✞Epilogue
♰Chapter Ep:哀悼の祝詞
薄暗い回廊にカツン、カツンと硬質な靴音だけが木霊する。
その来訪者は扉も床も、壁でさえも崩れている広間にて歩を休める。
「――氷鉋および伊波の消息が〔幻影〕によって絶たれました」
ここは廃ビルの上層階に位置する場所。
割れた硝子越しに夜風が吹き抜け、視線を外に向ければ高層ビル群の航空障害灯がゆったりと明滅している。
瓦礫が山積し、廃墟同然の広間の中心にはフーデットケープを目深に被った人物が佇んでいた。
「――そうですか。ですがそれも想定のうちではあったはずです」
成熟した声音ではなく、幼さの残る声音でもない。
極限まで特徴を削いだ無機質な声のため、性別すら定かではない。
それでもその声に悲哀と――それ以上の慈愛の色が宿っていることを来訪者は知っている。
だからこそ、聞き返さずにはいられない。
「想定通り、ですか……」
「そんな顔をしないでください。確かに言葉のとおり、氷鉋と伊波が失敗する可能性は十分にあると踏んでいました。ですがわたしはそれを強要したわけではありませんし、それでも作戦を担ったのは彼ら自身の意思です。二人とも優しさが過ぎますから。それに――」
一度言葉を溜めると懐から妖艶に輝く紫紺の結晶を取り出した。
「今回の目標がまったくの失敗だったわけでもありませんしね」
その言葉に来訪者は静かに思いを過らせる。
――貴方は優しさが過ぎる。そして同時に恐ろしくなるほどに抜け目のない方だ、と。
主は暴君にあらず、生を想い死を想う。
誰よりも心を痛めているのは主だ。
フーデットケープの人物は人差し指を立て、一つの問いを投げ掛ける。
「あなたにはなぜ彼らが〔約定〕に帰属することを願ったか、分かりますか?」
短い沈黙ののち、来訪者は首を横に振る。
フーデットケープの人物は静かに微笑んだようだった。
「そうですよね。意地が悪かったです。でも……そうですね、わたしだけが彼らのことを覚えているのもつまらないでしょう。少しだけ彼らについて聞いてください」
それから来訪者は簡単に氷鉋と伊波の来歴を説いて聞かされる。
「氷鉋という人間は一人の父親として、この腐敗した人間社会を憎んでいました。その原因は伴侶を交通事故で亡くし、唯一の希望であった娘すらも故意の医療ミスで植物状態になったことにあります。そして、その医師は今までに築き上げた地位と名声、財産のあらゆる手を使って罪刑を軽くしたそうです」
「それから氷鉋は魔法使いに目覚め〔約定〕を依り代にしたのですか?」
ケープの人物が窓枠に近づくと裾が風に揺られる。
わずかに一歩踏み出すだけで何十メートルという高さから落下する危うい距離だ。
「概ね正解です。彼が社会の規範に乗っ取り、正攻法で訴えかけても世間は聞き届けてはくれなかった。そこで知ってしまったのでしょう。規範とは人が定めたもの。そこには必ず作る側としての人間がいるのです。だとすれば恣意的な意図が入らないとどうして言えますか? 万が一を考慮して抜け穴を用意しようとする者は一定数いるのです」
「つまりルールが適用されるのは善人と悪人だけで、穴を突こうとする例外には効果がないということですか?」
「そうです。だからこそ氷鉋は考えたのです。ルールが正攻法で通用しないのなら、咎人側の手法をもって人間社会を正すと。ルールの穴を掻い潜る咎人に通用する手段を持つのは同じ咎人ですから」
「それが、氷鉋という魔法使いだったんですね……」
「彼だけではないですよ。伊波も同様に人間を憎んでいました。もっとも彼の場合は過去に縁のあった人物――確か新しく〔幻影〕に帰属した八神零に恩を返したかったことも一つのインセンティブになったそうです。私にもすべてを明かしてはくれないまま逝ってしまったことはとても残念です」
ケープの人物は言葉を切ると仮面の奥から夜空に視線を向け、言う。
「二夜目の今日、彼らは星になりましたよ」
ここは都心。
地上の明かりが強すぎて遥か上空に瞬く星々は目視できない。
その言葉の真意を理解できない来訪者はただ困惑する。
「……そんな顔をしないでください。ほんの言葉遊びみたいなものですよ」
その言葉の次には場の雰囲気が変貌を遂げる。
「さて、ここからは〔約定〕のこれからについてです。新しく〔幻影〕に帰属した彼はどれほどの実力者なのですか?」
「『
「ほぼ何も判断することができないということ、ですね。追って彼を理解することにしましょう」
ケープの人物はそれから間をおき、やがて思考が纏まったようで声を発する。
「次の作戦は決まりました。あなたにしましょう」
「俺、ですか?」
「二度は言いませんよ。八神を捕縛しなさい。〔幻影〕に帰属して間もない今ならこちら側に引き込むことも可能なはず」
「俺の固有魔法では戦闘系の相手と戦えるとは思いませんが……」
ケープの人物は身体を左右に揺らす。
さながらその答えは予想してあったといわんばかりだ。
「だからこそですよ。今回は戦闘系の固有魔法に同じく戦闘系の魔法がぶつかってこちらが負けた。なら、次は違う手法で戦ってみるというのも一つの勝ち筋かもしれません。氷鉋や伊波、そしてこれまでに繋いでくれた血の意志を、命ある者で受け継ぎ続けなければならないから」
「貴方がおっしゃるのなら、やりましょう。この命は一片も余さず〔約定〕のために使うと決めたから」
言葉が切れたことで来訪者は去ろうとするが、ケープの人物はその背後に言葉を投げる。
「言い忘れていました。好きな戦力を一人連れて行ってもいいですよ。なんならただの魔法使いも付けますが」
「お心遣い感謝します。ですが俺は基本的に周りに人は置きたくないんです」
「あなたは確かにそういう人でしたね」
ケープの人物は来訪者の背を見送ったあと、微細な魔力を辺りに漂わせる。
それらはやがて一筋の道標のように夜空へ昇っていく。
「氷鉋――そして伊波。あなたたちはこの救いようのない世界を憎んでいた。たとえ、あなたたち自身が理想に届かずともあなたたちも、過去に散った者も、そしてこれから流れるであろう者の血も、ただの一滴だって無駄にはしません――せめて安らかに」
やがて魔力の帯は解けるように消えていく。
ケープの人物は一人、去り逝く魂に安寧を願った。
これが都心のどこかの廃ビルで行われた秘密のやり取り。
終焉のサクリファイス1 夜都幻想編 冬城ひすい @tsukikage210
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