前にゃ分がわりぃよ。ハハ……ハハハ!」


 愉快そうに笑う狂間の声が建物に跳ね返って反響した。その音につられてか、倒れていたはずのマグロも僅かに口を開いて、「フフ」と笑い出した。


「! ま、マグロ君、起きてたの……」

「オトギ……君が彼のトドメを刺す必要はない。この勝負、とうに決着はついた。結果は……痛み分けというやつだ、ゴホッ!」


 血反吐を吐きながら、マグロが無理に喋り出す。それ以上は苦労をかけさせまいと、オトギが彼の左肩を持った。


「そう、分かった……。喋らないで、すぐ保健室に連れて行くからね」

「……ああ、その前にすまんがオトギよ。眼を負傷したからいまいち視界がはっきりしないんだ。少しでも傷を回復させるために膝枕をしてくれないか」

「んなっ! そんな恥ずかしいこと、どうして僕が……!」

「サキちゃん先生も言ってただろう。美少年の傷は美少年しか癒せない。手をつなぐだけでもいいから。感覚が鈍くて、立っているのか寝ているのかも分からないのだよ……」

「もう、仕方ないな……」


 そういうと、オトギは観念したようにため息を吐く。

 それは初め一体誰に向けていたのか――宙に遊ばせていた銃口をそっと降ろすと、また芝生の上に捨てた。そして黙ったままマグロに向き合ったかと思うと、おもむろに、彼の身体を強く抱きしめたのだった。


「お、おお……! サービス精神旺盛だな、オトギ。どうしたんだ一体」

「……なんでもないよ。ほら、保健室に運ぶね、ちょっと揺れるよ」

「必要ない。暫くこのままが良いな。自然治癒で治すというのも悪くは――」

「もう……そしたら、今日の晩ご飯一緒に食べられないでしょ」


 マグロはしばし口を噤んでしまった。彼のほうから何かを共にしようと提案されたのは、今日一日を通してこの時が初めてだったからだ。

 しばらく唖然としてオトギに担がれていると、自然治癒により肌の感覚が戻ってきたのか。いつの間にか降りしきって頬を打つ、春の雨雫の存在にようやく気付くことができた。


「うむ、君の言った通りだ、オトギ」

「…………でしょ」


 辺りに散らされた花たちは、それでもなお特有の香りを放つ。はじめは「少し匂いが強い」と評したそれらも、午後の雨にひた濡れて、良い塩梅の香りと成っていた。

 担がれたマグロは眼を閉じながら微笑みを浮かべる。一方で彼を担ぐオトギの表情は、まるで罪悪そのものをその背に負っているかのような、暗い影に満ちたものだったが、彼には知る由もないことである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る