48.【最終話】 想いは満月を超えて
研究開発室の大きな窓から外を眺める。
ああ、朔夜と愛を伝え合ったあの夜から、もう一年が経つんだな、と思う。
作業服姿の私は、開発中のオオトリエンジン――来月、私が朔夜と結婚して鴻姓になるので、この名前に変更したのだ――の最終調整をするためによじ登った。
結局、エンジンの高さは私の身長の倍くらいになってしまった。これを自動車に搭載する、となると、まだまだ多くの「魔法」が必要になる。
開発は、私と朔夜のほぼ二人で行ってきた。
はじめのうちは、何をどうやってもうまくいかなかった。全然動かなかったり、
喜び合ったり励まし合ったりもしたが、言い争いの数も半端ではなかった。
それでも、あと少しで完成する。
「ご安全にいっ」
威勢のいい工員さんたちの声が聞こえたので、隣にある事務所に向かった。
工場と事務所の建物は繋がっており、事務所のカウンターにタイムカードがあるので、工場で働いている人たちは皆、ここを必ず通る。工員さんたちが穴の開いたカードを読取機に差し込むと、読取機はその都度がちゃりがちゃりと音を立てた。
麻田さんが丁寧に頭を下げる。
「皆様、お疲れ様でございます」
「よっ、工場長。これ、こいつらと前の工場にいた時から考えていたやつなんだけどさ、ようやく完成したよ。どうだい、俺らの自信作なんだけど」
髭の濃い班長が、びしいっ、と麻田さんに紙を差し出す。
「ほう、これは」
紙に目を通した麻田さんが、嬉しそうな笑顔で私に手渡した。
「ありがとうございます。ええと、生産管理方式に関する改善提案書ですね」
私たちの工場では、仕事の効率化などに関するアイデアを、現場の人から積極的に募っている。なにしろ経営側が未熟者ばかりなので、現場の人には教わることばかりだ。
仕事熱心な人は、提案書の提出も多い。
そして圧倒的に提案量が多いのは、伯父が経営していた「オオトリ本家」の工員だった人たちだ。
工場で働いてくれている人たちは二十人くらい。そのうち半数がオオトリ本家出身だ。ここにいる工員さんたちもそう。
鴻家抜きで再構築された「旧・鴻グループ」のなかで、オオトリ本家の人たちは肩身が狭いのだという。
私たちは鴻グループではないので、その現状を直接どうこうすることはできない。それでも、私たちの所で働きたいと言ってきてくれた人たちは、なるべく受け入れるようにしている。
焼け石に水なのは重々承知なのだが。
彼らは皆、非常に優秀だ。
伯父の力を、改めて思い知る。
「あれえ、高梨さん。社長や副社長はいないんすか」
一番若手の工員さんが事務所を見渡した。
「えっと、社長は商談が長引いているみたいですね。副社長は大学ですけど、この時間に顔を出さないってことは、直帰かもしれませんねえ」
「そうすか。……にしても高梨さん、来月結婚式を挙げる恋人に対して、なんかあっさりしていますねえ。もっと人前でいちゃいちゃしてくれたほうが、俺も結婚に夢が持てるんすけど」
「でしょう。もっと言ってやってよ、
物凄く自然に会話に入ってきた人がいると思ったら、いつの間にか望夢君が商談から戻ってきていた。同行していた平山さんも一緒だ。
私と目が合うと、ふんぞり返って親指を突き出す。このふんぞり返り具合は、良い結果を出せた、という意味だ。
私のことは置いておいて、気になる成果を訊く。
「おかえりなさい、社長。大河内製薬とのお話はどうでしたか」
「それはもう、この僕と平山だよ。ばっちりに決まっているでしょう。次回、正式に契約だから。あとね、オオトリエンジンにも興味があるらしくて、今度うちに担当者が来るって」
そう言いながら事務所の奥にある研究開発室のドアを指さす。
その仕草を見て、どくり、と心臓が大きな音を立て、体中の筋肉が引き締まる。
ついに来たか。間に合うか。大丈夫か。
いや、絶対に大丈夫だ。
信じるんだ、
工員さんたちが帰っていった。彼らは工場に残っていた最後の人たちだったので、今、会社にいるのは私たち四人だけとなった。
