第7節

 編み笠を被った政綱は、柳丸を曳いて真原国まはらのくにの国府を貫通する大路を歩いていた。

 西洲真原国の国府には、他の国と同じように一国の総社が置かれている。町から川をひとつ渡った先にある総社の鳥居前に、大勢の人が集まっていた。

 政綱は総社前を素通りし、都に到る天城路あまぎじに向かうつもりだった。人だかりを迂回して避けようとした政綱は、打ち鳴らされる太鼓と鉦の音を聞き、何気なく鳥居のほうに目を向けた。

 人を集めていたのは、賑やかしい芸人の一座だった。田楽だろうか。人の隙間から、着飾った男女の姿がちらちらと見えた。

 政綱は垣間見た彼らの装束に、おや、という顔つきになった。

 ひとりの女が紫色の小袿を着ていた。その周りを、四本足の獅子舞のようなものが、身をくねらせながらぐるぐると回っている。よく見ると、頭は猫を模しているらしく、尻には二本の長い尻尾が生えていた。

「猫又か……?」

 呟いた政綱は、よく見ようとして馬に跨った。

 猫又はかちかちと牙を噛みながら、辺りを睨み、不意に向きを変えて女に迫った。見物客は、上に跳び、下に屈んで大きく舞う猫又に歓声を送っている。

 小袿の女が裾を翻して回り、太鼓と鉦が乱打された。それを合図に、脇に控えている一座の中から、蓑をまとい、大刀を差した男が躍り出た。

 政綱は、小袿の女に手を差し伸べる蓑姿の男を見つめ、少し驚いたように目を丸めた。男は髪をうしろで束ね、両目の辺りだけを覆う仮面をつけている。その仮面は、大きく見開かれた猛禽の目をしていた。

 男と女の手が触れそうになると、猫又がその間に割り込んだ。男はさっと跳び退き、間髪入れずに後方宙返りまでしてみせた。観客がどっと湧き、驚いた柳丸がいなないて頭を振った。

 愛馬のたてがみを撫でて宥めつつ、政綱は身軽な男の動作を見守った。

 猫又が物々しく牙を噛み鳴らし、うしろ脚――勿論それは人の脚だが――で立ち上がった。前脚が振り上げられ、蓑姿の男を打ち据えようとする。男は左足を引いて体を開き、腰の捻りに乗せた右拳で猫又の頬を突いた。

 動きのひとつひとつに仰らしさはあるが、まるで人狗の――いや、おれの動き方だ。政綱は感心していたが、同時に訝しんでもいた。

 男は、大袈裟な動きで刀を抜き、必要以上に大きく振りかぶり、猫又の脇腹を斬った。一座の中から猫又の声に代えて、ぎゃっという絶叫が上がった。獅子舞の猫又は頭を擡げ、丸い目で天を睨み、ゆっくりと地に伏した。

 男は女の手をとり、観客たちの拍手と喝采を満身で受け止めている。その隣で、倒された猫又が立ち上がり、扮していたふたりの男が顔をみせた。政綱は、想像したよりも幼い彼らの顔を見て、数拍置いてから小さく、「あっ」と声に出した。あれから数年が経ち成長してはいるが、あれは藤丸と弥竹丸だ。

 観客の前で堂々と顔を上げた小袿の女は、随分と大人びた卯木だ。

 では、あの男は……? おまえは誰だ――いや、きっとおまえは……そうであってくれ。

 政綱の心の声を聞いたわけではないだろうが、蓑姿の男は仮面を外した。

「田三郎――」

 政綱は誰にも聞こえないように呟き、笠に隠れた目を優しく細めた。

 あれ以来、政綱は一度も清滝村には行かなかった。〈望月〉や雲景と、その話をすることもなかった。忘れようとして、実際に忘れてもいた。

 子どもだった彼らは、政綱を忘れてはいなかったらしい。卯木の着た紫の小袿は、〈望月の君〉の思い出だろう。猫又との戦い方は、かつて政綱が都の外れで行ったそれに取材したのかもしれない。きっと誰かに政綱のことを尋ねたことだろうが、その話の最初の出どころは、雲景の他には考えられない。

 政綱は、笠の縁を指先で軽く傾け、届くことのない挨拶の代わりにした。

 馬をおり、差縄を曳いて歩き出した政綱は、一座を涙ながらに見守っている垢じみた格好の老乞食を見た。見物人の中に乞食は多くいるが、彼は特別なひとりだった。政綱は彼に気がついても――思い出しても――声は上げず、足も止めなかった。

 乞食の足元には、薄汚れた素焼きの壺が置かれていた。彼の大事な生活道具だろう。政綱は迷った。迷いながらうしろを通り、懐から取り出した革袋を壺にそっと落とし入れた。

 気づかれぬまま通り過ぎ、雑踏から離れて行きながら、やはり政綱は迷っていた。革袋の中身が、ここ数日の稼ぎの全てだったせいではない。

 この情けのかけ方は、本当に正しいのだろうか。それを考え、政綱は迷っていた。

 だが人狗は振り返らず、街道を西へと通り抜けて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人狗草紙――水神の詫び証文―― 尾東拓山 @doyo_zenmon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