途端に望夢君が平山さんにべったりと貼りつき、上目遣いで甘えた声を出す。
「平山あ。僕、今日頑張ったよね。凄かったと思わない?」
「はい。とてもご立派で、素敵でしたよ」
「じゃあさ、じゃあさ、頭撫でてよ」
金色の髪をゆっくりと撫でられ、望夢君は幸せそうに頬をすり寄せた。
私も麻田さんもいい加減見慣れたので、今ではなんとも思わない。だが初めのうちは恥ずかしくて見ていられなかった。
朔夜がいる時は特に、変に意識しすぎてなぜか朔夜に冷たく当たったりしてしまった。今思うと、なんで彼にあんな態度を取ってしまったのかわからない。
「ところで
ごろごろと平山さんに甘えながらも、真剣な目を向けてくる。
「本当に結婚式までは長屋に住んでいるつもりなの。もう義姉さまのお父様も仕事に復帰できるくらい快復したんでしょう。だったら離れ家で兄様と暮らしたほうが、結婚式の準備がしやすいんじゃないの」
「父は職場復帰してまだ間がないものですから、もしものことがあったら、って不安なんです。でも鴻家の方々は私と連絡が取りづらくてご迷惑ですよね。申し訳ないです」
望夢君に深く頭を下げる。
近所の飯屋を貸し切ってどんちゃん騒ぎをする庶民の結婚式と違って、私たちの結婚式は、多数の招待客が見守る中、お屋敷全体を開放して三日がかりで行うことになった。
朔夜は跡継ぎでない上に、いずれ家を出る。それでもこれだ。
当然、準備は煩雑を極める。だから私が同じ敷地内に住んでいたほうが都合がいいのはわかっている。
それでも、手術前の父の姿を思い出してしまうと、どうしても不安なのだ。
父は数か月前、大病院に転院し、全身麻酔薬を用いた最新式の手術を受けることができた。今では一日おきに罐焚きの仕事ができるまでに快復している。
それもこれも、朔夜のお父様が手術費用を無利子無期限で貸してくれた上に、良い病院を紹介してくれたおかげだ。
私は誰の力も借りずに手術費用を工面するつもりだった。それが父への恩返しになると思っていたからだ。
以前、鴻家でその話をしたら、お父様は腕を組み、冷ややかな目で私を見下ろした。
「それは見当違いの努力だ。治す手段があるのなら、さっさと人を頼ったほうがよほど親孝行というものだろう。それにいずれ家を出るとはいえ、仮にも鴻家長男の嫁の父親となる人だ。適切な治療を受けていないなど世間体が悪い」
そう言って全ての費用を出すと言ってくれたのだ。
言い方は少々引っ掛かったが、非常にありがたい話だ。しかしさすがに申し訳ないので、せめて借金にしてくれと答えたら、お父様は不機嫌そうにぷいっと部屋を出てしまった。
お父様が部屋から充分距離を取ったと確認した後、お母様はそっと囁いた。
「先ほどは主人がごめんなさい。きっとね、今更『優しい義父』に方向転換なんてできない、と思って、あのような言い方をしてしまったのだと思うわ。でも、瑠奈さんのお父様の体力のこともありますし、お金の形はどうあれ今のお話は受けたほうが良いのではないかしら」
そこでお母様は一度耳に手を当て、更に声をひそめた。
「主人ね、実は、瑠奈さんのお父様のことを本当に気に掛けているのよ。ふふ、今まであんなに酷いことを言い続けていたというのに、いざ『結婚』が具体的な話になってきたら、『娘』を助けたくてしょうがないみたいなのよね」
望夢君たちと話をしながらも、私はちらちらと出入口のドアを見ていた。
朔夜は大学が終わった後、一度会社に顔を出す。遅い時間なので私しかいないことも多いが。
だが大学の試験とかで忙しいときは直帰することもある。
今日はもう遅い時間だ。直帰したのかもしれない。
もしそうなら、「あれ」は明日にしよう――。
「朔夜!」
ドアが開き、朔夜が姿を現すと、私は彼に駆け寄った。
外套に冬の夜空の匂いを
「皆、一体どうしたの。こんな時間なのに勢ぞろいで」
「朔夜こそ。この時間なら直帰したのかと思ったよ」
「ちょっと講義が長引いたんだ。でも直帰なんてするわけないだろ、今日」
革手袋を脱ぎ、私の手を握る。
私と一緒に重たい機械を扱うようになって、少し骨ばってきた大きな手が私を包む。
「昨日の様子からすると、もしかしたら今日あたり、と思っていたんだけど」
「うん」
私が頷くと、彼の手に力がこもった。
「じゃあ、もしかして」
「まだわかんない。試運転は明日にしようかと思っていたから」
「いや、今からにしようよ。少しでも早く、『あの子』が生まれる瞬間を見たい」
「あの子」。
私がずっと温めてきた夢。学校でどんなに陰口を叩かれても、勉強と仕事に疲れ果てても、朔夜と出逢うまではこれだけが私の光だった。
朔夜と手を取り合うようになってからは、その光は輪郭を伴った輝きとなった。起業してからは、それは時に駆け引きの切り札となったりして、現実世界にくっきりと姿を現した。
朔夜と頷きあう。
皆と一緒に研究開発室に入る。
天井の高い研究開発室に入った途端に、鉄と機械油の匂いが押し寄せてくる。一応片づけはしているのだが、工具や
その室内の中央に、オオトリエンジンは据えられていた。
銀色の巨体。無骨な車輪。研究に研究を重ねて組み合わされたピストンやパイプ類。すでに油は満タンになっており、すぐにでも動かせるようになっている。
私と朔夜はエンジンによじ登り、レバーに手を重ねた。
ここにきて急に不安が湧きあがり、胸が痛くなる。胸を押さえる私に朔夜は微笑みかけ、ぽん、ぽん、と肩を軽く叩いた。
重ねた手に力を込め、レバーを思いきり引き下げる。
エンジンが低い唸り声を上げながら震えだす。
車輪がゆっくりと回りだし、徐々にスピードを上げていく。
やがて車輪は高速で回転し、エンジンは滑らかな振動と共に命を灯らせた。
オオトリエンジンが、産声を上げた瞬間だった。
わっという歓声が上がる中、私たちはエンジンから降りて手を繋ぎ、力強く動く「我が子」を見上げた。
全身から震えが湧きあがる。隣の朔夜を見ると、夜空色の瞳が潤んで揺れていた。
私は彼にそっと頬を寄せ、じわじわと満ちる感情に身を委ねていた。
ようやく生まれた我が子。私たちの子。
今はまだ図体が大きいし、力だってまだまだだ。それでもこれからどんどん成長し、きっと世界中のあらゆる場所で活躍することだろう。
時代を変え、大きく前進させるほどに。
試運転が終わって気がつくと、驚くくらい時間が経っていた。
「ねえみんな。もしよければこれから飯屋でエンジンの誕生祝いをやりません?」
私の声掛けに、麻田さんが不安そうな声を上げた。
「この善き日にそうしたいのはやまやまですが、この時間まで空いている飯屋はありますでしょうか。それに今日はその、満月ですし」
「それなんですけどね、私の友人の恋人が、最近ここから少し離れたところで、夜業労働者向けの
玉鉤国料理と聞いて、望夢君と平山さんが目を輝かせた。
「それに朔夜の変身だったら大丈夫ですよ。私が隣にいるんですもん。『あれっ』ってなったら、すぐにぎゅうってします」
「あ、そうか。兄様、もうこれからは変身しないで済むかもしれないんだね」
望夢君の言葉に首をかしげる。すると望夢君は呆れたように首をすくめた。
「だって当然じゃないか。来月からは義姉さまが一日中兄様をぎゅうってするんでしょ。変身なんかする暇ないじゃないか」
そう言って望夢君は平山さんの腕にしがみついた。
皆で外に出る。鍵を掛け終わった時、朔夜と目が合った。彼は頬を染めながら私の耳元で囁いた。
「望夢に言われるまでもない。来月からは俺、変身する気がしないんだ。瑠奈、覚悟しておいてよ」
ひんやりとした夜空から、
朔夜と一緒に夢を叶えていく。
同じ人生を歩んでいく。
その道は平坦ではないかもしれないけれど、私たちなら乗り越えられる。
光あふれる未来に向かう私たちの想いは、満月よりも高く羽ばたいていく。
【終】
ウルフムーンだけが知っている 玖珂李奈 @mami_y
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